第65話 参議邸での攻防
(とっ……とにかく、惟成様がたくさんお話できるように話題を振れば良いのよね!)
二の姫君の暴走が始まった。
「惟成様!」
「はい。」
「お好きな色は何色ですか?」
「赤が好きです。」
「お好きな食べ物は?」
「焼き魚……でしょうか。」
「お好きな季節は?」
「秋冬です。春夏はすぐ汗まみれになりますので。」
次々と繰り出される質問に、惟成は淡々と答える。
(姫様……)
播磨は心の中で深く項垂れた。
(これでは会話ではなく、ただの尋問でございます……。)
しかし姫君は気づいていない。
むしろ勢いは増している。
「特に予定のないお休みは何をして過ごしてらっしゃいますの?」
「兵法書を読んだり……天気が良ければ景色の良い場所へ行って、景色を見たりします。」
その瞬間、二の姫君の表情がぱっと明るくなった。
「では――では、では!」
声が弾む。
「今度、一緒にお出掛けを致しませんか?
当家の領地に、夏でも涼しく過ごせて景色の美しい場所があるのです!」
播磨は思わず小さく拳を握った。
(姫様!ナイスでございます!!)
だが惟成は、少し困ったように眉を下げた。
「お出掛け……ですか。
しかし、私の休みは不規則でして。急な呼び出しも多いゆえ、日程を合わせるのは難しいかと……。」
顔は穏やかだった。
だが心の中では叫んでいる。
(嘘ではない!
だがこの姫と尋問旅行は勘弁してくれ!!)
しかし二の姫君は引かなかった。
「それでしたら!」
ぱっと身を乗り出す。
「父上にお願いして、その日は絶対に惟成様にお仕事の話が来ないよう根回ししていただきますわ!安心なさいませ!」
惟成の心臓が止まりそうになった。
(やめてくれ。)
「参議様は私の部署とは全く違いますし……そのようなお願いは、参議様を困らせしてしまうでしょう。」
(そんなことをされたら兵衛府で私はどういう目で見られるんだ!)
だが姫君は、きっぱりと言い放った。
「そんな!それくらいの便宜が図れずして、何のための貴族ですか!」
(そんな便宜を図る貴族は嫌だろ!!)
二人の声は穏やかだったが、部屋の空気には静かな火花が散っていた。
完全なる攻防戦である。
その時。
播磨が静かに口を開いた。
「姫君。」
「……?」
「惟成様は元服してまだ日も浅うございます。
先輩方を差し置くような形になってしまうのを、心苦しく思っておられるのでしょう。」
そう言いながら、播磨は目で必死に訴える。
(姫様、面倒な女と思われてしまいます。どうかお控えを!)
惟成の心の中で鐘が鳴った。
(ナイスだ、播磨殿!)
思わず心の中で小さくガッツポーズをする。
二の姫君は、はっとして俯いた。
「……そうですよね。
ごめんなさい。私ったら……。」
部屋にふっと安堵の空気が流れた。
――その瞬間だった。
播磨が、さらりと言った。
「お出掛けが難しいのでしたら、惟成様のお時間ができた時、当家へお越しいただいてはいかがでしょう?」
惟成の背筋に嫌な予感が走る。
播磨はにこやかに続けた。
「当家の庭も四季折々の草花がございますゆえ、静かに景色を楽しめるかと存じます。」
惟成は悟った。
(やられた。
先に大きな要求を言わせ、断らせる。
その後で本命を出す――
兵法で言う陽動ではないか!!)
播磨がちらりと惟成を見て、にやりと笑った。
惟成の顔が強ばる。
一方、二の姫君の表情はぱあっと明るくなった。
「それが良いわ!」
嬉しそうに声を上げる。
「惟成様、またぜひいらしてくださいませ!
お忙しい時は、文のやり取りだけでも構いませんから!」
惟成は微笑んだ。
「……ええ。時間ができましたら。」
顔は穏やかだった。
だが心の中では、完全に項垂れていた。
(……兵法書には書いていなかった。
恋とは、これほど恐ろしい戦だったのか。)
──帰りの牛車
「っはああああ〜〜!!つッッッッかれたあ〜〜〜!!」
どさり、と惟成は牛車の中に崩れ落ちた。
足を投げ出し、天井を仰ぐ。
武芸の稽古の後でもここまで疲れることはない。
「かなりお疲れのようですね。若君。」
牛車の外から御者の声が聞こえた。
「ああ……」
惟成は力なく答える。
「武芸の修練より疲れた。こんな疲れ方は初めてだ。」
「それはそれは……お疲れ様でございます。」
惟成はごろりと横になった。
牛車がゆっくりと都の道を進む。
(はあ……本当にどうしたものか……。)
ごろり。
(今日の訪問で終わり、という訳にはいかぬだろうな……。)
ごろり。
(それどころか、時間がある時は来いという……。)
しばし沈黙。
惟成は天井を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……面倒だ。」
牛車が小さく揺れる。
(しかし相手は参議様の姫君だ。礼を欠くわけにもいかぬし……。)
また沈黙。
しばらく考えた末、惟成はため息を吐いた。
「……なんか、考えるのも面倒だな……。」
ぽろりと本音が漏れた。
(考えるのすら面倒な相手と縁談など……)
惟成は目を閉じる。
(上手くいくわけないではないか……。)
「はあ……。」
深いため息。
そしてふと、ある顔が頭に浮かんだ。
「……紗世なら……」
ぽつり。
「こんなことを考えることもないのだがな……。」
惟成は少しだけ笑った。
「本当に、紗世は不思議と楽なのだ……。」
しばらくして、惟成は天井を見上げながら小さく呟いた。
「……恋とは。」
少し考える。
「兵法書に載っていない戦だな……。」
⸻
兵衛尉(惟光)邸
やがて牛車は兵衛尉邸に到着した。
惟成が牛車を降りると、ちょうど門の前に惟光の姿があった。
「おお、惟成。帰ったか。」
惟光は惟成の顔を見るなり、軽く笑った。
「……なんだその顔は。戦でもしてきたのか。」
「似たようなものです。」
惟成は真顔で答えた。
惟光はくっくっと笑う。
「話を聞こう。着替えたら私の部屋へ来なさい。」
「…………はい。」
惟成は力なく答えた。
⸻惟光の居室
「して、どうであったか?」
惟光が扇を仰ぎながら尋ねた。
惟成はしばらく考え、正直に答えた。
「………疲れました。」
「うむ。見れば分かるな。」
惟光は即答した。
惟成は少し困った顔をする。
「会話と言うよりも……尋問を受けているようでした。」
惟光の眉がぴくりと動く。
「尋問?」
「はい。好きな色は?好きな食べ物は?好きな季節は?と、短い質問が次々と来まして……。」
惟成は思い出して少し遠い目をした。
惟光は少し考え、やがて声を上げて笑った。
「はははは!」
惟成は驚いて顔を上げる。
「大方、お前が質問に手短に答え、話を膨らませぬからだろう。」
惟光は言った。
「会話がすぐ終わるゆえ、姫君も次の質問をせねばならなかったのだ。」
惟成は一瞬固まった。
「……ああ。」
少し考え。
「なるほど。」
そして素直に頭を下げた。
「思い至りませんでした。反省いたします。」
惟光は笑いながら扇を仰ぐ。
「まあ良い。そもそもお前は雑談や世間話が苦手だからな。」
惟成は小さく頷く。
「業務的な会話なら、話すことが決まっているので楽なのです。」
「参議様の二の姫君には呆れられたのではないか?」
惟光が言う。
惟成は静かに首を振った。
「そうだったら良かったのですが。」
惟光は少し目を細めた。
「……逆に気に入られたか?」
「はい。」
惟成は項垂れた。
「今後も邸に来てくれと……。」
惟光は声を上げて笑った。
「それは重畳ではないか。」
「重畳ではありません。」
惟成は真顔で言った。
「女人と話すだけでこれほど疲れるとは思いませんでした。」
そして少し考え、真面目な顔で続けた。
「正直、兵法書を十巻読む方がまだ楽です。」
惟光はついに扇で顔を隠して笑った。
「まあ、通ううちに情が湧く可能性もあるだろう。」
惟成は即答した。
「現段階では到底考えられません。」
沈黙。
惟光は腕を組んだ。
(今回の話は縁談として参議様から頂いている話だ……。
今はまだ、様子見と伝えるべきか。)
惟光は静かに頷いた。




