第349話 大膳職の下見
───翌日・大膳職
紗世は動きやすいよう小袿姿にたすき掛けをし、袴の裾を少し絞った姿で大膳職へやって来た。
「紗世。また変わった格好をしておるな。」
中務卿宮は驚きの表情を見せた。
「大膳職のような場では、普通の小袿姿では布が引っかかり、物を倒したり、火が袖に点いたりしたら大変ですから。」
紗世は自分の姿を見ながら言った。
「機能性重視で、着るものを工夫したつもりなのですが……やはり、やめた方がいいですか?」
「いや、問題なかろう。のう、大膳大夫よ。」
「ええ、宮様。むしろ、そのようなお心配りをしていただけるとは。畏れ多いことでございます。」
大膳大夫が慌てて頭を下げた。
(ほらぁ。いきなり宮様が来たもんだから、みんな緊張しちゃってるじゃん!)
紗世は苦笑いを浮かべ、大膳職の中を回り始めた。
大膳職の中には、様々な食材が並べられていた。
米や麦、豆類をはじめ、魚や干物、野菜など、宮中の料理に使われる食材が揃えられている。
紗世は一つ一つ目を向けながら、大膳職の者に尋ねていった。
「これは、明後日の料理に使えますか?」
「はい。こちらは十分にございます。」
「この魚は?」
「こちらもご用意できます。」
食材だけでなく、調理に使う道具にも目を向ける。
鍋や包丁、まな板など、実際に料理をする時に使うものを確認していく。
「この鍋は、火にかけても大丈夫ですよね?」
「はい。」
「では、こちらは使わせてください。」
紗世は、明日の調理を頭の中で思い浮かべながら、必要なものを確認していった。
中務卿宮は、そんな紗世の様子を興味深そうに眺めている。
「紗世。どうだ? どんな物が作れそうだ?」
中務卿宮の目が輝いていた。
「うーーん……そうですね……。あの、大膳大夫様。」
紗世は大膳大夫に声をかけた。
「明後日の観月の宴でお出しする、料理のお品書きのようなものはございますか?」
「ええ。ございます。」
そう言って大膳大夫は、大膳職の者に目で合図をし、お品書きを持ってこさせた。
「讃岐のうどんを召し上がりたいとお主上が仰せでしたので、それを盛り込んだ献立にしております。」
紗世はそれを見て、考え込んだ。
平安時代の宴料理は、現代のコース料理とは形式が異なる。
台盤(大きな膳)の上に、小さな皿や高坏が並び、そこへ少しずつ料理が乗せられる。
うどんと付け汁も、その小さな皿に盛り付けられるようだった。
(このうどん、おかず扱いされてる……。だとしたら一口で終わるんだろうな。)
「あの……。」
紗世は大膳大夫に恐る恐る聞いた。
「私の料理を召し上がるお主上や数名の貴族は、この膳からうどんと付け汁は外していただくことはできますか?」
「もちろん、可能でございます。」
大膳大夫は頷いた。
「うどんと私が作る他の料理は、別の膳にしようと思うのですが……何か問題はありますでしょうか?」
紗世は大夫の顔色を伺いながら聞いた。
「特に問題はございません。」
大夫は淡々と答えた。
すると、中務卿宮も口を挟んだ。
「うむ。大膳職の方も、むしろ紗世の料理と膳を分けた方が準備もしやすかろう?」
「その通りでございます。」
大夫は頭を下げた。
紗世はその後も、大膳職の中を見て回った。
実際に料理をする場所を確認し、火を使う場所や調理道具の置かれている場所にも目を向ける。
「ここなら、料理を作る時も動きやすそう。」
紗世は周囲を見ながら、明後日の調理を考えていく。
必要な材料や道具を確認し、試作用の材料についても大膳大夫へ頼んだ。
「こちらの材料、少し分けてもらうことはできますか?」
「ええ。ご用意いたします。」
「ありがとうございます。」
こうして、紗世は必要なものを一通り確認し、試作用の材料まで分けてもらって、下見を終えた。
───四条邸への帰り道・牛車内
中務卿宮の計らいで、牛車は二台に分けた。
一台には真砂と大膳職から分けてもらった食材等、もう一台には紗世と中務卿宮が乗った。
「宮様。今日は本当にありがとうございました。」
牛車に揺られながら、紗世は中務卿宮へ礼を言った。
「なに。ただ私が紗世と一緒に居たかっただけだ。礼を言われるようなことでは無い。」
中務卿宮は穏やかに笑った。
「………いえ、今日一緒に来ていただいて助かりました。」
改めて、紗世は言った。
「今日、初めて大膳職の中へ入って思いました。もし宮様がいらっしゃらなかったら、私はもっと雑な扱いを受けていたでしょう。」
「………!」
「大膳職の方たちは宮中の、お主上の食事を作るこの国最高峰の料理人達です。その誇りもありましょう。そこへ私のような女人がぽっと入るのです。良い気はしないでしょう。」
紗世は大膳職を回っていた時、周囲の視線に気付いていた。
それは決して歓迎している雰囲気ではなかった。
紗世が自ら大膳職へ行くと言った時、命婦が驚いた理由がここにもあるのだと感じた。
しかし、中務卿宮がいることで雰囲気は変わったのだ。
「宮様のお陰で、私は気持ち良く大膳職を見て周り、試作用の材料も分けて貰えたのです。本当にありがとうございました。」
紗世は深々と頭を下げた。
「………そういう所なのだ。」
中務卿宮は呟いた。
「え?」
「紗世は常に謙虚でいて、周りに感謝を伝える。そういう所がたまらなく愛おしい。」
中務卿宮が紗世に近付き、手を握った。
「紗世。」
「は……はい。」
牛車内の空気が変わる。
「抱き締めたい。」
「っえっ!?」
「再会してから、紗世を抱き締めていない。」
「あ、あの……えっと……。」
紗世が戸惑っていたが、中務卿宮は構わず優しく紗世を抱き締めた。
「………会いたかった。ずっとこうして抱き締めたいと願っていた……。」
「みっ……宮様! あの……。」
紗世が言い切る前に、中務卿宮は言葉を重ねた。
「少しの間でいい。しばらく、このままで。」
中務卿宮の腕に少し力が入る。
それは、会えなかった二年という時間を少しでも取り戻そうとしているかのようだった。




