第337話 再燃する想い
惟成は拳を強く握ったまま、大内裏を歩いていた。
頭の中は、紗世と鷹丸のことでいっぱいだった。
(まさか、鷹丸様に再会するとは……。)
紗世が宇治で中務卿宮の邸に身を寄せていた頃、紗世の面倒を見ていたのが鷹丸だった。
その時から、惟成は何となく感じていた。
鷹丸が、紗世に特別な想いを抱いていることを。
中務卿宮の側近である以上、鷹丸の身分も相応に高いのだろう。
それでも、紗世が鷹丸を選ぶことはないと思っていた。
紗世が『三条』という偽名を使っていたからだ。
偽名を名乗るということは、最初から今後も関係を続けていくつもりはないのだろう。
惟成は、そう考えていた。
だが、三条が和泉国へ帰ることになった時、鷹丸はそれでも三条を想い続けると宣言した。
そのため、惟成は和泉国へ向かう途中で、三条が自ら望んで鬼の妻になったという芝居を打った。
鷹丸に、三条を諦めさせるために。
その後、しばらくは何事もなかった。
しかし、鷹丸は三条が本当に鬼の妻になったとは信じきれなかった。
無意識のうちに生霊を飛ばし、その影響は紗世にも及んだ。
惟成は陰陽頭の力を借り、鷹丸の夢の中で、三条が自ら望んで鬼の妻になったのだと伝えた。
そうして、ようやく鷹丸を三条から遠ざけることができたと思っていた。
――しかし。
今回、鷹丸は三条と再会してしまった。
二度と会えないと思わせる別れをしたにもかかわらず。
紗世が参内したのは、『三条』としてではない。
『藤原兼成の娘』としてだ。
鷹丸との再会が内裏で、しかも帝との謁見の場であったのなら、紗世が三条と同一人物だと露呈した可能性は高い。
(どうする……。)
惟成は困惑した。
(鷹丸様は、恐らく紗世の本当の身分や身元を知ったはずだ。生霊を解消するために見せた夢も、ただの夢だったと思い直すだろう。)
紗世の手を握っていた鷹丸の姿が、脳裏に浮かぶ。
(紗世への想いが、再燃したか……。)
惟成は不意に足を止めた。
鬼退治から帰ったままの、汚れた狩衣の胸元を掴む。
(鷹丸様は、恐らく俺よりも身分が高い。)
自分より地位の高い者が、同じ相手を好きになったなら、よほどのことがない限り、身分の低い方が身を引くことになる。
一般的に、女はより高い身分の者との結婚を望む。
身分の低い方を選べば、「高い身分の者の面目を潰した」「空気が読めない」として悪評が立つこともある。
本人だけでなく、家族や家門に政治的な圧力がかかることも少なくない。
紗世が最終的に自分を選んでくれる。
その自信はある。
しかし、その選択が紗世の家族や藤原家門に、要らぬ迷惑をかけることになったら。
その時も、紗世は自分を選んでくれるだろうか。
(とにかく、三夜通いを早く済ませなければ。)
惟成は再び歩き出した。
────
「ぬ!? 惟成、姫はどうした!?」
検非違使庁へ戻ると、兼成は部下達に囲まれて仕事をしていた。
惟成の周囲に紗世がいないことに気づくと、兼成は部下達を掻き分け、惟成の元へ駆け寄った。
「申し訳ありません。姫は訳あって、鷹丸様という公達と帰ることになりました。」
「…………はぁ?」
兼成の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「鷹丸様は、中務卿宮様の側近だそうです。身分の高い方であることが予想されますので、姫も断ることができなかったのでしょう。」
「いや、それにしたって……!」
兼成は額に手を当てた。
「お前との三夜通いを始め直すと決めた矢先に……。しかも、お主上ではなく、他の公達とは……。」
兼成は頭を抱えた。
「くそっ。何たることだ。やはり、参内を阻止すべきだった。」
「兼成様。」
惟成は静かに兼成を見た。
「起きたことを嘆いても仕方ありません。」
「しかし……。」
「私も、私より身分の高い者が現れたからといって、姫を諦めるつもりはありません。」
兼成は顔を上げた。
「惟成……。」
「とりあえず、帰りましょう。」
「うむ。……そうだな。」
兼成は重い息を吐いた。
惟成と兼成は、並んで厩の方へ向かっていった。
───四条邸
門の前に、一台の牛車と、馬に乗った公達が到着した。
「こちら、藤原の姫君を送らせてもらった。私も少し用がある。取次を頼む。」
中務卿宮は馬から降り、門衛に告げた。
門衛は中務卿宮の顔を窺うように尋ねる。
「取次ぎを致します。恐れながら、貴方様は──。」
「私か。私は中務卿宮だ。」
にっこりと笑った瞬間、門衛の顔が青ざめた。
「なっ……なっ……中務卿宮様でございましたか。と、とんだ御無礼を。」
門衛は慌ててその場に膝を着いた。
「ああ、良い良い。立ってくれ。姫も早く休みたいだろう。取次ぎを。」
中務卿宮は、穏やかな様子で言った。
「は、ははははははいっ。」
門衛は慌てて立ち上がると、取次ぎ役を呼びに走っていった。
中務卿宮が邸内へ案内されると、邸内はどこかざわざわと落ち着きがなかった。
「ひっ……姫様。どういうことです。中務卿宮様って……あれは鷹丸様では。」
真砂が紗世の着替えを手伝いながら、小声で尋ねた。
真砂は紗世に付き添って宇治へ行き、共に中務卿宮の邸に滞在していた。当然、鷹丸のことも知っている。
「私も、お主上に謁見している場で知ったの……。鷹丸様が、中務卿宮様本人だったの……。」
「んなっ……。」
真砂は顔を真っ青にし、両手で頬を押さえた。
「わ、わ、私たち、宇治で宮様を相手に……なんてことを……。」
「私もそう思ったけど、宮様は『私が嘘をついていたのだ。仕方なかろう。気にするな。』って仰っていて。」
「で、ですが。」
「私もそう思うけど、宮様が仰るなら、余計なことはせずに宮様の言う通りにしよう。」
紗世と真砂は、神妙な顔をして俯いた。
──
一方、中務卿宮は客間へ通され、茶を飲んでいた。
(姫君の元へ通うというのは、こんな感じか。)
中務卿宮は、庭や邸内を見渡した。
中務卿宮ともなれば、自ら出向くよりも、相手の方から訪ねてくることの方が多い。
ましてや、これまで通いたいと思う姫もいなかった。
想い人の邸を訪れるということが、初めてだった。
(少し緊張もしたが……なかなか良いものだな。)
上機嫌で茶を啜った、その時だった。
廊下を急ぎ足で渡ってくる音が聞こえた。
瞬く間に中務卿宮のいる部屋の前まで来ると、簾の外から声が落ちた。
「藤原兼成検非違使尉、中務卿宮様の御前にまかり越してございます。」
「入れ。」
兼成は部屋に入るなり、膝を着き、深々と頭を下げた。
「此度は、ようこそ当家へ。」
「うむ。頭を上げよ、藤原。」
「は。」
兼成はゆっくりと頭を上げた。
目の前には、先ほどまで紗世を送ってきた公達が座していた。
その男が中務卿宮本人だと知った瞬間から、兼成の胸には落ち着かないものがあった。
これまで、兼成が中務卿宮と直接言葉を交わす機会などなかった。
それが今、相手は自ら四条邸へ足を運び、兼成の前に座している。
何のために来られたのか。
その理由が分からないことが、かえって兼成を緊張させた。
「藤原兼成。」
「は。」
突然名を呼ばれ、兼成の背筋が伸びる。
中務卿宮は、穏やかな笑みを浮かべていた。
その穏やかさに、兼成はかえって身構えた。
相手の機嫌を損ねてはならない。
かといって、軽々しい言葉を口にすることもできない。
兼成は膝の上で手を重ね、指先に力を込めた。
「そなたの娘、姫のことで、少し話がある。」
「娘の、ことでございますか。」
「うむ。私は、以前より姫と面識があってな。」
「……以前より、でございますか。」
「宇治に滞在していた折、姫とは幾度か言葉を交わした。此度、都で再会できたことを嬉しく思っている。」
「左様でございましたか。」
「そこで、ひとつ頼みがある。」
「頼み、でございますか。」
「しばらくの間、私にも姫を訪ねることを許してもらえぬか。」
兼成は息を飲んだ。
「恐れながら……中務卿宮様は、姫をいかようにお考えでございましょうか。」
「私は、姫に好意を抱いている。」
兼成の背中に冷たい汗が伝った。




