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330/351

第330話 御前の再会

───二日後。


宮中。


紗世は、御簾の前に静かに座していた。


今日は、初めての参内である。


昨夜から何度も母に衣装を確認され、朝になってからは髪を整えられ、香まで焚かれた。


そして今。


「……苦しい。」


紗世は小さく呟いた。


「姫君。何を仰っているのです。これほど見事な御装束なのですから、少しくらい我慢なさいませ。」


傍らの女房が苦笑する。


「だって、重いんですもの。」


紗世は袖を少し持ち上げた。


今日はいつもの簡素な装いとは違う。


何枚もの袿を重ね、髪も美しく整えられている。


そして、髪には惟成から贈られた青緑の布の髪飾り。


それだけは、どうしても外す気にはなれなかった。


(……惟成、大丈夫かな。)


鬼討伐へ向かった惟成のことが頭をよぎる。


父の兼成も一緒だ。


本当なら、今日の参内にも父に付き添ってほしかった。だが、二人はまだ戻っていない。


(早く帰ってきてくれればいいんだけど。)


その時


「藤原の姫君。そろそろお時間にございます。」


命婦の声がした。


「はい。」


紗世は静かに姿勢を正した。


そして、御簾の向こうへ進む。


やがて案内された先で、紗世は息を呑んだ。


目の前には、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。


右大臣。


左大臣。


そして――


皇族の血筋と思われる品の良さが漂う公達。


紗世の視線が、ふとその男へ向く。


その瞬間。


「――え……?」


心臓が、大きく跳ねた。


(……鷹丸様?)


見間違えるはずがない。


あの顔。


あの目。


以前、自分を見つめていた時と同じ――あの切なげな眼差し。


(なんで!?)


紗世の頭の中が、一瞬で真っ白になる。


(鷹丸様は中務卿宮様の側近だったはず……。中務卿宮様が出席できないから、その代わり……?そんなことある……!?)


紗世は必死に平静を装った。


だが、どうしても気になる。


もう一度だけ、そっと視線を向ける。


やはり、鷹丸だ。


宇治で何度も顔を合わせた男。


自分を見つめていた、あの目。


(やばい。これ、絶対やばいやつだ。)


紗世の心臓が早鐘のように鳴る。


その時だった。


「中務卿宮よ。」


帝の声が響いた。


紗世は反射的に顔を上げた。


「そなたは――。」


「……はい。」


その男が静かに顔を上げる。


「――。」


紗世の思考が止まった。


帝は、目の前の男を見ている。


「そなたも、この姫について何か聞いておるのか。」


「はい。讃岐でうどんを考案した姫だと伺っております。」


その声。


その話し方。


紗世の顔から、すっと血の気が引いた。


(…………え。中務卿宮?今……帝が……中務卿宮って……言った?)


紗世はゆっくりと、その男を見る。


男は何事もなかったように帝へ答えている。


その姿は、間違いなく――


鷹丸だった。


(…………嘘。)


頭の中で、何かが崩れ落ちる。


(鷹丸様が……中務卿宮様……?)


「…………。」


紗世は固まった。


(嘘でしょ!!?鷹丸様が、中務卿宮様本人だったの!?)


そして、その瞬間。


宇治での日々が、一気に蘇った。


(あああああああ!!私、宮様相手にめっちゃ気安く話しかけてたじゃん!!料理作る時も「邪魔だから出てください」とか言ったし!!嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘!!!無礼にも程があるでしょ!!)


そして、はたと脳裏に蘇った。


鷹丸の真剣な眼差し。


『一目で恋に落ちたのだ。………帰したくない。』


(ッッはあああああああーーーっ!!!だめーーー!!今、思い出しちゃダメえええ!!!)


紗世は必死に顔を伏せた。


(私、宮様にあんなこと言わせてたの!?というか、普通に隣に座って話してたよね!?めちゃくちゃ気安く接してたよね!?宮様相手に!?)


頭の中が、完全に混乱していた。


そして、恐る恐るもう一度だけ視線を向ける。


鷹丸は、じっとこちらを見ていた。


「……。」


(見てる。めちゃくちゃ見てる!!)


紗世の背中に、冷たい汗が流れた。


だが、その頃。


鷹丸の胸中もまた、大きく揺れていた。


(待て……。)


目の前にいる姫。


藤原兼成の娘。


讃岐のうどんを考案したという姫。


(あれは……。)


鷹丸は、目を凝らした。


似ている。


いや。


だが、そんなはずはない。


三条は――


もういない。


自分の前から姿を消した。


そして、自ら鬼の妻になったのだと聞いていた。


(……藤原兼成の娘?まさか。)


鷹丸は紗世を見つめた。


だが、顔立ちだけでは確信できない。


年も同じくらい。


雰囲気もどこか似ている。


それでも、別人だと思うしかなかった。


――その時。


帝が紗世に問いかけた。


「では、そなたは何故、あのような麺を作ろうと思ったのだ。」


「はい。最初は、讃岐で手に入る小麦をどう使おうかと思いまして――。」


その声を聞いた瞬間。


鷹丸の瞳が揺れた。


(――――!)


胸の奥を、何かが貫いた。


その声。


その話し方。


少し考えてから答える時の間。


言葉を選ぶ時の癖。


そして――。


何よりも。


あの柔らかな声。


(……間違いない。)


鷹丸は息を呑んだ。


(あの声だ。あの話し方だ。――三条だ。)


何度も夢に見た。


何度も思い出した。


もう二度と聞けないと思っていた声。


それが今、目の前から聞こえている。


(生きていた。)


鷹丸の胸が、大きく震えた。


(あの姫が三条だ。間違いない!)


さっきまで胸を締め付けていた切なさが、一気に別の感情へと変わっていく。


喜び。


驚き。


そして――抑えきれないほどの想い。


(では……。あの噂は嘘だったのか。三条は、鬼の妻になどなっていなかった!!)


鷹丸は、思わず身を乗り出しそうになる。


だが、帝の御前。


そんなことは出来ない。


拳を膝の上で強く握る。


(もっと傍に行きたい。話したい。声を掛けたい……三条!!)


鷹丸の胸の奥から、堰を切ったように想いが溢れ出す。


(抱きしめたい。)


だが、それは叶わない。


今は帝の御前なのだ。


目の前にいるのに。


ほんの数歩先にいるのに。


触れることも声を掛けることも出来ない。


鷹丸は、ただ紗世を見つめるしかなかった。


その視線を感じながら。


紗世は、必死に帝の問いへ答えていた。


「……ですから、生地を何度も捏ねて、しばらく休ませてから――。」


(やばい。絶対気付かれてる。どうする?どうするの私!?)


紗世は表情を崩さないようにしながら、頭の中だけで悲鳴を上げていた。


一方。


鷹丸の胸には、たった一つの思いしかなかった。


(やっと……やっと、見つけた。)


もう二度と会えないと思っていた人。


もう二度と、その声を聞けないと思っていた人。


それが今。


帝の御前で、何事もなかったかのように話している。


鷹丸は目を伏せた。


そうしなければ、感情が顔に出てしまいそうだった。


(……三条。)


心の中で、その名を何度も呼ぶ。


そして――。


(今度こそ、離したくない。)


その想いだけが、胸の奥で燃え続けていた。

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