第329話 盤上の姫
───時は少し遡り、惟成達が鬼討伐に出立した日の午後
「姫君。内裏より命婦様がお越しにございます。」
栄が紗世に告げた。
「あ……参内の日取り、決まったのかな。お通ししてください。」
「かしこまりました。」
「命婦様って、なんでいつも、よりにもよって父上が居ない時に来るんだろ? 内裏や宮中関係は父上に相談したいのに……。」
紗世はため息をつきながら、命婦が待つ部屋へと向かった。
「藤原の姫君へ、お主上から参内の日取りを言付かって参りました。藤原の姫君には、明後日の巳の刻にて参内するようとの事でございます。」
命婦が恭しく頭を下げた。
「明後日の巳の刻、謹んで参ります。」
(結構急だなぁ。父上達が帰ってきてからが良かったのに……。)
紗世は不安を抱えながらも返事をした。
───夜・権大納言邸
「権大納言様。兼成の娘の入内は狙えそうでしょうか? どのような姫なのですか?」
中納言が伺うように聞いた。
「狙うもなにも……入内はもはや決定事項よ。」
権大納言が扇をゆらりゆらりと仰いだ。
「兼成の娘は、どの家門の姫も持たぬ才を持っておる。」
「才……でございますか?」
「そうだ。お主上の妃の条件と言えば血筋。しかし、血筋以外の選ばれる理由と言ったらなんだ?」
権大納言は中納言に扇を向けた。
「血筋以外……和歌の才、漢詩の教養、箏や琴の才、香合せ、書、重ね着の色合い、豊かな髪……などでしょうか?」
「そうだ。しかし、よく考えてみろ。それらの才がなんの役に立つ。宴で素晴らしい歌を詠む? 美しい音色を奏でる? それらが出来たところで何になる。自己満足で終わりではないか。」
「まあ……確かに……。しかし、女というのはそういうものではないですか? 大人しく淑やかに夫を引き立てる……そういった役では? それに、女というのは子を、特に男児を産んでくれれば役割は終わりでしょう。」
「ただの貴族の女なら、それで良い。しかし、帝の妃となるなら、ただの貴族の女と一緒ではダメなのだ。」
中納言は静かに聞いた。
「兼成の姫は……何を持っているのですか?」
「唯一無二の才よ。」
「唯一無二……?」
「常に流行を生み出し、流行の最先端に存在し続ける。女人共の憧れとなり得る。」
「ほう……。」
「そして、何よりも国を豊かにする才を持っておる。中納言よ。讃岐の話は聞いたか?」
「ええ。讃岐に新たに特産品ができ、それが朝廷へ献上されるほどのものだと。それを考案したのが兼成の娘なのですよね。」
「そうだ。だが、讃岐の話はそれだけではない。」
「え?」
「兼成の娘は、特産品の生産工場を作り、海賊だった者達をそこで働かせたのだ。海賊ほぼ全員が働くようになり、生産力が上がりそうだと。」
「そうなれば……税収は上がるでしょうね。」
「いかにも。さらに、税収を民から漏れなく徴収する制度も作ったとか。」
「そんなことまで!?」
「ああ。兼成の娘はなかなか頭が切れる。」
権大納言は扇を閉じた。
「……では、もう一度考えてみろ。和歌や音楽が見事、衣の合わせ、髪が見事と評判の姫と、悪を更生し、働く場所を与え、国の利益を上げる為に制度まで考える姫……国や民を思うお主上であるほど、姫を気に入るであろう。」
「確かに……。」
「今までに無い。しかし、誰よりもお主上に相応しい。」
中納言は黙って頷いた。
権大納言は、しばらく黙っていた。
そして、何気ないことを話すように口を開いた。
「……この姫は、使える。」
中納言が顔を上げた。
「使える……?」
「ああ。」
権大納言は扇の先で、畳を軽く叩いた。
「帝の御心を掴む。女人共の憧れを集める。国を豊かにする才を持つ。そして、式家の血を引いている。」
一つ。
また一つ。
紗世の持つものを数えるように、言葉を重ねていく。
「これほど都合の良い駒が、そうそう転がっているものではない。」
中納言は黙って権大納言を見つめた。
「駒……でございますか。」
「ああ。帝の御前に置く駒よ。」
権大納言は微笑んだ。
「そして、その駒から皇子が生まれる。」
「……皇子。」
「そうだ。」
権大納言の目が細くなる。
「式家の血を引く姫が帝の皇子を産む。その皇子が東宮となれば、式家の血は皇統へ繋がる。」
「そして、その御子が帝になれば……。」
「その時、朝廷の中枢に誰がおる?」
「……式家。」
「そうだ。」
権大納言は、満足そうに頷いた。
「かつて我らの祖が築いた地位を、再び取り戻す。」
「藤原北家が何百年と積み上げてきたものを、一つずつ奪い返す。」
その声には怒りも興奮もなかった。
ただ、当然そうなるものだと信じ切っている者の声だった。
「しかし……兼成は娘の入内に否定的だと。」
「ああ。」
権大納言の笑みが消えた。
「兼成は昔から出世や権力に興味を示さぬ奴だった。男として生まれたくせに……何ともつまらぬ男よ。」
「娘を帝の妃にできるというのに、それを拒むとは……。」
「拒ませぬ。」
権大納言は即座に言った。
「兼成がどう思おうと構わぬ。」
「姫本人が何を望もうと、それも構わぬ。」
中納言が僅かに目を見開いた。
権大納言は淡々と続ける。
「姫が帝の目に留まり、帝が望まれれば、それでよい。そうなれば、姫の意思など問題ではない。」
「……。」
「帝の妃となり、皇子を産む。」
権大納言は、まるで決められた手順を読み上げるように言った。
「それが、あの姫の使い道よ。」
中納言は返す言葉を失った。
「兼成の娘は、才がある。」
権大納言は庭へ目を向けた。
「だからこそ価値がある。美貌も、才も、血筋も、すべて式家のために使えばよい。そして、その腹から生まれた皇子もまた、式家のために使う。」
中納言の顔が強張った。
権大納言はそれに気付くと、ゆっくりと笑った。
「何を驚いておる。政とは、そういうものであろう。」
そして、権大納言は庭を眺めながら呟いた。
「明後日、ようやくその駒が盤上に上がる。どのような顔をしておるのか。どのような声で話すのか。………どれほど帝の心を動かせるのか。」
権大納言の目には、紗世という少女への興味などなかった。
あるのはただ、その少女がどれだけ大きな利益を生み出す駒になり得るのかという興味だけだった。
「楽しみだな。」
権大納言は、静かに笑った。
「式家再興のための、最初の一手だ。」
部屋の灯りが、大きく揺れた。




