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第288話 姫君の贈り物

───翌日


紗世は国衙の役人や三宅と共に、製麺所へ来ていた。


二日後に迫った市の準備や今後の生産、そして朝廷への献上品としての品質向上について、話し合うためだった。


「生産過程は問題なさそうですね。製麺所の人員も、道具も足りている。」


国衙の役人が製麺所の設備を確認すると、その後は細かな話し合いが始まった。


「生産量を増やすとなれば、製麺所も増やさなくてはならなくなりますが……何かあてはありますか?」


「品質についても基準を設けましょう。使う小麦の細さや、塩の品質は……」


「讃岐の献上品として朝廷へ申請するのは、うどんと素麺の二品で……」


「利益のうち、何割を職人の報酬にあてますか? 職人の生活を考えるなら、最低保証という制度を設けた方が……」


紗世は次々と出される議題に参加し、自分の意見を述べていった。


そんな紗世を見て、三宅や国衙の役人たちは目を丸くしている。


「源様から、紗吉殿は聡いと聞いてはおりましたが……。」


「ええ。聡いという言葉だけでは片付けられぬほどの頭の回転の速さですな……。」


そんな言葉も気にする様子なく、紗世は製麺所の者たちと次々に話を進めていく。


「よぉっし! 次は二日後の市の段取りと、役割分担を決めよー!」


紗世は元気よく片手を突き上げた。


すると――。


「すみません。紗吉殿はいらっしゃいますか?」


製麺所の入口に、どこかの邸の使用人らしき男が立っていた。


「はい。私ですが。」


紗世が進み出ると、男は一礼して言った。


「和気の姫君から、文を預かって参りました。」


そう言って、文を差し出す。


「文? 和気の姫君から?」


紗世は文を開いた。


そこには、


『お忙しいとは存じますが、当家へお立ち寄りいただけましたら幸いにございます』


と、流麗な文字で記されていた。


「えっと……姫君に『分かりました。夕刻前にはお伺いします』とお伝えください。」


「承知いたしました。」


使用人は再び頭を下げると、そのまま走り去っていった。


(なんだろ?)


その後ろ姿を見送りながら、紗世は軽く首を傾げた。



────夕刻前


紗世が和気邸を訪れると、奥の部屋へ通された。


そこには、すでに和気の姫君が待っていた。


「和気の姫君、お待たせして申し訳ありませ――」


紗世が言い終わる前に、和気の姫君は深々と頭を下げた。


「姫君!? どうされたのです!? 頭をお上げください!」


紗世は慌てて、和気の姫君を起こした。


「藤原の姫君様。今までの数々の御無礼、お許しくださいませ。」


和気の姫君は、落ち着いた声で詫びた。


「許すも何も、私が正体を隠していたんだから仕方ないですよ!」


「お許しいただけるのでしょうか……?」


「もちろんですよ! むしろ謝るのは私の方です。」


「え?」


「私のわがままで、讃岐の皆様を欺いていたのですから……。」


「わがまま……ですか?」


「はい……。」


紗世は少しだけ視線を落とした。


「私が讃岐に来た最初の理由は、海賊追捕でも、産業を興すためでもありません。ただ、惟成と離れたくなかった。それだけだったんです。」


少しの沈黙の後、和気の姫君が口を開いた。


「やはり……源様がお選びになった姫君ですわね。」


和気の姫君は、微笑みながら言った。


「私……源様のような殿方に、都にいるような、静かで人形のように微笑んでいるだけの姫君は勿体ないと思っておりましたの。」


姫君はゆっくりと庭へ視線を向けた。


「え?」


「そんな静かなだけの都の姫君よりも、私の方がふさわしいと思い上がっていたのです。」


そして、ゆっくりと紗世を見据える。


「しかし、源様がお選びになったのは、遠く離れた恋人を諦めるでもなく、ただ待つだけでもなく、自ら愛しい殿方の元へと赴く姫君でした。」


小さく息を吐く。


「最初は、ただ源様のお傍にいたかっただけなのでしょう?」


「……はい。」


「それなのに、讃岐へ来られてからは、新しい産業まで生み出された。海神様の加護を受けたという話まで広まっております。」


姫君は、柔らかく微笑んだ。


「敵うわけがありません。」


「そんな……」


「それと……私は知らなかったとはいえ、姫君の前で、源様と一夜を共にするなどと言ってしまいました。……お辛かったでしょう。」


「いえ……!」


紗世は慌てて両手を振った。


「和気の姫君の言動は、貴族の姫の振る舞いとして間違ってはいません。気にしないでください。」


「……ありがとうございます。」


和気の姫君は、ほっとしたように微笑んだ。


「お詫びと言ってはなんですが……こちらをお受け取りください。」


「え――?」


和気の姫君が合図をすると、女房たちがぞろぞろと部屋へ入ってきた。




────夜


「紗世。帰ったぞ。」


惟成が母屋へ入るなり、ぴたりと動きを止めた。


「紗世、それ――」


「……あ……うん……。」


そこには、飾り髪を結い、十二単をまとった紗世の姿があった。


「どうしたんだ、これは。」


惟成は紗世の隣へ腰を下ろした。


「うん。和気の姫君が……姫君なのに惟成の前では男装姿では勿体ないからって。」


紗世は少し恥ずかしそうに視線を逸らす。


「一度くらいは綺麗な衣を纏って、惟成を迎えてあげては? って言われて……。」


そして、ちらりと惟成を見る。


「すごく久しぶりで変な感じ……。私、おかしくない?」


惟成は、豊かに下ろされた紗世の黒髪をそっと掬った。


「おかしくない。」


そして、真っ直ぐに紗世を見つめる。


「綺麗だ。」


あまりにも真っ直ぐな言葉に、紗世の顔が一瞬で赤くなる。


「う……うん……ありがと……。」


「だいぶ、大人びたな。」


「え?」


「初めて会った頃は、お互い幼さが残っていた。」


初めて会った頃。


惟成はまだ背も高くなく、元服したばかりの初々しさが残っていた。


「初めて会った時のこと、覚えてる?」


「初めて……ああ。」


惟成は少し考えるように目を細めた。


「紗世に、源氏の君からの文を届けた時だな。」


「ふふ。そう。」


紗世も懐かしそうに笑う。


「あの時は、源氏の君になんて返そうか悩んでて……。」


「御息所様に内緒で、常陸宮の姫君の元へ一緒に行って欲しいというような内容だったか。」


「そう!」


紗世は頷いた。


「それで悩んでたら、惟成が『返事は、和泉殿が納得されてからで大丈夫です。私が、そう父にも伝えます』って言ってくれて……。」


紗世は懐かしそうに惟成を見た。


「すごく良い人だなぁって、第一印象、良かったんだよ。」


「俺は……そうだな。その時は、そこまでの印象はなかったが……。」


惟成は少し考えた。


「やはり、あれだな。牛車飛び降り事件からだな。」


「牛車飛び降り事件って言わないでよ。」


「怪しい牛車を追っていたら、突然、紗世が牛車から転がるように飛び降りてきて……あれは衝撃だった。」


「……忘れてよ。」


「無理だな。」


二人は顔を見合わせ、小さく笑った。


「初めて会ってから四年か。」


「うん。」


「四年あれば、見た目も変わって当然だな。」


「惟成なんて、頭二つ分くらい背、伸びたよね。体もがっちりして……。」


そこまで言うと、紗世は不意に真っ赤になった。


惟成はそんな紗世を見て、口元を僅かに緩める。


「お前……昨夜のこと、思い出したろ?」


「うるさいな!」


惟成は小さく笑うと、改めて紗世を真っ直ぐ見つめた。


そして、いつになく、静かな声が落ちた。


「紗世姫。」


「え?」


「都へ戻ったら、紗世姫の元へ三夜続けて通うことを許してくれますか?」


紗世は目を見開いた。


そして――。


「……はい。」


その目から、涙が一粒こぼれた。


惟成は、そんな紗世を優しく見つめる。


「私を夫として迎え入れてくださいますか?」


「はい!」


紗世は涙を拭いながら、笑った。


「紗世姫と共に、これからの人生を歩むことを許してくださいますか?」


「はい! もちろんです!」


紗世は、勢いよく惟成に抱きついた。


「私の方こそ、よろしくお願いします!」


惟成はそんな紗世を抱き締める。


讃岐で過ごした長い日々。


海賊との戦いも、幾度もの危機も、すべてを乗り越えてきた。


二人は今、ようやく――。


都へ戻り、夫婦となる未来を、疑うことなく信じていた。

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