第287話 生きてこそ
───海賊追捕本営
庭には、元讃岐守・中原為遠、中原の腹心・物部実資、その他十三名の武官が座らされていた。
庭に面する母屋の中央には、讃岐の筆頭豪族である和気経房が鎮座し、その横に海賊追捕使である惟成が腰を下ろしている。
「残念でなりませんよ。讃岐守様……いや、元讃岐守・中原殿」
経房が静かに口を開いた。
「……わ、私は! 私は讃岐守の慣習を踏襲していただけだ!!」
中原が叫ぶように言った。
「そ、そうだ! 我々も讃岐守様の慣習に携わる業務という認識だった! 悪いことはしておらぬ!」
物部も必死に保身を図る。
「我らが罪に問われるというなら……和気! 貴様は何の罪もないと言うのか!? 我らよりも長く讃岐の国政に携わりながらも、不正だという慣習に気付けなかったではないか!」
「……っく!」
経房は唇を噛んだ。
「確かに……私の落ち度でもある……。」
「中原。お前の行いには、悪意と私利私欲しか感じられん。和気殿にも落ち度はあったかもしれぬが、お前のそれとは比べ物にならん。」
惟成の声が落ちた。
そして、中原へ鋭い視線を向ける。
「そして、お前には殺人、物部と他十三名には殺人未遂の罪状もある。」
惟成は手元の書類へ目を落とした。
「中原、お前は自身の逃亡に対する捜査を撹乱するため、何の罪もない民の命を奪ったな。しかも、顔を潰すという残虐な手段まで用いた。」
惟成は、今度は物部へ視線を向けた。
「物部。他十三名も同じだ。海辺で私が直接、お前達の口から『殺せ』という言葉を聞いた。実際に弓や刀を向けられ、紗吉の上へ大岩を落とそうとしたことも見ている。」
物部たちは口を歪め、俯いた。
「税の横領については、今後、様々な証言と照らし合わせて真相を明らかにする。今日、お前達について申し立てる罪状は、殺人、殺人未遂、そして証拠隠滅だ。」
「………っ。」
「中原の財産については没収のうえ朝廷へ申し上げ、一部を殺された民の遺族への補償に充てるよう進言する。」
惟成は顔を上げ、中原や物部たちを見据えた。
「税の横領がなかったとしても、お前達の罪は重い。覚悟しておけ。」
「…………。」
その後も、断罪に関する確認と、今後の讃岐の国政についての会議は粛々と続いた。
海賊追捕使としての役目を終えつつある惟成にとっても、最後まで気を抜くことのできない仕事だった。
会議が終わった頃には、すでに夜も更けていた。
───深夜
惟成が仮住まいの邸へ戻ると、小さな蝋燭の明かりの下、文机に突っ伏して紗世が眠っていた。
紗世の周囲には、何度も書き直したと思われる紙や木札が散乱している。
「……?」
惟成は一つの木札を拾い上げた。
「木札に書いてあるのは……字、ではないな。……絵か?」
「んあ……惟成ぃ……いつ帰ってきたのぉ……?」
寝惚けた声とともに、紗世がむくりと身体を起こした。
「たった今だ。これは?」
惟成は散乱した木札や紙へ視線を落とす。
「これはねぇ、三日後の市で使うの。木札に書いたのは、うどんの値段とか、物々交換する場合に、うどん一杯と何をどれくらい交換するかとかを絵で書いたの。字が読めない人が多いから。」
「ほぉ。絵で、か。」
「こっちは製麺所の人達に対する指示書というか、手順書。これも、なるべく絵で描いたの。」
「……本当に、よく思いつくな。」
「市では忙しくなったら、私も自分の持ち場を離れられなくなると思うし。」
「ん?」
「ん?」
「待て。」
「え?」
「お前は、市に立つつもりか?」
「そのつもりだけど?」
紗世は、さも当然と言わんばかりの顔をした。
惟成は額に手を当て、項垂れる。
「お前は都の姫だと、皆知ったんだぞ?」
「水干姿で、紗吉という少年の姿でいるから問題なし!」
紗世は、ふんぞり返った。
「問題ありまくりだ、ばかたれ。お前が良くても、製麺所の者や市を管理する国衙の役人が気の毒だ。」
「えぇ〜……市でお見世やりたかったのにぃ。」
紗世は頬を膨らませた。
そんな紗世を見て、惟成は微かに笑う。
そして、片手で紗世の両頬をむにっと挟んだ。
「市へは俺と行こう。うどんの販売方法や売れ方の視察はしなければならんからな。」
「ふぇ……!?」
頬を掴まれたまま、紗世が間の抜けた声を出す。
「こぇなりと、おでかへっひぇこと?」
「そうだ……っ、くくっ……変な顔だな。」
「だぇのひぇいだと思っへんの!」
紗世は惟成の腕を掴んだ。
「もうっ!!」
紗世は惟成を睨みながら、その手を外した。
「惟成は? 追捕使のお仕事、終わった?」
「ああ。後は海賊船の押収と、海賊の消滅または不在についての報告書をまとめるだけだ。三日後の市までには終わる。」
「讃岐守の横領は?」
「それは讃岐の国政の話であって、俺の管轄ではない。まあ、手伝うくらいはするかもしれんが。」
「そっか! とりあえず無事終わりそうだね! 良かった!」
紗世は満面の笑みを浮かべた。
「何が無事に終わるだ。無事ではなかっただろう。」
惟成は、ため息混じりに言った。
「え?」
紗世はきょとんとした顔をする。
「何の考えもなしに海へ飛び込みおって。」
「……あ。」
「荒れ始めた海に飛び込むなど、自殺行為だ。」
「はい……。」
紗世は正座し直した。
「しかも、自分一人ではなく、幼子を抱えて泳ごうとは。無茶にもほどがある。」
「ごもっともで……。」
「俺は何度も、何度も、何度も、何度も! 無茶をするなと言ってきたはずだ。」
「返す言葉もございません……。」
「今回は虎徹すら手を出せなかったようだし、海神様がいなければ二人とも死んでいた。……実際、俺も死を覚悟したしな。」
静寂が落ちた。
「私も、覚悟した……。」
紗世は、ちらりと惟成を見る。
「こんなこと言ったら怒られるかもだけど……海の中で惟成に抱き締められた時は、このまま死んでもいいって……。惟成と一緒なら、死んでも悔いはないって……思った……。」
「………俺も、死んでも悔いはないと思った。」
紗世は顔を上げた。
しかし、惟成は少しだけ苦笑する。
「しかしな。今思えば、あの時死んでいたら……紗世の父上は、どうなってしまうだろうな。」
「……あ。」
紗世の胸に、父・藤原兼成の姿が浮かんだ。
日々、痛いほどに感じている父の愛情。
何だかんだと言いながらも、惟成との仲を認めてくれている。
そして何より、紗世の幸せを願っている父。
「色々と釘を刺されるが、俺は藤原検非違使尉様が……好きだな。紗世の父親というだけでなく、武官として、人としても尊敬している。」
「……うん。」
「俺達があの海で死んでいたら、あの人を悲しませることになっていた。」
惟成は静かに紗世を見つめた。
「あの人を悲しませたくない。そのためにも、紗世には毎日健やかに暮らしていてもらわなければな。」
「そうだね!」
紗世が笑う。
その笑顔を見つめながら、惟成はゆっくりと紗世へ近付いた。
「……ということで。」
「ん?」
「無茶をして、俺に心配をかけた罰は受けてもらうぞ。」
いつもの優しい笑顔。
その奥に、少しだけ意地悪な笑みが混じっていた。
「え?」
紗世の首筋へ、惟成の唇が落ちる。
「は? え? えっと……!」
「今夜は寝れると思うなよ。」
耳元で、熱を帯びた囁きが響いた。
「…………!」
紗世の顔が、一瞬で真っ赤になる。
そして――。
「ちょ、ちょっと待ってぇ……!」
深夜の仮住まいに、紗世の慌てた声が響いた。
────
「………っはぁ……。惟成ぃ……。」
紗世の頬は紅潮していた。
「なんだ?」
「も……だめぇ……無理ぃ……。」
紗世は両手を惟成の胸に置いた。
「多少、無理をさせなければ、罰にはならんだろう?」
惟成は、胸に置かれた紗世の手をそっと握る。
「無理、してるもん……っ。」
いつもの優しい惟成とは少し違う。
昼間、海の中で紗世を失いかけた恐怖。
もう二度と、その温もりを失いたくないという思い。
それらが、今夜の惟成をいつもより強くしていた。
「……反省したか?」
惟成は紗世の肩に額を預けながら、静かに尋ねる。
「反省……しましたぁ……っ!」
「……よし。」
紗世の顔が、ぱあっと明るくなる。
「では、あと二回だな。」
「反省してるって言ったのにぃ~……!」
「だから、あと二回で終わりにしてやると言っているだろう?」
「そういう問題じゃないのぉ……!」
紗世は涙目になりながら、惟成を睨んだ。
「惟成の体力ばかぁ……。」
「褒め言葉として受け取っておく。」
「褒めてないもん!」
惟成は小さく笑う。
その笑顔を見て、紗世もとうとう笑ってしまった。
海で死を覚悟するほど互いを心配した二人。
その夜は、そんな出来事が嘘のように、いつもの二人へ戻っていた。




