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第281話 偽りの亡骸

紗世と惟成が本営へ入る頃には、いつもの顔ぶれがすでに揃っていた。


昨日までの和やかな空気とは打って変わり、広間には朝の張り詰めた緊張が漂っている。


惟成が一歩前へ進み、居並ぶ者たちを静かに見渡した。


「皆、揃ったな。今日も、それぞれ任に当たってもらう。」


その一言だけで、広間の空気がぴんと引き締まる。


「まずは海賊船の押収だが、大伴。」


「は。」


「お前が指揮を執れ。船内を改め、荷が残っていたなら一覧を作り、しかるべき場所へ保管せよ。」


「承知いたしました。」


「次に経房殿。」


「は。」


「経房殿には私と共に、讃岐守の追捕に当たっていただきます。まずは港と関所を回り、目撃情報を集めましょう。その後、讃岐守邸へ向かい、不正税収の証拠となる文や帳簿が残されていないか調べます。女房や雑色、下人たちからも話を聞いてください。」


「承知いたしました。」


「そして三宅。」


「は。」


「お前は紗吉と共に国衙(こくが)へ向かえ。市や商いを司る役人を伴い、製麺所を視察してもらう。今後の売り方や利益、職人たちへの報酬について話し合ってくれ。」


「承知しました。」


三宅が頭を下げると、紗世も慌ててぺこりと頭を下げた。


「では、それぞれ――。」


惟成が話を締めようとした、その時だった。


廊下を駆ける激しい足音が近付いてくる。


板戸が勢いよく開かれ、一人の武官が転がり込むように広間へ飛び込んできた。


「会議中、失礼いたします!」


肩で大きく息をしながら叫ぶ。


「ただ今、港にて讃岐守様と思われる遺体が発見されました!」


「何だと。」


惟成は思わず立ち上がった。


「今朝、漁師が船を見回っていたところ、停泊している船と船の間に遺体が浮かんでいるのを見つけたとのことです。」


「しかし、今『讃岐守と思われる』と言ったな。」


惟成が眉をひそめる。


「確証がないのは、なぜだ。」


「それが……顔がひどく潰されておりまして……。顔では判別できず、背格好と身に着けていた衣から、讃岐守ではないかと……。」


広間の空気が一変した。


「顔を潰された……。」


経房が苦々しく呟く。


「何者かに殺されたということか。」


「……おそらくは。」


「都の中納言の手の者でしょうか。」


経房が惟成へ視線を向けた。


惟成はしばらく考え込み、ゆっくりと首を横へ振る。


「……いや、そうとも言い切れません。」


「なぜです。」


「中納言の手の者なら、遺体は放置しないでしょう。仮に口封じのために殺したとしても、遺体は隠します。讃岐守がまだ生きているように見せた方が、自らへ捜査の手が及ぶのを遅らせられますから。」


「なるほど……。」


経房は納得したように頷いた。


「しかし、讃岐守が殺されたとなれば、この不正を調べている我らも危ういのでは……。」


惟成は静かに頷いた。


「予定を変更します。」


視線を大伴へ向ける。


「大伴。」


「は。」


「海賊船押収の任は変わらん。ただし、紗吉を連れて行け。」


「紗吉を、ですか。」


「ああ。船内に残留品があれば、製麺所の職人たちに確認を取らねばならん。紗吉が間に入れば話も早い。」


「なるほど。職人たちも紗吉には心を開いておりますからな。」


「そういうことだ。頼むぞ。」


「お任せください。」


惟成は続いて紗世を見る。


「紗吉。」


「はい!」


「大伴の指示に従え。」


「はい!」


元気よく返事をする紗世に、小さく頷く。


今度は三宅へ向き直った。


「三宅。」


「は。」


「お前は讃岐守邸の捜索を任せる。不正税収に関わる帳簿や文、証拠となりそうな物は全て押さえろ。」


「承知しました。」


「あ、あの……源殿。」


経房がおずおずと口を開く。


「何でしょう。」


「その……紗吉様を、そのような危険な任へ就けるのは……。」


都の姫君と知ってからというもの、経房はいまだに紗世への接し方に迷いがあるらしい。


惟成は穏やかに首を振った。


「普通なら、私もそうします。しかし今は、一人で邸へ残しておく方が危険なのです。」


物部の一件を思い返すように目を細める。


「もし讃岐守が生き延びているなら、追い詰められた末に、最も狙いやすい紗吉へ手を伸ばす可能性があります。」


三宅も静かに口を開いた。


「追い詰められた者ほど、弱い者を狙いますからな。」


「そういうことだ。」


惟成は再び大伴を見る。


「頼んだぞ。」


「は!」


すると大伴は紗世へ向き直り、豪快に笑った。


「紗吉殿、よろしく頼みますぞ!」


「はい! こちらこそよろしくお願いします!」


その様子を見た惟成が、ふっと口元を緩める。


「紗吉は、こう見えてなかなか頭が回る。思いも寄らぬ考えを示すことも多い。」


「それは頼もしい!」


大伴は豪快に笑い声を上げた。


惟成は広間を見渡し、静かに締めくくる。


「では皆、それぞれの任へ当たってくれ。」


「はっ!」


一斉に返事が響き、それぞれが足早に本営を後にした。



──港。


雨上がりの空の下、港には重苦しい空気が漂っていた。


野次馬となった漁師や町人たちは遠巻きに様子を窺い、その中心には筵で覆われた一つの遺体が横たえられている。


惟成と経房は武官たちに迎えられ、その前まで歩み寄った。


「これが、発見された遺体です。」


武官が静かに頭を下げる。


惟成は頷き、しゃがみ込むと、筵の端をそっとめくった。


「……これは酷いな。」


隣では経房が思わず袖で口元を覆う。


そこに横たわっていたのは、顔が原形を留めぬほど無惨に潰された男だった。


衣は血と海水に濡れ、ところどころ裂けている。


「この衣は……。」


経房が目を細めた。


「讃岐守が普段からよく身に着けておられたものですな。」


「ええ。」


惟成も静かに頷く。


「私も、この衣には見覚えがあります。」


しばらく遺体を見つめていた惟成は、不意に男の手を取った。


ゆっくりと掌を裏返し、その指先まで目を向ける。


そして、小さく息を吐いた。


「……この遺体は、讃岐守ではありません。」


経房が目を見開く。


「何故、そう言い切れるのです。」


惟成は男の手を静かに持ち上げた。


「この手をご覧ください。」


経房も身を寄せる。


日に焼けた肌。


節くれ立った指。


掌には固い胼胝(たこ)が幾重にも刻まれていた。


「讃岐守は武芸を好まぬ文官です。筆を執る者の手は、もっと細く、荒れてはいません。」


そう言って遺体の手を静かに戻す。


「しかし、この男の手は違います。」


「……確かに。」


経房も頷いた。


「日に焼け、胼胝(たこ)も厚い。漁師か農民のような手ですな。」


「ええ。」


惟成は遺体を見下ろした。


「背格好や衣だけなら、確かによく似せてあります。」


「では……。」


「顔を潰したのは、恨みからではありません。」


惟成の声が低く響く。


「衣と体格だけで、我々に『讃岐守は死んだ』と思わせるためでしょう。」


その言葉に、その場の武官たちも息を呑んだ。


「つまり……。」


経房がゆっくりと言葉を継ぐ。


「讃岐守は、まだ生きている、と。」


「その可能性が極めて高いでしょう。」


惟成は立ち上がった。


「むしろ、この遺体がここにあること自体が、我々を欺くための仕掛けです。」


経房は腕を組み、深く息を吐く。


「では、港と関所の封鎖は解けませんな。」


「ええ。引き続き厳重に封鎖してください。」


惟成は港の沖を見渡した。


「讃岐守は、まだ讃岐から出られていないはずです。」


「ならば、潜伏先を探るしかありませんな。」


「情報を集め、一つずつ潰していきましょう。」


惟成は近くに控えていた武官へ向き直る。


「この近辺で行方不明になっている者がいないか調べてくれ。」


「はっ。」


「この遺体の身元も必ず明らかにしろ。」


 惟成は遺体へ静かに目を落とした。


「この者にも家族がいるはずだ。名も分からぬまま葬るようなことはするな。身元が判明したなら、必ず家族の元へ帰してやれ。」


「承知いたしました。」


武官は深く頭を下げ、駆け出していく。


惟成は再び遺体を見つめた。


讃岐守は、生きている。


ならば、必ずどこかで息を潜めている。


そう遠くないうちに、自ら尻尾を見せるはずだ。


惟成は静かに踵を返した。


「行きましょう、経房殿。」


「はい。」


二人は港を後にした。


雨上がりの空には、薄く陽光が差し始めていた。

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