第274話 十二年の偽り
「物部殿と、讃岐守邸の者達だと?」
三宅が思わず声を荒らげた。
「源様がおっしゃるには、海賊斡旋、海賊船の供与、海賊逃亡幇助の嫌疑だ。証人も連れて来ている。」
大伴はそう言って、部屋の隅に控える黒鷲達へ視線を向けた。
「それより、讃岐守様は見つかったのか?」
「いや、まだだ。」
三宅は重く首を振る。
「屋敷にも戻っておられぬ。使いを出したが、どこにも姿はなく、連絡も取れぬ。」
「つまり、そういうことだ。」
二人の背後から静かな声が落ちた。
和気経房である。
「物部らが捕らえられ、自分にも捜査の手が及ぶと悟り、逃げたのだろう。」
三宅は驚いたように振り返った。
「経房殿は、そのようなことをご存じだったのですか。」
「確証が得られるまでは口外せぬつもりでいた。」
経房は静かに答えた。
「讃岐守が都の中納言と結び、海賊を利用して利益を得ていた痕跡を掴んでいた。源様と二人で、密かに調べを進めていたのだ。」
「では……。」
三宅は思わず物部へ目を向ける。
経房も同じように視線を送り、小さく息をついた。
「どうやら、自ら証拠を差し出してくれたらしい。」
その言葉に、物部は唇を噛み締めたまま顔を伏せる。
「とにかく讃岐守を追え。まだ遠くまでは逃げておらぬはずだ。」
「はっ!」
武官達は一斉に本営を飛び出していった。
それと入れ替わるように、惟成と紗世が姿を現す。
「源様。」
三宅が歩み寄ろうとすると、惟成は軽く手を上げて制した。
「取り調べはもちろん行う。だが、その前に皆へ話しておかなければならぬことがある。物部らは庭へ移し、厳重に見張れ。」
「承知。」
惟成は今度は黒鷲達へ視線を向けた。
「お前達も同席しろ。今日の話は、お前達にも聞いてもらう。」
黒鷲は静かに頷いた。
やがて本営の会議室には、惟成、和気経房、三宅宗平、大伴景綱、黒鷲と製麺所の職人達、そして紗世が席に着いた。
ほどなくして武官達が戻り、さらに讃岐の豪族達も招集される。
会議室は人で埋まり、ざわめきが広がった。
惟成は全員の顔を見渡すと、静かに口を開いた。
「明日、海賊船を押収する。」
その一言で室内は静まり返る。
「そして、その押収をもって瀬戸内海海賊追捕の任を終える。」
その瞬間、再び室内がざわついた。
「終える?」
「海賊船を押さえただけではないか。」
「肝心の海賊は一人も捕らえておらぬではないか。」
口々に疑問の声が上がる。
惟成は慌てることなく答えた。
「海賊は、もう居ない。」
その一言に、会議室は水を打ったように静まり返った。
「……どういう意味ですか。」
三宅が問う。
惟成は黒鷲へ目を向けた。
「立て。」
黒鷲は静かに立ち上がる。
その姿を見た瞬間、三宅は息を呑んだ。
「黒鷲……!」
思わず立ち上がる。
「海賊の頭領、黒鷲ではないか!」
会議室がどよめく。
「源様、一体どういうことです。」
惟成は黒鷲の隣へ歩み寄った。
「確かに、この者は海賊の頭領であった。」
あえて過去形で言う。
その一言が、更なるざわめきを呼んだ。
惟成は静かに続ける。
「では、なぜ海賊になったのか。」
誰も答えない。
「もし、お前達が明日の食にも困り、家族を養う術を失ったなら、どうする。」
重い沈黙が流れる。
「盗みを働く者もいよう。」
「海賊になる者もいるかもしれぬ。」
小さな声が返ってくる。
惟成は頷いた。
「その弱みに漬け込んだ者がいる。」
そう言って経房へ視線を送る。
「経房殿。」
経房は机へ数冊の帳簿と書状を並べた。
惟成はその中から一枚を取り上げる。
「これは讃岐国、過去十五年分の税収だ。」
続いて別の帳簿を開く。
「こちらは同じ十五年間の全国平均、そして隣の阿波国の税収である。」
皆が身を乗り出す。
「十二年前から……。」
大伴が呟く。
「讃岐だけが大きく増えております。」
「そうだ。」
惟成は全国税収の頁を示した。
「この年は税収が減っているが、何があったと思う?」
「日照りです。」
「こちらは?」
「洪水。」
惟成は静かに言葉を継ぐ。
「朝廷は、その都度、税の軽減を命じていた。」
三宅が驚いたように顔を上げた。
「ですが……讃岐では、そのような触れは一度も……。」
「出されていた。」
惟成は淡々と答える。
「ただし、讃岐守は軽減を願い出なかった。」
「なぜ……。」
「税を減らそうとすれば、どの程度減らすべきかの監査が入る。」
その言葉に、部屋中が静まり返る。
「例年通り納め続ければ、監査が入ることはない。」
惟成は帳簿へ静かに指を置いた。
「監査を避けるため、足りぬ分を海賊による利益で補った。」
「……。」
誰も言葉を発しない。
「そのしわ寄せは、どこへ行く。」
惟成は一人ひとりの顔を見渡した。
「領民だ。」
誰かが絞り出すように答えた。
「その通り。」
惟成は頷く。
「税を納めても食えぬ。納めねば罪となる。では、人はどう生きる。」
重苦しい空気が部屋を満たす。
惟成は黒鷲へ目を向けた。
「生きるために海へ出た。」
黒鷲はゆっくり頷いた。
「儂らだけじゃねえ。」
低く響く声が会議室へ落ちる。
「漁師も、百姓も、皆そうだった。」
誰一人として口を開けなかった。
惟成は静かに結んだ。
「海賊を生み出したのは、この者達ではない。」
その視線が帳簿へ落ちる。
「海賊を生み出したのは、領民の苦しみを利用し、私腹を肥やした讃岐守と都の中納言、その二人だ。」




