第271話 刃を持たぬ者たち
⸻数日前
「しかし若造。」
製麺所の裏庭で、黒鷲が腕を組んだ。
「儂らが海賊を辞め、職人として暮らし始めたとする。」
「うむ。」
「もし讃岐守が儂らを襲ってきたらどうする。口封じの為に襲ってくる可能性はある。」
黒鷲は難しい顔で続ける。
「反撃すれば、あ奴らは『海賊に襲われた』と言い張るだろう。」
「その通りだ。」
惟成は静かに頷いた。
「だからこそ、海賊の武器を使うな。」
「……どういうことだ?」
「太刀も槍も捨てろ。」
黒鷲は眉をひそめる。
「では何で戦う。」
惟成は近くに立て掛けてあった鍬を手に取った。
「これだ。」
「鍬?」
「黒鷲。」
惟成は鍬を構えた。
「かかって来い。」
黒鷲は半信半疑のまま木刀を振り上げる。
一歩踏み込んだ、その瞬間。
惟成は鍬の柄を滑らせるように動かし、黒鷲の足首へ引っ掛けた。
「うおっ!」
足を掬われ体勢を崩した黒鷲の喉元へ、鍬の刃先がぴたりと止まる。
「……。」
黒鷲は思わず目を見開いた。
惟成は小さく笑う。
「鍬は土を起こすだけの道具ではない。相手を引っ掛け、崩し、押さえ込む。武器としても優秀だ。」
惟成は鍬を下ろし、今度は近くに置いてあった投網を持ち上げる。
「それから、これ。」
「網?」
「敵へ被せれば動きを封じられる。」
そう言うと惟成は近くの木へ投網を放った。
網は枝へ絡みつき、一瞬で木全体を覆う。
「弓兵なら、これだけで終わる。」
黒鷲は思わず唸った。
「なるほど……。」
「海賊には見えず、しかも十分戦える。」
惟成は静かに頷く。
「職人なら、職人らしく戦え。」
⸻
惟成はゆっくりと現実へ意識を戻した。
黒鷲は鎌を肩から下ろし、不敵に笑う。
「若造。教わった通りに戦えばいいんだろう?」
惟成も小さく笑みを返した。
「ああ。存分に見せてやれ。農具が、武器になるところを。」
その一言と共に、鍬や鋤を握る男達が一斉に前へ出た。
投網を持つ漁師達は左右へ散開し、銛を構えた者達が黒鷲の両脇へ並ぶ。
物部や男達の笑みは、もう消えていた。
「おっ……お前は海賊の頭領、黒鷲ではないか!?」
物部が黒鷲を指差し、声を荒げた。
黒鷲は鎌を肩へ担いだまま、面倒そうに肩を竦める。
「海賊? 頭領? 何の話だ。」
そう言って鼻で笑った。
「儂は、ただの製麺職人だが?」
「とぼけるな!」
物部は青筋を浮かべて怒鳴った。
「海へ出ろとの命令を無視しおって! お前達の海賊船を誰が用意したと思っている!」
なおも怒りは収まらない。
「お前達がこの十年、捕まらなかったのは誰のおかげだ! 誰が逃げ道を――」
そこまで叫んで、物部ははっとした。
慌てて口を押さえる。
しまった。
そう思った時には、もう遅かった。
惟成が静かに物部の正面へ歩み出る。
「……海賊が、この十年捕まらなかったのは。」
低い声が静かに響いた。
「誰のおかげなのですか。」
物部は答えられない。
惟成は小さく頷いた。
「十分です。」
太刀を静かに持ち上げる。
「物部実資。海賊への指図、海賊船の供与、海賊逃亡の幇助、以上の嫌疑により、追捕使の権限をもって貴様を捕縛する。」
物部の顔から血の気が引いた。
「う……。」
しかし次の瞬間、その顔は狂気にも似た焦りへ変わる。
「何をしておる!!」
声を張り裂けんばかりに怒鳴った。
「源も紗吉も! ここにいる者を一人残らず殺せぇぇぇぇ!!」
その叫びと同時に、男達が一斉に太刀を振り上げた。
「かかれぇっ!」
その時だった。
「源八! 弥助ぇ!」
黒鷲が怒鳴る。
「今だ!」
バサァッ!!
大きく広げられた投網が空を覆い、三人の弓兵へ降り注いだ。
「ぐっ!」
「何だこれは!」
「網が鎧に絡んだ!」
網は弓だけでなく腕や足にも絡み付き、三人は身動きが取れなくなる。
「若造!」
黒鷲は鎌で敵の太刀を受け止めながら叫んだ。
「弓は潰したぞ!」
惟成は短く頷く。
「十分だ。」
弓兵を失ったことで、物部の男達は一斉に黒鷲達へ向きを変えた。
惟成の強さは、先程までの戦いで十分すぎるほど思い知らされている。
真正面から斬り結んでも勝ち目はない。
そう判断したのだ。
「百姓風情が!」
男が鍬を持つ漁師へ斬りかかる。
しかし鍬の柄が太刀を受け止め、そのまま足首を引っ掛けた。
「うわっ!」
男は体勢を崩し、砂浜へ転げ落ちる。
別の場所では鋤が太刀を弾き飛ばし、鎌が袖へ絡み付く。
「何だ、この戦い方は!」
「攻撃が読めん!」
普段相手にしてきた武士とは、あまりにも違う。
その一瞬の戸惑いを、惟成は見逃さなかった。
白兵戦の中を風のように駆け抜ける。
踏み込み、かわし、浅く斬る。膝、脛、足首。致命傷は与えない。
だが立ち上がることもできない。
男達は次々と地面へ崩れ落ちていった。
「は……。」
黒鷲は思わず口元を引き攣らせる。
「海の上でも化け物だと思ったが……陸では、もっと化け物だな……。」
惟成は太刀を払うことなく次の敵へ向かった。
「殺すな!」
静かな声が戦場へ響く。
「全員、生かして捕らえろ!この後、十年分の罪を自白してもらう。」
その命令に、黒鷲達も声を揃える。
「おうっ!」
鍬を持つ者は峰で打ち据え、鎌を持つ者は足を払う。
誰一人として、とどめを刺そうとはしなかった。
だが、その戦いを冷ややかに見つめる男が一人いた。
(……勝てるものか。)
物部の配下の一人である。
(あんな化け物へ正面から向かうなど愚かだ。)
戦場の喧騒へ紛れ、男は静かに後退した。
(物部様は短絡的すぎる。だから出世もできぬ。)
男は岩壁へ這う蔦を掴み、音もなく崖を登っていく。
やがて崖の上へ辿り着くと、眼下を見下ろした。
そこには岩壁を背にする紗吉の姿。
男の口元が歪む。
(あの小僧は確実に殺せるとして、これで何人かは殺せるだろう。……仲間も死ぬかもしれんが。)
周囲を見回す。
人の胴ほどもある岩が、崖の縁へ半ば乗り出していた。
男は両腕を回し、渾身の力で押す。
ミシ……
岩壁が軋む。
さらに押す。
バキッ……
乾いた音と共に、地面に大きな亀裂が走った。
男はその裂け目へ太刀を深々と突き立てる。
ガッ――!
その瞬間。
バキバキバキバキッ!!
崖が大きく崩れ始めた。男は後ろへ飛び退き崩れゆく崖を眺める。
巨大な岩塊と無数の岩片が、紗世目掛けて轟音と共に降り注いだ。




