第265話 新たな拠点
───本営
「源様、今なんとおっしゃいましたか?」
讃岐守の声が、心なしか震えていた。
「あと十日ほどしても海賊の動きがなければ、海賊船を押収すると申し上げました。」
惟成は淡々と答える。
「海賊船を押収? しかし、海賊船はどこにあるのですか?」
「海賊船の在処は突き止めました。先に海賊達の住処を見つけたのですが、既に海賊は一人も残っておりませんでした。数日、部下をその周辺に潜ませましたが、海賊が戻ってくる様子もなく、海賊船も手入れもされず放置されたままだと報告を受けています。
海賊が海賊船を置いて姿をくらませたのであれば、今のうちに押収するのが得策かと。」
「いや……しかし、源様……!」
讃岐守の挙動は、誰の目にも明らかに不自然だった。
「私も源様のお考えに同意しますが……。讃岐守様は何かご懸念でもおありなのですか?」
和気経房が首を傾げる。
「い、いや……そういう訳では……。ただ、ここ数週間海賊が現れなかったというだけで、海賊が居なくなったと判断するのは……。」
「ですから、海賊船を押収するのです。仮に海賊が戻ってきたとしても、船が無ければ海賊行為はできません。
それに海賊船は性能の高い船です。数隻押収できれば讃岐国の財にもなり得ます。喜ばしいことではありませんか?」
惟成は静かに讃岐守を見た。
「ま、まあ……そうだな……。しかし最近は時化や嵐もあった。時期的に海賊が動きづらかっただけかもしれぬ。私の予想では、次に天候が良く風も穏やかな日に海賊は現れる!」
「長年海賊を見てこられた讃岐守様のお言葉なら、その可能性もあるでしょう。しかし、もし十日以上海賊が現れなければ、予定通り海賊船を押収します。」
惟成が見据えると、讃岐守もじろりと睨み返した。
(おそらく黒鷲に海賊船を出せと脅しにかかるだろうな。讃岐守が連絡係を黒鷲のもとへ向かわせ、口頭で指示を伝えると言っていたが……。)
惟成の口元がわずかに緩む。
(今回は、連絡係が来たら徹底的に逃げ回ってやると、黒鷲が楽しそうに言っていたな。)
黒鷲を必死に追い掛け回すものの、まるで捕まえられない連絡係の姿が脳裏に浮かび、吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「私はまだ他の仕事があるので、今日はこれで失礼する!」
そう言って讃岐守は足早に部屋を出て行った。
「なんだぁ? 讃岐守様、随分機嫌が悪そうだったな。海賊船を押収できりゃ、かなりの手柄だと思うが。」
今まで惟成と共に海賊討伐の最前線に立ってきた大伴景綱が、首を傾げながら声を掛ける。
「さあ。讃岐守様なりに何かお考えがあるのでしょう。」
「何か、とは?」
「そこまでは。」
短く答えると、今度は経房が近づいてきた。
「源様。少し、よろしいですかな。」
惟成は頷き、経房の後に続いた。
───
「やはり、讃岐守様は慌てておりましたな。」
「ええ。海賊へ命令を下すと同時に、都の中納言や海賊行為に関わる者達へ、今頃は急ぎの文を書いている頃でしょう。」
「このまま海賊が姿を消し、海賊船を押収して終われば一番良いのですが……。」
「海賊で得た利益がどこへ流れ、何に使われていたか。その規模次第でしょう。小さければこれで終わりますし、大きければ、まだ一悶着あります。」
経房は静かに頷いた。
「そういえば源様。以前、讃岐守様が海賊に関与していると分かった時、本営では我々の動きを勘付かれる恐れがあると仰っていましたな。」
「ああ。そうでした。」
「ここは私の邸でもありますから、私が出ることは難しい。しかし源様のために、本営の外へ小さいながら邸を一つ用意しました。」
惟成は目を見開いた。
「本当ですか?」
「ええ。昔、豪族が住んでいた邸です。掃除と手入れは済ませてあります。この離れより、よほど動きやすいでしょう。」
「ありがたい。讃岐守様の出入りが多い本営より、その方が策も立てやすい。」
「そう言っていただけると思いました。すぐにでも移れます。明日にでもいかがです?」
「ええ。そうします。それと、こちらで使っている馬を二頭ほど移しても?」
「もちろんです。今後、黒幕についてのお話は私がそちらへ伺いますので。」
経房は意味ありげに笑った。
───夜・離れ
「紗世。今夜中に荷をまとめろ。」
その一言に、紗世の背後へ見えない雷が落ちた。
「え!? え!? なんで!? なんでそんなこと言うの!? 私、惟成から離れないって言ったじゃん! 惟成のばかぁぁぁ!!」
涙目で訴える紗世に、惟成はこめかみを押さえた。
「すまん。言葉が足りなかった。」
紗世はぴたりと止まる。
「明日、俺達の住まいを移す。この離れを出て、本営の外にある、昔豪族が使っていた邸へ移る。」
「……へ?」
数秒遅れて理解が追いつく。
「引っ越すってこと?」
「そうだ。ここでは人の出入りが多すぎて、水面下で動くには不都合だからな。」
紗世の顔が一瞬で明るくなった。
「そのお邸に行くのって……私と惟成だけ?」
「そうだ。和気様からは護衛や身の回りの世話のため、使用人を何人か連れて行けと言われた。」
「うん。」
「だが、その使用人が讃岐守様と繋がっている可能性も否定できん。だから、向こうへ連れて行くのは紗吉だけだと伝えてある。」
(普通のお家で……惟成と二人きり……。これって同棲じゃん!!)
紗世の頬が、見る見る緩んでいく。
「紗世……何をニヤニヤしている。気持ち悪いぞ。」
「えぇ〜? だってぇ、ここだといつ誰が離れへ来るか分からなくて、ずっと気を張ってたじゃない? でも、お邸ならその心配がないんだよ!? すっごく気が楽!」
「……それは俺も同じだ。」
惟成は小さく笑った。
「すぐ荷物まとめるね! 明日は何刻くらいに行く?」
「急ぐ必要もない。朝餉を済ませてからで十分だ。」
「やった! 早く行こ!」
そう言った、その時だった。
「しっ。」
惟成が素早く紗世の口を片手で塞ぐ。
ザッ……ザッ……ザッ……
誰かが離れへ近付いてくる足音。
そして――
コン、コン。
離れの戸が叩かれた。
「……どうぞ。」
惟成の少し冷たい声が落ちる。
誰が来たのか、最初から分かっていたようだった。
カタン。
戸が開く。
そこに立っていたのは――
和気の姫君だった。




