第263話 海賊と職人
「紗吉、何か作れるか?」
惟成が紗世へ視線を向けた。
「素麺とうどんの麺って、今どれくらいありますか?」
紗世が近くにいた源八へ尋ねる。
「ここにいる皆が食うくらいなら余裕であるぞ。茹でるなら火を用意するか。」
「はいっ!お願いします。暑いし、今日は冷たい方が良いですよね。」
「お、じゃあ俺は付け汁を作るか。」
「それなら俺は生姜やネギ、薬味の準備をしよう。」
「干物があるから、干物も焼くか。」
他の海賊達も、それぞれ自然に動き始めた。
惟成はその様子をしばらく眺めていたが、ふと小さく呟いた。
「……紗吉の指示がなくとも、村人達は動けるのだな。」
「え?」
「もう、お前一人が教えるだけの段階ではないということだ。」
紗世は村人達の方を見て、小さく笑った。
「皆、職人気質なんですよ。誰かが言わなくても、自分で考えて動いてくれるんです。」
「……追捕使。」
低い声が横から落ちた。
いつの間にか黒鷲が惟成の隣に立っていた。
「なんだ。」
「少し、いいか。」
黒鷲が顎を動かす。
惟成は小さく頷き、その場を離れた。
─────
「お前、黒幕を突き止めたと言ったが……本当に分かったのか?」
「讃岐守と都にいる中納言だろう。」
黒鷲は小さく笑った。
「讃岐守だけでなく、都の貴族が関与しているのは何となく分かっていたが……中納言か。そこまで突き止めたとは。流石だな。」
黒鷲は惟成を見据えた。
「儂らが海賊から足を洗って……本当に無事に済むと思うか?」
「ここ二週間、海賊の活動がなかったな。上から海賊として動け、との命令は無かったのか?」
「……一度あった。しかし、時化が来そうな時だったのもあって断った。そろそろ再び命令が来るだろう。」
「無視しろ。」
黒鷲が眉を上げる。
「なに?」
「無視し続けろ。」
「簡単に言う。」
「簡単な話だ。」
惟成は黒鷲を見た。
「黒鷲が命令に従わなかったからと言って、讃岐守達が表立って言うことは出来ん。自分達の不正が露見する危険があるからな。」
黒鷲は黙った。
「……しかし、無視し続ければ儂らだけでは済まん。以前、家族に害が及ぶと脅された。」
惟成の目が細くなる。
「ならば尚更無視しろ。そして今後一切、海賊行為はするな。この村を職人集団の村として周囲に認知させろ。うどん作りに集中しろ。」
「どういうことだ?」
「お前達の家族に危害を加えられるのは、『海賊の家族』という名目があるからだ。だが、『善良な職人の家族』ならば手は出せん。」
「しかし、儂らは海賊船をそいつらから与えられているのだぞ?」
「それが何だ。」
黒鷲が眉を寄せる。
「海賊は船を讃岐守や朝廷の役人から与えられた、と公になったら、どちらに非難が向くと思う?」
「……讃岐守や役人だな。」
「そういうことだ。」
この時、惟成の脳裏には一人の人物が浮かんでいた。
藤原兼成検非違使尉。
紗世の父。
娘を溺愛し、惟成に異常な程に釘を刺してくる親バカ。
しかし、検非違使尉としての仕事振りは尊敬していた。
賀茂祭──
惟成が警護配備で頭を抱えていた時、兼成の存在が惟成を支えた。
その時に、「自分が責任を取れるように、現場を仕切る」ということを教わった。
今回も同じだ。
「職人を護る」という責任が負えるように環境を作っていく。
そう考えた。
そのためには、まず「海賊行為」が讃岐から無くならなければならない。
「とにかく、上からの命令があっても動くな。海賊船にも近づくな。それがお前達と、その家族を護る最良だ。」
黒鷲はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくり口を開く。
「もし、上から儂に命令が来たら……お前に伝えた方が良いか?」
「そうしてくれると助かる。」
惟成の口元が僅かに緩む。
黒鷲の口の端もまた、僅かに上がった。
「ところで。」
黒鷲の表情から、先程までの鋭さが消えていた。
「紗吉は、お前に仕えて四年と言ったか。」
「そうだが?」
惟成は首を傾げる。
「紗吉は、いつから紗吉になったんだ?」
黒鷲はニヤニヤとした顔で言った。
「質問の意図が分からんのだが。」
惟成は眉間に皺を寄せる。
「紗吉……あれは女だろう?」
惟成の肩が微かに動いた。
「儂は気付いているがな。他の奴らは、あれが女だとは思っておるまい。」
「…………。」
「四年仕えているというのは、お前の女房としてか? それとも、紗吉という使用人として四年も仕えているのか?」
惟成は小さく息を吐いた。
「……あれは女房でも使用人でもない。都の四条の邸に住む姫君だ。あいつが仕えていたのは、六条御息所様という前皇太子妃だ。」
黒鷲は目を丸くした。
「おいおい……つまり、そこそこ良いとこのお姫様ってことか?」
「まあ……そうなるな……。」
惟成は視線を逸らした。
「ぶはっ!!」
黒鷲は盛大に吹き出した。
「良いとこのお姫さんが、水干姿で馬に乗って、うどん作って……嘘みたいな話だな!!」
「俺も嘘であって欲しいと思った……。」
諦めにも似た表情を浮かべる惟成を見て、黒鷲はさらに笑う。
「まさか、仕えているのではなく……もしかして……恋仲か!!?」
「…………。」
沈黙。
黒鷲は腹を抱えて笑った。
「ははははははは!! お前を、お堅い貴族の坊ちゃん追捕使かと思っていたが……ははははは!! まさか、お前の女が……。お前に対して一番、想像を遥かに超えたのが、これか!! ははははは!!」
惟成は何とも言えない顔をしていた。
「お前に追捕使の任がおりて、一緒に讃岐に来たのか?」
黒鷲は涙を拭いながら言った。
「……都にいつ戻れるか分からんから、俺の事は待つな、忘れろと文を送ったら……『待つなんて無理』と言って、馬の練習をして、讃岐まで来た。」
黒鷲は再び弾けるように笑った。
「ま、待つな忘れろと言われたら……普通は諦めるだろ……!! それを無理って……だから追って来たって……はははは!!」
「そんなまでして讃岐まで来たんだ。追い返せるわけがないだろ。」
「……愛されておるなぁ、若造。」
惟成の頬が僅かに赤くなる。
「お前の女は、都の貴族らしく慎ましやかで、男のやる事に口を出さず、何を言われても微笑むだけの姫君かと想像していたが……そうかそうか。しかし、お似合いと言えば、これ以上なくお似合いだ。」
「……もう、この話はいいか?」
惟成が小さく呟く。
───ガシッ。
黒鷲が惟成の肩を組んだ。
「分かった、安心しろ。紗吉の正体がバレぬよう、儂が見ておく。……今日、一緒にここへ来たのも、視察など理由半分で、紗吉が男に囲まれていることでも知ったからだろ?」
「黒鷲……。」
惟成は口元を引き攣らせた。
「そりゃ心配だな。夏は上半身裸の男達の中に、自分の女がいると知ったら、儂でも気が気ではない。」
黒鷲は肩を組んだまま笑う。
そして、惟成にだけ聞こえるような声で囁いた。
「で? 夜はどうなんだ?」
「は?」
「紗吉から、主とは離れで共に寝起きしていると前に聞いたぞ。周囲の者には意外とバレないものか?」
「何を言っている?」
「年頃の、しかも恋仲の男女が同じ部屋で毎日寝ているのなら、他にやる事はあるまい?」
惟成は小さく息を吐いた。
「同じ離れでも、間に几帳を置き区切っている。」
「そんなもの、いつでも退かせるだろ。」
惟成は目を逸らした。
「おいおい……まさか……嘘だろ?」
「何がだ。」
「何もしてない、とか言うなよ?」
「何もしておらん。」
「何してるんだ、お前ええええええ!!! ……いや、何もしてないのか!?」
「うるさいな。」
「儂だったら、好きな女と同じ部屋なんざ……二日で我慢の限界だぞ。」
「忍耐が足りんな。」
「いや、お前がおかしい。」
黒鷲は呆れたように笑った。




