第262話 追捕使と海賊とうどん職人
「今日も例の漁村へ行くのか?」
朝餉の汁物を口に運びながら、惟成が静かに尋ねた。
「え?うん……。」
紗世は少し気まずそうに答える。
「今日は俺も行く。」
「え?」
紗世は顔を上げた。
「俺も一緒に行く。」
「ほんと!?」
ぱっと表情が明るくなる。
「今日はね、素麺の乾麺組とうどん組、二つに分かれて作業しようって話になってるんだ。」
「結構、組織化してきているんだな。」
「全部で五、六十人くらいいるみたいだから、分業した方が効率がいいかなって思って。」
「まあ、それはそうだろうな。」
惟成は頷いた。
「うどんも素麺も都には無い食い物だ。上手く形になれば、朝廷への献上品になり得るかもしれん。」
「えっ、本当に!?」
紗世の目が輝く。
「そんなこと聞いたら、みんな絶対喜ぶよ!」
そう言うなり立ち上がる。
「早く行こ!」
惟成は思わず苦笑した。
「まだ支度も終わっていないだろう。」
「急がないと!」
紗世は慌てて支度を始めた。
───
いつもなら徒歩で向かう漁村への道。
今日は惟成と並んで馬を進めていた。
「……本当に馬に乗れるようになったんだな。」
惟成が感心したように言う。
「だから言ったでしょ?ちゃんと練習したんだから。」
紗世は得意げに胸を張った。
「都から讃岐まで来た時より上手くなったよ?」
「それは認める。」
「えへへ。」
村が近付く。
作業をしていた男が顔を上げた。
「お?紗吉坊じゃねえか!」
男が目を丸くする。
「どうしたどうした!今日は馬なんか乗って!お貴族様みてぇじゃねえか!」
紗世はひらりと馬を降りた。
「今日は私がお仕えしてる主も一緒なんです。うどん作りを見てみたいって。」
「あっ、こりゃどうも!」
男は慌てて惟成へ頭を下げた。
「そんなに頭を下げなくていい。」
惟成は静かに言う。
「少し見に来ただけだ。いつも通りにしていてくれ。」
だが、惟成は妙な違和感を覚えていた。
紗世と惟成は馬を引き、村の中心へ向かう。
「おーい!紗吉坊の主様だぞ!」
「貴族様だ!」
その声に、村人達が一斉に頭を下げた。
「いや……だから……いつも通りで良い……。」
惟成は額を押さえる。
「大丈夫です!」
紗世が慌てて言った。
「私の主は無表情ですけど、怒ってたり不機嫌なわけじゃないんです!」
「……おい、紗吉。」
「この顔が平常運転なんです!怖くないです!」
村人達がどっと笑った。
「誰か来ているのか?」
背後から低い声。
「あっ。」
紗世が振り返る。
「黒のおにーさん!」
そこには片目に傷を持つ大柄な男が立っていた。
「黒の旦那!」
村人達の声が上がる。
「今日は私が仕える主を連れてきたんです!」
紗世は嬉しそうに言った。
「うどん作りを見てみたいって。」
「紗吉の主……?」
黒の男が惟成を見る。
「…………。」
惟成もまた、男を見る。
沈黙。
しばしの間。
風の音だけが流れる。
そして。
「……っ!!」
黒の男の目が見開かれた。
「追捕使の若造!!!!」
ほぼ同時。
「黒鷲!!!!」
惟成の声が響く。
ざざざざっ!!
村人達が一斉に惟成から距離を取った。
惟成も姿勢を低くし、抜刀の構えを取る。
再び沈黙。
誰も動かない。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「あれ?」
紗世だけがきょとんとしていた。
「知り合い?」
「若造!!」
黒鷲が惟成を睨みつける。
「なぜここが分かった!!」
「私は私の従者がうどんを教えている村があると聞いたから、様子を見に来ただけだ。」
惟成は抜刀の構えを保ちつつも、淡々と答えた。
すると今度は黒鷲が紗世を見る。
「紗吉!!」
「はい!?」
「お前、儂が誰か知っていたのか!!」
「え?」
紗世は目をぱちぱちさせる。
「黒のおにーさんは黒のおにーさんじゃないの?」
「この男は海賊の頭領、黒鷲だ。」
惟成が呆れたように言う。
「そして、ここにいる者達は………海賊だ。」
「…………え?」
数秒。
思考停止。
「ぅえええええええええええええーーーーーーーっっ!!!!!?」
紗世の絶叫が漁村中に響き渡った。
────
惟成はゆっくりと太刀から手を離した。
「……どういうつもりだ?」
黒鷲が片眉を上げる。
「お前達は武器を持っていない。」
惟成は村人達を見回した。
石臼。
篩。
干された麺。
小麦粉まみれの手。
「今の私には、ただ漁村で暮らす者達にしか見えぬ。」
そう言って、腰の太刀を外した。
黒鷲の目が細くなる。
「お前は馬鹿か?」
「何がだ。」
「武器を持っていなくとも、こちらは十数人いる。」
「今ここで私を殺したとて、お前達に何の得がある。」
惟成は淡々と言った。
「むしろ、この村の存在が露見するだけだ。朝廷に追われることになる。お前達にとって不利益しかない。」
一拍。
「それくらい、お前なら分かっているだろう。黒鷲。」
紗世は二人を交互に見た。
「紗吉。」
黒鷲が呼んだ。
「は、はい!」
思わず背筋が伸びる。
「改めて聞こう。」
黒鷲の声が落ちる。
「お前の主は何者だ?」
「えっと……瀬戸内海海賊追捕使を兼務されている左兵衛尉、源惟成様です!」
紗世は胸を張った。
「仕えて四年になります!」
「お前が、その主をここへ連れてきた理由は?」
「惟成様は私がうどんや素麺を作っていることをご存知なんです。」
紗世は真っ直ぐ答えた。
「うどんも素麺も都には無い食べ物です。もし上手くいけば、この村の特産品として朝廷への献上品になるかもしれないって言ってくださって。」
「献上品……?」
「お、俺達が作ったものが……?」
村人達がざわつく。
黒鷲が口の端を上げた。
「追捕使の若造。」
「なんだ。」
「海賊が作った物など、献上品にはできんだろう?」
惟成は黒鷲を見た。
「……海賊がどこにいる?」
「なに?」
「私が今見ているのは、漁村で暮らすただの村人だ。」
惟成は石臼を見た。
「石臼や篩が武器とでも言うのか?」
黒鷲は黙った。
「しかも、ここ最近海賊の被害報告は一切無い。」
惟成は静かに言う。
「今の讃岐には海賊はいないようだ。」
「あ、あの……。」
若い男が恐る恐る手を挙げた。
「なんだ?」
「俺達の作った物が献上品になったら……何か俺達に良いことあるんですか?」
惟成は頷く。
「特産品として認められれば、人や土地、環境を守るために国から配慮を受けることもあるだろう。」
「年貢が軽くなったり……?」
「可能性はある。」
「土地を与えられたり……?」
「それもあり得る。」
ざわり、と空気が動く。
「海賊として隠れて生きる必要はない。」
惟成は村人達を見渡した。
「堂々と胸を張って生きていける。」
村人達が息を飲んだ。
そして惟成は黒鷲を見る。
「以前言ったな。」
黒鷲は黙っている。
「お前は口では殺すと言っていても、本当に人を殺す気は無いのだろうと。」
「……。」
「荷を奪ったことはある。」
惟成は続ける。
「だが、海賊がおこなった殺害の記録は見当たらなかった。」
一拍。
「まだ間に合う。」
惟成の声は静かだった。
「お前達が真っ当に生きる道は、まだ残っている。」
黒鷲の表情が揺れる。
だが次の瞬間、険しい目を向けた。
「……儂らが海賊を辞めたら、儂らは消される。」
村人達が凍り付く。
「え……?」
「頭領……今なんて……?」
「海賊を辞めたら消されるって……?」
黒鷲の側近が口を開いた。
「お前達。」
男は村人達を見た。
「海賊船を誰が用意したと思っている?」
「え?」
「頭領じゃないのか?」
「海賊船は漁船より遥かに高価だ。」
男は言う。
「頭領一人が何隻も用意できると思うか?」
村人達の顔色が変わる。
「じゃ、じゃあ……。」
「俺達に海賊をやらせてる奴がいるってことか……?」
「頭領は、そいつらに命じられて……?」
「違う。」
言ったのは惟成だった。
「黒鷲は矢面に立っているだけだ。」
黒鷲が惟成を見る。
惟成は真っ直ぐ見返した。
「私は黒幕を、ほぼ突き止めている。」
黒鷲が息を飲む。
「私は武官だ。」
惟成は続けた。
「讃岐の政に口は出せん。持っている権限は軍事権だけだ。」
だが。
「献上品になり得るものを作る職人達が、何者かに狙われている。」
惟成は静かに言った。
「ならば、護る理由ができる。」
一拍。
「護るのは武官の勤めだ。」
黒鷲の目が大きく見開かれる。
「黒鷲。」
惟成は言う。
「考えろ。」
「……。」
「お前は頭が良い。」
惟成はわずかに笑った。
「私を上手く利用しろ。」
その時だった。
ぐきゅるるるるるるるるるる……
妙に大きな音が響いた。
全員の視線が一斉に紗世へ向く。
「……あ。」
紗世が固まる。
「今日、久しぶりに馬に乗ったから……お腹空いちゃって……。」
沈黙。
惟成は片手で額を押さえた。
黒鷲は空を仰ぐ。
そして。
「わっはっはっはっはっはっ!!!」
豪快な笑い声が響いた。
張り詰めていた空気が、一瞬で吹き飛ぶ。
「紗吉坊!」
「お前、本当に空気を読まんな!」
「腹は正直だなぁ!」
村人達も笑い出した。
紗世は真っ赤になった。
「し、仕方ないでしょ!朝から馬乗って来たんだから!」
「まずは飯だ!」
黒鷲が笑う。
「話は腹を満たしてからだ!」
その言葉に、村人達が一斉に声を上げた。
惟成は小さく息を吐く。
そして、口元だけで笑った。




