第257話 讃岐の革命
それからというもの、紗世は連日のように海の男達へ白い縄――うどん作りを教えていた。
「藤吉郎さんに粉を挽いてもらうと、本当に綺麗な粉になりますね。」
紗世は石臼の横に積まれた小麦粉を指先ですくい上げた。
さらさらと指の間を流れ落ちる粉は、最初に見たものとは比べものにならないほど細かく、不純物もほとんど見当たらない。
「なんだか、細かく挽ければ挽けるほど楽しくなっちまってな。」
藤吉郎は照れくさそうに頭を掻いた。
「最初はただ回してるだけだったんだが、だんだん白く綺麗になっていくと止まらなくなるんだよ。気付けば夢中になってる。」
「分かります!」
紗世は思わず声を弾ませた。
「良い粉ができると嬉しいですよね。」
「おう。職人ってのは、こういう気持ちなのかもしれねえな。」
藤吉郎は満足そうに出来上がった粉を眺めた。
その隣では、弥助が塩水を少しずつ加えながら生地をまとめている。
「弥助さんは、水加減が本当に上手ですね。」
「そうか?」
「一度も失敗してないじゃないですか。水を入れすぎてべたつくこともないし、逆に足りなくて生地がまとまらないこともない。」
弥助は生地を指先で押しながら、少し考えるように笑った。
「なんとなく分かるんだよな。」
「なんとなく?」
「これ以上入れたら駄目だ、とか。もう少し欲しい、とか。触ってると生地が教えてくれる。」
「すごい……。」
紗世は素直に感心した。
それは経験でしか身につかない感覚だ。
そして少し離れた場所では、どん、どん、と一定の調子で生地を踏む音が響いていた。
「源八さんは踏むのが上手ですね。」
紗世が声を掛けると、源八は足を止めて振り返る。
「そうか?」
「踏みむらが全然ないんです。生地全体に均等に力がかかってるので、出来上がりの食感にばらつきがないんですよ。」
「へえ。」
源八は感心したように生地を見下ろした。
「歌のおかげかもしれんな。」
「歌?」
「踏む時に歌ってるんだよ。」
そう言うと、源八は調子よく鼻歌を歌いながら再び生地を踏み始めた。
「こうしてると自然と身体が動くんだ。」
「なるほど。」
紗世はくすりと笑った。
「確かに、歌に合わせて踏んでますね。」
「だろ?」
源八は得意げに笑った。
紗世は改めて海の男達を見回した。
粉を挽く者。
生地をまとめる者。
踏む者。
出汁を取る者。
皆、それぞれの仕事に真剣に向き合っている。
(結構、職人気質の人が多いんだなぁ。)
職人集団。
そんな言葉の方がしっくりくる気さえした。
(これだけの人数がいて、それぞれ得意なことがあるなら……ちゃんと産業として成り立つかもしれない。)
「どうした?」
不意に掛けられた声に顔を上げる。
そこには腕を組んだ黒の男が立っていた。
「何か気になることでもあるのか?」
紗世は少し迷ったあと、口を開いた。
「……うどんを、市で売れないでしょうか。」
周囲の男達の手が止まる。
「売る?」
「はい。」
紗世は頷いた。
「これだけの人数がいれば、かなりの量を作れます。」
黒の男は黙って聞いていた。
「皆さんの多くは漁師や船乗りなんですよね。」
「ああ。」
「でも、雨の日や嵐の日は海に出られない。」
男達が静かに頷く。
「だけど、うどんなら作れます。」
紗世は続けた。
「それに、もしかしたら長く保存できるようにもできるかもしれません。」
「長く保存?」
「乾かすんです。」
男達が顔を見合わせる。
「乾かす……?」
紗世は腕を組んで考え込んだ。
令和の時代、テレビで見た光景が頭に浮かぶ。
長い棒に掛けられ、風に揺れていた細い白い縄。
(あれができれば――。)
しかし、すぐに別の問題も浮かんだ。
(今は五月。湿気も多いし、うどんの太さじゃ乾く前に傷むかもしれない。)
ならば。
「細くしましょう。」
紗世は顔を上げた。
「うどんよりずっと細く切れば、乾く時間を短くできます。」
「味は変わるんじゃないか?」
黒の男が聞く。
「変わります。」
紗世はにやりと笑った。
「でも、その細さに合った食べ方があります。」
「ほう。」
「うどんとは別の料理になります。でも、きっと美味しいです。」
黒の男は面白そうに笑った。
「やってみろ。」
「はい!」
紗世は元気よく頷いた。
「与一さん!今の半分よりもっと細く切ってください!」
「これくらいか?」
「もっと細く!」
「これか?」
「そうです!」
与一は半信半疑な顔をした。
「本当に食い物になるんだろうな?」
「なります!」
紗世は胸を張った。
「絶対美味しいです!」
「乾かす場所はいるか?」
「はい。風通しの良い場所が欲しいです。」
黒の男は少し考えたあと、近くの男へ声を掛けた。
「航太、お前のところに使ってない納屋があったな。」
「あ、あります!」
「貸してやれ。」
「もちろんです!」
こうして、白い細縄を乾かす準備が始まった。
───そして二日後
納屋に吊るされた白い縄を、紗世は恐る恐る手に取った。
「……カビてない。」
ほっと息を吐く。
両端を持って力を入れる。
ぱきっ。
乾いた音と共に綺麗に折れた。
「乾いてる……!」
男達が集まってくる。
「成功か?」
「成功です!」
紗世は嬉しそうに笑った。
「茹でましょう!」
ぐらぐらと湯が沸く。
白い細縄が鍋の中へ沈んでいく。
「細いので茹で時間は短いですよ。」
やがて茹で上がったそれを冷たい水で締め、ざるへと盛る。
そして――。
「完成です!」
男達が息を呑む。
「うどんではありません。」
紗世は笑った。
「素麺です!」
(現代の素麺とは別物だけど、いっか。呼び名を分けた方がいいだろうし。)
男達は恐る恐る箸を伸ばした。
ずっ。
ずずっ。
ずずずずずっ。
しばし無言。
響くのは啜る音だけ。
そして次の瞬間。
「うめぇぇぇぇぇぇ!!」
「なんだこれ!」
「するする入る!」
「止まらねえ!」
「薬味がめちゃくちゃ合うぞ!」
歓声が上がる。
紗世は笑った。
「細いので、小さい子やお年寄りでも食べやすいと思います。」
「ああ!」
一人の男が大きく頷いた。
「うちの娘でも食えそうだ!」
「俺のおっかぁも歯が悪いんだ。これなら食えるかもしれねえ!」
黒の男は素麺を見つめたまま呟いた。
「本当に長く置けるようになるんだな。」
「はい。」
紗世は頷いた。
「どうですか?」
黒の男を見る。
「皆さんの力になれそうですか?」
男は笑った。
「ああ。」
そして力強く頷いた。
「こいつは革命だ。」
大きな手が紗世の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「わっ!」
「ありがとうな、紗吉。」
紗世は少し照れながら笑った。
「どういたしまして!」




