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252/254

第252話 試される理性

───日が傾きかけた頃


惟成が離れに帰ってきた。


ガタン


離れの戸が開けられる。


「帰ったぞ。」


「えっ!? もうっ!? ちょっ……!」


すると几帳の向こうで、バタバタと紗世が慌てている。


「? 紗世? どうした……」


惟成が几帳をめくった。


「きゃっ! やっ……! ちょっと待っ!!」


紗世は単衣を脱ぎ、晒しを巻き直している最中だった。


慌てて紗世は、脱いだ単衣や晒しを胸に当てる。


白く滑らかな腕、肩、背中が露わになっていた。


「すまん!」


惟成は慌てて几帳を降ろした。


「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


紗世は真っ赤になる。そして固まるが、ハッと思い出した。


紗世は汗を拭こうと、桶に水と手拭いを入れて持ってきていた。


しかし、その桶は几帳の向こう側。惟成のいる方にあった。


(ど……どうしよう……でも、惟成だし……大丈夫だよね……)


「ね、ねぇ。」


「なんだ。」


几帳の向こうでも反対側を向いているのだろう。声が少し遠くに聞こえた。


「惟成の横辺りにさ、水と手拭いの入った桶ない?」


「桶……? ああ、これか。」


惟成が目を止める。


「あの、それ……こっちに持ってきて……」


「は!?」


「だ……だって! 今日、市に行ってすごく汗かいたんだもん! 胸に晒し巻いてるから余計に暑くて……晒しの中、蒸れてたから拭きたくて。」


「…………わかった。入るぞ。そっち向いとけ。」


「う、うん。」


薄明かりの中、紗世が向こう側を向いている。白い背中が見えた。


視線を外そうとした時、紗世の背中の真ん中辺りが少し赤くなっているのが目に入った。


「紗世。」


「え?」


「背中の真ん中あたり、少し赤いぞ。どうしたんだ?」


「あ……そこ、ちょっと痛痒いとこかも。今日蒸れて、余計に痛痒かった。」


「今日はもう、本営側に行くことはあるまい。もう晒しは外しておけ。」


そう言いながら、手拭いを絞っている音が聞こえた。


「惟成?」


「こんな背中のど真ん中では、手が届かんだろう。」


冷静な声。


「背中の赤いところ、濡らした手拭いを当てるぞ。」


「う、うん。」


背中にひんやりと心地良い冷たさが来た。


「あーーひんやりして気持ちーー。」


紗世の間の抜けた声に、思わず惟成が吹き出した。


「っふっ……」


「何、笑ってんの?」


「いや、おっさんみたいだな、と。」


「おっさんって!」


紗世が抗議しようと体を捻ろうとした。


「じっとしてろ。背中拭いてやるから。」


両肩を掴まれ、正面を向かせられる。


「………ん。」


紗世は大人しく正面を向いた。


「痛くないか?」


「うん。」


痛くないように、惟成は優しく背中を拭く。


手拭いが紗世の体温で温くなると、再び手拭いを冷たい水に濡らして絞った。


「あ、惟成。手拭い貸し──」


紗世が惟成から手拭いを借りようと腕を伸ばした時だった。


する……


腕に引っ掛けていた単衣が落ちかけ、紗世の胸が露わになりかける。


「危なっ……」


惟成は反射的に単衣の落下を阻止しようと、単衣ごと紗世の胸を押さえた。


「……………」


「……………」


間。


「っっっ!! きっ………むぐっ!」


「ばかっ! 大声出すな!」


惟成がもう片方の手で紗世の口を押さえ、小声で言う。


が。


傍から見れば、


紗世は上半身がほぼ裸。


辛うじて惟成が紗世の落ちかけた単衣で胸を隠しているが、惟成の手は思いっきり紗世の胸を触っている。


そして、惟成が後ろから抱きついて紗世の胸を押さえ、口を塞いでいる。


どう見ても犯行現場である。


「あ………すまん………。」


ゆっくりと紗世の口から手を離す。


紗世、恥ずかしさのあまり涙目。


「あの……」


紗世が振り返り惟成を見上げる。


「………ん?」


「………手………。」


惟成のもう片方の手は、ばっちり紗世の胸を触ったままだった。


「すまん!!!」


慌てて手を引っ込めると、惟成の手で押さえられていた単衣や晒しが紗世の膝に落ち、完全に胸が露わになる。


「〜〜〜〜!!!」


紗世は声にならない声を出し、両手で胸を隠して前屈みになった。


「ばかっ! なんで単衣を押さえておかないんだ!」


惟成が小声で言う。


「だって! 頭が混乱してて、単衣を押さえるって事が頭から飛んでたんだもん!!」


紗世も負けじと小声で抗議する。


「………単衣は? 着替えるのか?」


「………着替えたい。」


「新しい単衣は?」


「あっち。」


惟成が紗世の目線を追うと、畳んだ単衣が置いてあった。


惟成は静かに立ち上がり、単衣を持ってくる。


単衣を広げて紗世に被せる。そして、胸が見えないように襟をきっちり合わせた。


紗世はチラリと惟成を見た。


「なんだ?」


「見た?」


「何をだ。」


「胸。」


「見てない。」


「嘘。」


「じゃあ見た。」


「どっち?」


「………見た。」



……………。



ばちぃっ!!!


「いてぇ!」


紗世が両手で惟成の目を覆った。


「ばかああああああ!!!」


「俺が悪いのか!?」


「悪いに決まってるでしょ!!」


グイグイと両手で惟成を押しやる。


「おい、ばか、やめろ。」


惟成はぐらりとバランスを崩し、後方へ倒れかける。


「……っ、この!」


道連れと言わんばかりに、惟成は紗世の手首と背中を持ち、


───ドサッ


後ろに倒れた。


「……上半身裸で男を押し倒すとは、大胆だな。」


「なっ……!」


紗世は上半身を起こそうとしたが、背中を押さえられ動けない。


「……今、上半身起こしたら、また胸が見えるからな。」


「!!!」


紗世は赤くなりながら、悔しそうに惟成の胸に顔を埋めた。


「…………ばかぁ……。」


消え入りそうな声。




沈黙。





沈黙。





「………ねぇ……」



紗世が沈黙を破る。


「待て。」


「何?」


「落ち着けている。」


「何を。」


「煩悩。」


「何言ってんの?」


紗世が身動いだ。


「動くな。」


「何でよ。」


「やばい。」


「何が。」


「聞くな。」


「何で。」


「だから聞くな。」


「だって、もうそろそろ……」


紗世が上半身を何とか動かそうとした時だった。


「……動くなって言っただろ……」


掠れた声が聞こえた瞬間、


ガバッ


「きゃあっ!……んっ」


気が付くと、紗世は惟成に組み敷かれ、唇を塞がれていた。


「……んっ……ふぁっ……」


熱を帯びた、濃厚な口付け。


重ねた唇から、吐息がこぼれ落ちた。


そして、惟成の唇が首筋に落ちる。


「………っ」


紗世の身体が小さく震えた。


「……あ……んっ……」


惟成の手がゆっくりと紗世の胸へ滑る。


(え……? 嘘、もしかして、このまま……?)


紗世は目をギュッと瞑った。


その時だった。


────ガンッ!!!


「!!?」


惟成が自分の額を床に打ち付けた。


「こ………惟成………!?」


惟成がゆっくりと額に手を当て、顔を上げる。


「………あっぶね。」


紗世の単衣の襟をきっちり合わせたまま、惟成は身体を起こした。


「ちょっと、風に当たってくる。」


「え? う、うん……。」


そう言って惟成は離れを出て行った。


(惟成………大丈夫??)


紗世は本気で惟成を心配した。

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