第251話 邂逅
───日中・市
「わあああ! 魚や海産物が沢山ありますね!」
紗世は目を輝かせた。
港町の市は都とはまるで違う。
魚を売る声。
貝を並べる音。
舟乗りたちの笑い声。
潮の香りと焼き魚の匂いが入り混じり、人々が行き交う活気に満ちていた。
「港町ですからね。」
本営の台盤所で働く清丸が笑う。
「都では海産物はあまり使わないのですか?」
「使うには使いますけど、都は海から遠いでしょう? ほとんどが干物や塩漬けです。こんなに新鮮な魚や貝は滅多に見られません。」
「やはり土地が違うと食べる物も変わるのですね。」
「全然違います!」
紗世は嬉しそうに頷いた。
魚を眺め、貝を眺め、干物を眺める。
まるで子供のような反応に、清丸も思わず笑ってしまった。
「紗吉さんは本当に楽しそうですね。」
「だって楽しいですもん!」
そう言いながら歩いていると、紗世の視線がある店先で止まった。
山のように積まれた白っぽい粉。
「清丸さん。あれは何ですか?」
「あれですか?」
清丸は店先を見た。
「ああ、小麦です。」
「小麦?」
「はい。小麦の粉ですよ。」
「小麦粉!?」
紗世の声が一段高くなった。
「ええ。」
(小麦粉だ!!)
紗世の頭の中に一つの料理が浮かぶ。
(そうだよ!ここは讃岐。讃岐うどん!!)
讃岐。
小麦。
うどん。
未来では誰もが知る組み合わせだ。
(そうか……この時代にもちゃんと小麦はあるんだ!)
紗世は小走りで店へ向かった。
近くで見ると粉の色は少しくすみ、粒も揃っていない。
未来の小麦粉とは違う。
それでも紗世には十分だった。
(うどん……食べたい……。)
「よし!」
紗世は決意した。
「すみません! この小麦粉ください!」
店主が目を丸くした。
「坊主、小麦粉なんか買ってどうするんだ?」
「秘密です!」
紗世は満面の笑みで答えた。
その後も清丸と共に市を回り、
小麦粉、
小魚の干物、
鯵、
生姜、
葱、
米粉、
塩、
海藻などを買い集めた。
「ふう……。」
紗世は荷物を抱え直した。
「結構買いましたね。」
「はい!」
「何を作るつもりなんです?」
「内緒です!」
清丸は苦笑した。
その時だった。
漁師たちの集団が横切り、紗世の視界が悪くなり、人の流れに流される。
流れからやっと離れる。
そして、ふと周囲を見る。
人。
人。
人。
いつの間にか市は大勢の人で埋め尽くされていた。
「……あれ?」
紗世は首を傾げる。
「清丸さん?」
返事がない。
「清丸さん?」
周囲を見回す。
いない。
「え?」
紗世の顔から血の気が引いた。
「清丸さん?」
もう一度呼ぶ。
返事はない。
「はぐれた……?」
人波が次々に横切る。
右を見ても左を見ても知らない顔ばかりだった。
「ど、どうしよう……。」
荷物を抱えたままおろおろしていると――
ドンッ!
誰かにぶつかった。
「す、すみません!」
慌てて頭を下げる。
しかし相手は機嫌が悪かったらしい。
「大丈夫じゃねぇよ!」
男が怒鳴った。
「どこ見て歩いてんだ!」
「すみません!」
「すみませんで済むと思ってんのか?」
ドンッ!
肩を小突かれる。
「すみません!」
ドンッ!
「何とか言えよ!」
ドンッ!
「きゃっ!」
とうとう紗世は尻もちをついた。
男が拳を振り上げる。
「転んで同情でも誘う気か!」
紗世は思わず目を閉じた。
――殴られる!
その瞬間。
ガシッ。
男の腕が止まった。
「……あ?」
男が振り返る。
そこには大柄な男が立っていた。
片目には大きな傷。
まるで岩のような体格。
男の手首を片手で掴んでいる。
「こんなチビ相手に拳を振り回してどうする。」
低い声が落ちた。
「離せ!」
「離せ?」
ギリッ。
手首が締め上げられる。
「いててててててて!!」
「拳を振り回すなら、儂みたいに的の大きい相手にしろ。」
ドサッ!
男は地面へ投げ捨てられた。
「失せろ。」
男は青ざめ、逃げるように去っていった。
傷の男もそのまま歩き出す。
「あのっ!」
紗世は慌てて声を掛けた。
男が振り返る。
「なんだ?」
「ありがとうございました!」
紗世は深々と頭を下げた。
「助かりました!」
「礼なんざいらん。」
男は肩をすくめた。
「さっさと帰れ。」
「でも助けてもらったのに!」
男は顔を近付けた。
「儂の顔、怖くないか?」
傷跡を見せるように笑う。
「儂が優しい人間に見えるか?」
紗世はきょとんとした。
「優しいか優しくないかに、顔は関係あります?」
男が目を瞬いた。
「……なんだと?」
「優しいかどうかは行動で分かります。」
紗世は真面目な顔で答えた。
「だって、おにーさん助けてくれましたし。」
一瞬の沈黙。
そして。
「はっはっはっはっ!!」
豪快な笑い声が響いた。
「面白いチビだな!」
「おにーさんは優しいおにーさんです!」
「しかも儂をおにーさん呼ばわりか!」
男はますます笑った。
「なかなか世の中が分かってる。」
「お礼したいんですけど……。」
紗世は荷物を見た。
「今日はお礼になる物を持ってなくて。」
「いらん。」
「でも!」
「いいと言ってる。」
男は荷物を見た。
「何買ったんだ?」
「小麦粉と、米粉と、鯵と、小魚の干物と、生姜と、葱と、海藻と、お塩です!」
「随分買ったな。」
「はい!」
「何を作る?」
「うーん……。」
紗世は指を折った。
「鯵のつみれ汁と、できたらうどんか、すいとんを。」
「つみれ?」
「魚を細かく叩いて丸めたものです。」
「うどん?」
「主食です!」
「さっぱり分からん。」
「説明するの難しいです……。」
男は腕を組んだ。
「病人でも食えるのか?」
紗世は頷く。
「うどんなら食べやすいと思います。」
男の目が変わった。
「病人にもか。」
「はい。」
「なら作ってみろ。」
「え?」
「失敗でも構わん。」
男は言った。
「出来たら持ってこい。」
「どこにです?」
「この市だ。」
男は笑う。
「黒の旦那に用があると言えば儂に繋がる。」
「あ!」
紗世は顔を明るくした。
「おにーさん、ここでは黒の旦那っていうんですか!」
「そうだ。」
「私は紗吉です!」
元気よく名乗る。
「じゃあ、うどんが出来たら黒の旦那のおにーさんを呼べばいいんですね?」
「ああ。」
その時。
遠くから声が飛んだ。
「紗吉さーん!」
「あ!」
「紗吉さん! どこですかー!」
「清丸さーん!」
紗世は大きく手を振った。
「ここですー!」
慌てた様子で清丸が駆け寄る。
「探しましたよ!」
「すみません!」
紗世は頭を下げた。
「ちょっと乱暴な人に絡まれて、このおにーさんに――」
振り返る。
しかし。
そこに男の姿はもうなかった。




