第250話 専属使用人 紗吉
───少し遡り、雪丸達が去った日の夕方
本営での軍議が終わった後、惟成が手を挙げた。
「少し、よろしいか。」
「源様。いかがなされましたか。」
周囲の者達が一斉に惟成へ視線を向ける。
「私的なことではあるが、皆に知らせておくことがある。入れ。」
惟成が廊下へ声をかけると、水干姿に烏帽子をかぶった紗世──紗吉が控えめに入ってきた。
ざわりと空気が揺れる。
「源様、その者は?」
三宅が怪訝そうに聞いた。
「紗吉だ。都から呼んだ私専属の使用人だ。」
「専属、でございますか。」
「ああ。離れの居室の掃除、書類の整理、身の回りの世話を任せる。料理もできる故、食事の管理も任せている。」
紗世は一歩進み、丁寧に頭を下げた。
「紗吉にございます。惟成様の身の回りの世話を務めさせていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。」
「ほう……」
経房が紗世をじっと見つめる。
「小柄で華奢な者だな。顔立ちもどこか女のようではないか。」
「生まれつきでございます。体力や腕力は劣りますが、炊事や掃除は得意でございますので、都では重宝しておりました。」
「源様が問題なく務められるのであれば良いのでは。」
「左様ですな。」
本営の者達は特に疑うことなく受け入れた。
紗世はわずかに肩の力を抜く。
「私は惟成様と同じ離れで寝起きしておりますが、用事があれば何なりとお申し付けくださいませ。」
その言葉もまた、自然に流れていった。
───翌日
紗世は離れで書類を整理していた。
海図、出兵記録、戦果、損害、税収資料。
それぞれを分類し、時系列に並べていく。
そこへ声がかかった。
「紗吉というのは、あなたかしら。」
振り返ると和気の姫君が立っていた。
「はい。紗吉にございます。」
「その書類、意味を理解して整理しているの?」
「はい。こちらは海図と海賊出現記録、戦果と損害の推移でございますので時系列に整理しております。こちらは税収資料、こちらは朝廷から取り寄せた比較資料でございます。」
和気の姫君は目を細めた。
「……源様の言う通り、聡いのね。」
「ありがとうございます。」
「源様のこと、どのくらい知っているの?」
「四年ほどお仕えしております。」
「そう。では、好物は?」
「焼き魚でございます。都では川魚が多かったですが、こちらの海の魚も好まれるようです。米は蒸すより炊いたものを好まれ、握り飯にすると特に召し上がられます。」
「よく知っているのね。」
間が落ちる。
そして姫は静かに聞いた。
「源様は都に、想う方がいらっしゃるの?」
紗世の胸がわずかに跳ねる。
「そのような話は、あまり伺っておりません。」
「では、姫君の邸に通っていたという話は?」
「公務での出入りが多く、どれが仕事でどれが私的なものかは分かりかねます。」
「そう。」
姫は視線を伏せ、続けた。
「もし源様が讃岐に残ると言ったら、あなたはどう思う?」
「残る……でございますか。」
「父が強く望んでいるの。私との縁談を。」
「姫君様は、惟成様を……」
「お慕いしております。」
即答だった。
「だから負ける気はありません。」
紗世は言葉を失う。
「今後、源様のことはあなたにも聞くことがあると思うわ。」
そう言い残し、姫は去っていった。
残された紗世は、小さく息を吐く。
「……片付けの続き、しよ。」
───夜
惟成が戻ったのは遅い刻だった。
離れに入ると、紗世が文机に突っ伏して眠っていた。
惟成は静かに近付き、隣に座る。
髪が頬にかかっているのを、そっと指で払った。
「……ん……」
紗世が微かに反応する。
「こんなところで寝るな。体を壊すぞ。」
低い声が落ちる。
紗世はゆっくり目を開けた。
「おかえり……」
「飯は。」
「おにぎり、あるよ。魚入れてるの。食べてね……」
机の上に握り飯が三つ。
惟成はそれを見て息を吐く。
「分かった。お前は寝ろ。」
「うん……」
紗世はそのまま再び目を閉じかける。
「ここで寝るな。」
そう言って惟成は紗世を抱き上げた。
「ねぇ……惟成……」
「なんだ。」
「姫君の婿候補って……本当?」
一瞬だけ沈黙。
「なっていても、なる気はない。お前がいるからな。」
紗世の表情が緩む。
「よかった……」
そのまま惟成の胸に額を預けると、眠りに落ちた。
「まったく……」
惟成は寝所へ運び、そっと寝かせる。
しばらくその顔を見下ろしたあと、文机へ戻る。
握り飯を一つ口に運び、静かに呟いた。
「懐妊させるな、か……」
天井を仰ぐ。
「俺は、いつまでもつのか……」
夜は静かに更けていった。
───翌朝
日が昇る前に惟成は目を覚ました。
だが、その日はいつもと違った。
離れの外から、ほのかに焼き魚の香ばしい匂いが漂ってきたのである。
惟成は身を起こし、小さく息を吐いた。
「もう起きているのか。」
身支度を整えて几帳をあげると、紗世が朝餉の支度をしていた。
外で炭火の前に座り、魚を焼いている。
その姿を見た惟成は思わず笑った。
「早いな、紗吉。」
「うん。朝餉、もうできるから。少し待ってね。」
振り返った紗世は満面の笑みだった。
しばらくすると、湯気の立つ朝餉が並べられた。
焼き魚。
汁物。
炊いた飯。
質素だが温かい食事だった。
惟成は手を合わせた。
「いただきます。」
汁物を口に含み、ほっと息を吐く。
「……やはり紗世が作る飯は、どこか違うな。」
「そう?」
「美味い。」
紗世の顔がぱっと明るくなった。
「えへへ。嬉しい。」
惟成は焼き魚をほぐしながら言った。
「そういえばここへ来たばかりの頃、ここの者に好物は何かと聞かれてな。」
「うん。」
「少し困った。」
「なんで?」
「頭に浮かんだのが、雉団子粥やら親子丼やら唐揚げやらでな。」
紗世が吹き出した。
「だめじゃん。」
「ここの者達には通じん。」
「それで何て答えたの?」
「焼き魚だ。」
「あっ!」
紗世は思わず声を上げた。
「良かった!」
「何がだ?」
「昨日ね、和気の姫君が来たの。」
惟成の箸が一瞬止まる。
「ほう。」
「惟成の好物は何かって聞かれたから、私も焼き魚って答えたの。」
しばし沈黙。
そして二人同時に笑った。
「以心伝心だね。」
「そうかもしれんな。」
紗世は嬉しそうに頷いた。
「惟成、今日の予定は?」
「午前中は港へ行く。」
「海賊の?」
「ああ。先日の被害状況の聞き取りだ。」
惟成は続けた。
「午後は商船の出入りを確認する。今後の航路や警備の調整だな。」
「そっか。」
「紗世は?」
「今日は台盤所の人達が市へ行くんだって。」
紗世は身を乗り出した。
「だから私も一緒に行ってくる!」
「何を買うつもりだ。」
「まだ決めてない!」
即答だった。
「でも、何か面白い食材があるかもしれないし。」
「気を付けて行ってこい。」
「うん!」
元気よく返事をした後、紗世はふと固まった。
(あれ……?)
目の前では惟成が朝餉を食べている。
自分はその向かいに座っている。
今日の予定を話し合い、食事を作り、見送る。
(なんかこれ……。)
紗世の顔がみるみる赤くなる。
(新婚夫婦みたいじゃない!?)
慌てて顔を伏せた。
惟成は気付かない。
「どうした?」
「な、なんでもない!」
(市で絶対美味しいもの見つける!!)
紗世は密かに拳を握った。




