第243話 海賊の裏側
───志度津
交渉の場に指定されたのは志度津だった。
小舟には惟成一人が乗っていた。
やがて、一艘の小舟が近付いてくる。
「追捕使の源惟成か。」
「そうだ。」
「着いてこい。」
短いやり取りの後、二艘は並ぶように進んだ。
辿り着いたのは小さな島だった。
惟成は海辺の洞窟へ案内される。
「ここから先はお前一人で行け。」
そう言うと案内役の男は踵を返した。
洞窟の中はひんやりとしていた。
時折、天井から雫が落ちる音が響く。
奥へ進むと灯火が見えた。
その明かりの下に、一人の男が座っている。
黒鷲だった。
「待っていたぞ。」
「此度は話し合いに応じてくれたこと、感謝する。」
惟成は軽く頭を下げた。
その姿を見て黒鷲は目を丸くし、次の瞬間には豪快に笑った。
「はっはっはっ!海賊に感謝を述べ、頭を下げる追捕使など初めて見たわ。」
そう言いながら黒鷲は惟成の顔をじっと見つめる。
「十六歳と聞いていたが、妙な落ち着きと、なかなかの胆力だ。もっと若年寄のような顔をしていると思ったが……思いのほか整った顔をしておるな。」
「そうか。」
「ふっ。」
黒鷲は口元を緩めた。
「それで?お前は何を話し合いたいのだ。」
「海賊になったきっかけは、何だった?」
黒鷲の眉がわずかに動く。
「そんなもの、人それぞれだ。」
「では黒鷲。お前はなぜ海賊になった?」
「さあな。なりたかったからさ。」
「そうか。なら質問を変えよう。」
惟成は静かに続けた。
「なぜ捕虜を生かしている?」
「労働力は欲しいからな。使えるものは使う。使えなければ殺す。分かりやすかろう。」
「殺す、か。」
惟成は黒鷲を見据えた。
「黒鷲、お前は何人、人を殺したことがある?海に落とすのではない。刀や槍で致命傷を与えた数だ。」
黒鷲の表情が僅かに変わる。
「……だから何だ。」
「この十年で数えるほどしかないのだろう。」
「だから臆病者だと言いたいのか。」
「違う。」
惟成は首を横に振った。
「元より人を殺す気がないのだろう、と言っている。」
黒鷲は鼻で笑った。
「儂は荷さえ奪えればそれでいい。刃向かう者がいれば殺す。それだけだ。」
「なぜ海賊行為をする。」
「荷を奪うためだ。」
「なぜ奪う。」
「金になるからだ。」
「その金で何が欲しい?」
「飯、衣。今なら海賊船がもう一艘欲しいところだな。」
黒鷲はおどけるように肩を竦めた。
惟成は表情を変えない。
「薬は?」
黒鷲の目が鋭くなる。
「……お前、どこまで調べた。」
「高価な薬だ。欲しくはないのか。」
沈黙が落ちた。
「捕虜二人につき薬一つ。」
惟成は静かに言う。
「捕虜四人全員を解放するなら薬二つを渡そう。」
黒鷲の表情が険しくなる。
それでも惟成は続けた。
「塩俵を何俵売れば薬一つが買える?そんな薬二つと交換だ。」
黒鷲は何も言わない。
「十一年前に病で息子を亡くしたのであろう?」
惟成は続けた。
「再び同じ病で妻を死なせる気か。」
「貴様ッ!」
黒鷲が立ち上がり、惟成の胸倉を掴んだ。
「妻を死なせたくなければ捕虜を返せと?誰がそんな話を認める!薬が欲しければ船を襲えばいい!捕虜と交換など、こちらに何の利もない!」
「船を襲えばこちらも討つ。」
惟成は動じない。
「薬一つのために、また怪我人や死者が出る。」
黒鷲の手に力が入る。
「だが薬二つと捕虜四人なら誰も死なない。」
黒鷲はしばらく惟成を睨み続けた。
やがて手を離す。
「……お前は本当に変わった男だな。」
「そうか。」
「朝廷の人間が海賊の事情を調べるなど聞いたこともない。」
「お前たちが海賊になったのは重税による困窮も一因だと考えている。」
黒鷲の目が見開かれた。
「そうだとして、どうなる。」
「一連の海賊行為には朝廷側にも責任がある。」
黒鷲は苦々しく笑った。
「責任があると認めたところで何になる。」
「讃岐の税を扱う役職に不正があるなら報告を上げる。」
「それで何だ。」
黒鷲の声が荒くなる。
「不正を調べる、是正する。そんな話をしている間にも人は飢える。」
洞窟に怒声が響いた。
「儂らは今を生きているのだ!」
黒鷲は拳を握る。
「今の生活が変わらねば意味がない!税が軽くなったところで、その前に死ねば何の意味もない!」
惟成は静かに頷いた。
「確かにそうだ。」
そして小さく息を吐く。
「分かった。」
黒鷲が顔を上げた。
「今回は捕虜の解放は諦めよう。」
洞窟に沈黙が落ちる。
「しかし私は諦めない。」
惟成は真っ直ぐ黒鷲を見た。
「お前との対話も、捕虜の解放もだ。」
そう言って踵を返す。
数歩進んだ時だった。
「待て。」
低い声が背中に届く。
惟成は振り返った。
黒鷲は海の方を見たまま言う。
「薬は……今すぐ出せるか。」
「出せる。」
長い沈黙。
やがて黒鷲は小さく息を吐いた。
「薬一つで二人だ。」
惟成は頷く。
「分かった。」
黒鷲は側近へ目を向けた。
「捕虜を二人連れてこい。」
しばらくして、船夫と領民の二人が連れて来られた。
「源様!」
二人の顔がぱっと明るくなる。
惟成は懐から包みを取り出した。
「薬だ。確認してくれ。」
側近は包みを受け取り、中身を改める。
そして黒鷲へ差し出した。
「間違いありません。」
黒鷲は薬を見つめた。
しばらくして捕虜二人へ視線を向ける。
「お前たちを解放する。」
二人は目を見開いた。
惟成は洞窟の奥に向かい静かに言った。
「残る二人も必ず連れ戻す。それまで待っていてくれ。」
黒鷲は洞窟の奥へ向かいながら背を向けた。
「次の話は、その時だ。」
惟成は小さく頷く。
「承知した。」
交渉は終わった。
だが惟成には分かっていた。
これは捕虜奪還の終わりではない。
黒鷲との、本当の交渉の始まりなのだと。




