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第242話 讃岐の裏側

───讃岐・本営


「今、何と申されたのですか、源様!?」


和気経房の声が本営に響いた。


惟成は落ち着いたまま答える。


「黒鷲と対話をして参ります。そう申し上げました。」


「海賊の頭領だぞ!対話など応じると思っておられるのですか!?」


「おそらく最初は応じぬでしょう。」


惟成は静かに言った。


「むしろ馬鹿げていると笑われるかもしれません。」


「ならば何故!」


「ですが、私の考える黒鷲像が正しければ、最終的には話を聞く可能性があります。」


経房は眉を顰めた。


「源様の考える黒鷲像?」


「あの男は、人を殺めることを好まぬ人物です。」


「何を言われる!」


経房が思わず身を乗り出した。


「先の敗戦で二名が命を落としておるではないか!」


「その二名の死因はご存知ですか。」


経房が口を閉ざす。


惟成は続けた。


「二人とも溺死です。」


「海なのだから当然であろう。」


「では、あの日のことを思い出してください。」


惟成は経房を見据えた。


「十二名が海へ飛び込み、その後を海賊達が銛や槍を持って追いました。」


「うむ。」


「ならば遺体には銛や槍による致命傷が残っていても不思議ではありません。」


経房は黙って聞いている。


「しかし実際には、大きな刺し傷も斬り傷も無かった。」


部屋に静寂が落ちる。


「生還した者達からも話を聞きました。」


惟成は淡々と続けた。


「海中で追われた際、海賊達は確かに銛や槍を使った。ですが胸や腹ではなく、手足ばかりを狙っていたそうです。」


経房の表情が僅かに変わる。


「……つまり。」


「少なくとも、好んで人を殺そうとしていたとは思えません。」


惟成は断定せず、静かに言った。


「生け捕りにする意図があった可能性は高いと考えています。」


経房は腕を組む。


惟成はさらに書類を二通取り出した。


「こちらをご覧ください。」


「何だこれは。」


「過去十五年の讃岐国の税収です。」


一枚を差し出す。


「そしてこちらは、同じ十五年間の諸国の平均税収をまとめたものです。」


経房は二枚を見比べた。


最初は怪訝そうだった顔が、やがて驚愕へ変わる。


「なっ……。」


書類を持つ手が震えた。


「これは……。」


再び数字を見直す。


何度見ても同じだった。


「何故だ……。」


声が掠れる。


「何故、讃岐だけがこれほど重いのだ……。」


惟成は静かに尋ねた。


「税が急激に増え始めたのはいつ頃ですか。」


経房は視線を落とした。


「……十二年ほど前か。」


「では、本格的に海賊が現れ始めたのは。」


「十年ほど前だ。」


答えた瞬間、経房は顔を上げた。


惟成は頷く。


「私は、両者に関係があると考えています。」


「……。」


「重税が一年や二年なら耐えられる者もいるでしょう。」


惟成は書類の上に指を置いた。


「ですが、それが何年も続けば話は別です。」


経房は何も言えなかった。


「生活に困窮し、漁だけでは生きていけなくなった者達がいたのではないでしょうか。」


「つまり……。」


「海賊達の多くは、生まれながらの賊ではない。」


惟成はゆっくりと言葉を選ぶ。


「重税によって追い詰められた民なのかもしれません。」


経房は大きく息を吐いた。


「儂も税が重いとは感じていた。」


苦しげな声だった。


「だが、どこの国も同じだと思っていたのだ。」


「讃岐で長く暮らしておられる和気殿なら、そう考えても無理はありません。」


再び沈黙が落ちる。


やがて経房が口を開いた。


「だから対話を望むのか。」


「はい。」


惟成は迷わず答えた。


「捕虜を力ずくで奪還すれば、海賊達との間に新たな禍根を残します。」


「……。」


「ですが、交渉なら違う。」


惟成は真っ直ぐ経房を見た。


「捕虜解放の条件を聞くのです。」


「条件。」


「おそらく彼らが求めるのは金ではありません。」


「何だと考えている。」


「生活に関わる何かです。」


経房は深く考え込んだ。


やがて静かに問う。


「源様。」


「はい。」


「黒鷲と本当に交渉できると思いますか。」


惟成は少しだけ目を伏せた。


塩飽諸島で見た光景。


捕虜達の言葉。


そして黒鷲という男。


それらを思い返しながら答える。


「分かりません。」


経房が目を見開く。


だが惟成は続けた。


「しかし、試す価値はあります。」


その瞳に迷いは無かった。


「私は話してみせます。」


経房は長い沈黙の後、ゆっくり頷いた。


「承知した。」


重い息を吐く。


「源様に任せよう。」


惟成は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。」


経房は力なく立ち上がる。


そして書類を見つめたまま、本営を後にした。


残された惟成は静かに海図へ目を落とす。


これから向き合う相手は海賊であり、敵だ。

だが同時に、まだ知らぬ事情を抱えた人々でもあるのかもしれない。


その答えは、黒鷲と会わねば分からなかった。



───塩飽諸島


「頭領、源の若造から文が届いております。」


「文だと?」


黒鷲が片眉を上げた。


側近の男は苦笑しながら文を差し出す。


「港の漁師達に、海賊を見かけたら黒鷲宛に渡してほしいと頼んで回っていたそうです。本日、うちの者が受け取ったと。」


「……海賊と漁師が繋がっていることに気付いていたか。」


黒鷲は文を受け取った。


何気なく文を開き、目を通す。


だが読み進めるうちに口元が歪んだ。


そして次の瞬間。


「はっはっはっはっ!」


大きな笑い声が洞窟に響く。


周囲の海賊達が何事かと振り返った。


「どうなさいました?」


側近が尋ねる。


黒鷲は笑いながら文を振った。


「捕虜について話し合いたいそうだ。」


「話し合い?」


「そうだ。」


黒鷲は肩を震わせる。


「海賊相手に話し合いとはな。敗戦の衝撃で気でも触れたか。」


側近も呆れたように息を吐いた。


「応じるので?」


「応じるものか。」


黒鷲は鼻で笑った。


「馬鹿馬鹿しい。」


そう言うと文を丸め、脇へ放り投げた。


だが、その後も文は届いた。


一通。


二通。


三通。


まるで諦める気配がない。


黒鷲はうんざりしたように文を眺める。


「しつこい若造だ。」


また丸めて捨てようとした。


その時だった。


ある一文が目に留まる。


黒鷲の手が止まった。


そして文を広げ直す。


静かに読み返した。


側近は不思議そうに見ている。


洞窟の中が妙に静かだった。


やがて黒鷲が低く呟く。


「……なるほどな。」


先程までの嘲笑は消えていた。


「頭領?」


返事は無い。


黒鷲は再び文へ目を落とした。


そこにはこう記されていた。


──

十二年前から讃岐の税は異常なほど重くなっている。


十年前から海賊が増えている。


私はこの二つが無関係とは思わない。


あなた達が何故海賊になったのか、その理由を聞きたい。


───


黒鷲の目が細くなる。


さらに下へ視線を移す。


私はあなた達を討つためではなく、まず話をしたい。


沈黙。


長い沈黙だった。


側近は声を掛けることも出来ない。


やがて黒鷲はゆっくりと息を吐いた。


「……あの若造。」


その声には先程までの嘲りは無かった。


「こんな所まで辿り着いたか。」


海の向こうを見る。


まるで十数年前の景色を思い出しているようだった。


「頭領。」


側近が静かに呼ぶ。


黒鷲は視線を海へ向けたまま言った。


「交渉に応じる。」


側近が目を見開く。


「本気ですか?」


「ああ。」


「ですが……。」


黒鷲は小さく笑った。


「この文を書いた男に、少し興味が湧いた。」


そして振り返る。


「交渉の日時と場所はこちらで決める。」


「は。」


「それから条件を付けろ。」


「条件?」


「源惟成、一人で来い。」


側近は一瞬だけ黙った。


だがすぐに頭を下げる。


「承知しました。」


男が去った後、洞窟には黒鷲だけが残った。


波の音が響いている。


黒鷲は拳を握った。


そして誰にも聞こえぬ声で呟く。


「追捕使・源惟成……。」


しばらく海を見つめる。


その表情は複雑だった。


怒りでもない。


敵意でもない。


もっと別の感情だった。


「なぜ、お前のような男がもっと早く来なかったのだろうな……。」


呟きは潮風に溶けて消えた。

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