第235話 勝利
海賊達の歓声が海上に響いた。
「頭領様だ!!」
「頭領様が来たぞ!!」
「勝った!!」
先ほどまで追い詰められていた海賊達の目に、生気が戻る。
惟成は黙って沖を見つめていた。
巨大な船影。確かに大きい。
だが
「源様。」
三宅が馬鹿にしたように笑った。
「何かおかしくございませんか。」
「私もそう思った。」
惟成は静かに答えた。
船が近付いてくる。
海賊達の歓声はさらに大きくなる。
だが、近付けば近付くほど違和感が大きくなった。
「遅い。」
惟成が呟く。
「え?」
「速さがない。」
海賊船とは思えぬほど遅い。
いや、重いのだ。
まるで荷を積み過ぎた商船のように。
惟成は目を細めた。
「妙だな。」
その時だった。
海賊船の上で一人の男が立ち上がった。
五十近い男、日に焼けた顔、片目には大きな傷、立派な体格。
そして異様なほどの威圧感。
海賊達が一斉に頭を下げる。
「頭領様!!」
「頭領様!!」
男は腕を組みながら惟成を見た。
そして豪快に笑った。
「はっはっはっは!!」
海に響く大声。
「若造。」
惟成は黙って見返す。
「貴様が新しい追捕使か。」
「そうだ。」
「十五だと聞いた。」
「十六になった。」
男はまた笑った。
「面白い。」
惟成は無表情だった。
男は続ける。
「歴代の追捕使は皆、威勢だけは良かった。だが海へ出ると何もできん。貴様は少し違うようだ。」
「評価される筋合いはない。」
「ははは!」
頭領は上機嫌だった。
「気に入ったぞ。」
三宅が顔をしかめる。
「何を言っている。」
だが惟成は男から目を離さなかった。
この男。強い。
武芸かどうかは分からない。
だが人を率いる者の目をしている。
十年以上海賊達を束ねてきた理由が分かる気がした。
その時、頭領が突然言った。
「若造。」
「何だ。」
「一つ教えてやろう。」
海風が吹く。
頭領は笑った。
「今日は貴様の勝ちだ。」
周囲がざわつく。
海賊達ですら驚いていた。
「頭領様!?」
「何を!?」
頭領は構わず続ける。
「だが。」
笑みが消えた。
「次はない。」
海賊達の背筋が震える。
「貴様は海を知らぬ。海を知らぬ者は必ず死ぬ。」
惟成は静かに答えた。
「だから学んでいる。」
頭領が目を細めた。
「ほう。」
「私は都にいた。海など知らぬ。だから讃岐へ来てから学んだ。
海も、風も、潮も、人も。」
頭領はしばらく惟成を見つめた。
そして不意に笑った。
「なるほど。」
今度は静かな笑みだった。
「厄介だな。」
その瞬間、頭領は腕を振り上げた。
「引け!!」
海賊達が一斉に動く。
「退くぞ!!」
「撤退だ!!」
「頭領命令だ!!」
海賊達が次々と船へ飛び移る。
「逃がすな!!」
朝廷軍の武官達が叫んだ。
しかし惟成は手を上げた。
「追うな。」
「源様!?」
「追うな。」
二度目だった。
三宅が驚く。
「なぜです!?」
惟成は沖を見た。
「罠だ。」
「え?」
「海賊共が慌てているように見えるか。」
三宅は言葉に詰まった。
確かに、誰一人慌てていない。
統制が取れすぎている。
「追えば誘い込まれる。」
惟成は言った。
「こちらの勝ちは既に決まっている。」
海賊達は撤退を続ける。
頭領の船も向きを変える。
やがて距離が開く。
その時、頭領が最後に振り返った。
そして大声で叫ぶ。
「若造ォ!!」
惟成は黙って見た。
「次は貴様を殺す!!」
海賊達が歓声を上げる。
惟成は表情一つ変えなかった。
代わりに静かに言った。
「そうか。」
その声は小さい。
だが確かに届いた。
頭領は笑った。
そして船団は沖へ消えていった。
静寂。
海風だけが吹く。
三宅が口を開いた。
「……逃がしてしまいましたな。」
惟成は海を見つめたまま答えた。
「いや。今回はこれで十分だ。」
「十分?」
「頭領の顔を見た。」
惟成の目が鋭くなる。
「ようやく敵が見えた。」
その言葉に三宅は息を呑んだ。
初戦は朝廷軍の勝利。
だが本当の戦いは今から始まるのだと。
その場にいた誰もが感じていた。
───瀬戸内海・とある小島
夜。
島を囲む入り江には十数隻の船が停泊していた。
焚き火が揺れる。
酒を飲む者、魚を焼く者、傷の手当を受ける者。
昼間の敗北を引きずる様子は不思議と無かった。
「頭領様。」
一人の海賊が頭を下げた。
大岩に腰掛けていた男が酒を煽る。
惟成と対峙した海賊達の頭領だった。
「何だ。」
「今日捕まった連中ですが、助けなくてよろしかったので?」
頭領は鼻で笑った。
「助けられるなら助けておる。だが、あの場で助けに入ればこちらも被害が出る。切るところは切る、それでなければ船団など率いられん。」
「は。」
海賊は頭を下げた。
少し離れた場所では若い海賊達が騒いでいた。
「腹立つな!」
「まさか若造にやられるとは!」
「追捕使だって?」
「十六だぞ!」
頭領はその声を聞きながら酒を飲む。
隣にいた古参の男が口を開いた。
「頭領様。」
「何だ。」
「本当に十六だと思いますか。」
頭領は笑った。
「十六だろう。」
「ですが……。」
「十六だから何だ。」
頭領は酒杯を置いた。
「歳で戦はできん。三十だろうが五十だろうが愚かな奴は愚かだ。」
古参の男は黙った。
「だが、あの若造は違う。」
焚き火が揺れる。
頭領の片目が細くなった。
「今までの追捕使は皆同じだった。着任すると手柄を焦り、大軍を率いて出てくる。地形も潮も知らずに突っ込み、そして死ぬ。」
周囲の海賊達も静かに耳を傾けていた。
「だが今回は違う。三ヶ月だぞ、三ヶ月も動かなかった。」
古参の男が頷く。
「確かに。」
「普通なら都から何をしていると責められる。それでも動かなかった。」
頭領は焚き火を見つめた。
「面倒だな、あれは。」
「面倒どころではありませぬか?」
頭領は笑う。
「厄介だ。」
海賊達がざわついた。
頭領が他人を評価するのは珍しい。
「地形を調べ、潮を調べ、風を調べる。海賊の動きまで調べ上げてから動く。
しかも強い。」
頭領は昼の戦いを思い出していた。
海上での立ち回り。あの踏み込み。あの太刀筋。
都の武官らしからぬ動きだった。
「海の上であれほど動くとは思わなかった。元服して数年の若造だが、今までの追捕使より余程厄介だ。」
若い海賊の一人が尋ねた。
「では頭領様、どうするので?」
頭領は少し考えた後、笑った。
「決まっておろう。殺す。」
海賊達が笑う。
しかし頭領の目は笑っていなかった。
「放っておけば面倒になる。今ならまだ経験も浅い、今のうちに消す。」
焚き火が弾けた。
頭領は立ち上がる。
「ただし、侮るな。」
その声は低かった。
海賊達の空気が変わる。
「今まで死んだ追捕使と同じと思うな。奴は違う。」
誰も口を開かなかった。
頭領は夜の海を見る。
月明かりが波に揺れていた。
「久しぶりだな。」
古参の男が聞き返す。
「何がです?」
頭領は静かに笑った。
「戦がだ。」
十年以上。
朝廷は何人もの追捕使を送り込んできた。
だが誰も敵ではなかった。
初めてだった。
次の一手を考えねばならぬ相手が現れたのは。
頭領は海の向こうを見つめる。
讃岐。
その先にいる若き追捕使の姿を思い浮かべながら。
「源惟成か……。」
初めてその名を口にする。
海風が吹いた。
頭領は口元を歪める。
「さて、次はどちらが上手く騙すかな。」
その笑みは獲物を見つけた獣のようだった。




