第231話 讃岐の追捕使
─── 一月・讃岐
年が明け、惟成と紗世は16歳を迎えた。
「源様ーーー!」
惟成が岬から海を見渡していると、遠くから呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、袿を頭から被った良家の姫君と、その従者らしき男が立っている。
「源様。間もなく新年の宴が始まります。お戻りくださいませ。」
「ああ。」
惟成は短く答えた。
その様子を見て、姫君が小さく笑う。
「……ふふっ。」
「どうかされましたか。」
惟成が無表情のまま尋ねた。
「いえ。源様も随分と讃岐に馴染まれたものだと思いまして。」
姫君は楽しそうに言う。
すると従者が呆れたように口を挟んだ。
「何をおっしゃいますか。姫君が一番源様を警戒しておられたではありませぬか。」
「あら?そうだったかしら?」
「そうでございます。」
「まあ、いいではありませんか。源様、参りましょう。今日は各地から献上品も届いておりますのよ。」
「承知しました。」
「もう……相変わらず硬いのね。」
「性分ですので。」
そうして三人は岬を後にした。
───讃岐豪族・和気経房邸
「さあ、源殿!存分に食べてくれ!良い酒も用意しておるぞ!」
経房が豪快に笑う。
「源様、私のおすすめはそちらのお魚ですわ。なかなか獲れない魚なのですけれど、今朝珍しく網にかかったそうですの。」
「ほう!新年早々、珍しい魚とは縁起が良いな!」
惟成より先に経房が反応した。
「父上。私は源様にお話しているのです。」
「おお、そうであったか。」
「ねえ、源様。」
「私も楽しませていただいております。お気になさらず。」
惟成は淡々と答えた。
「お……おぅ。相変わらず感情を表に出さぬな。」
経房が苦笑する。
すると姫君が御簾の向こうから身を乗り出した。
「そこが源様の良いところではありませんか!」
「また始まったぞ……。」
経房が呆れた声で言う。
「讃岐には豪放磊落な海の民が多いでしょう?豪放磊落と言えば聞こえは良いけれど、粗野で騒がしい方も多いのです。その中で源様の冷静沈着さは、とても際立っておりますわ。」
惟成は汁物を啜りながら考えた。
(これは……礼を言うべきなのだろうか。)
「初めは『都の若造』と散々言っておったのは誰だったか。」
経房が即座に言った。
「あら、それは仕方ありませんわ。」
姫君は悪びれもせず答える。
「追捕使の後任が十五歳だなんて聞けば、誰だって驚きますもの。朝廷は讃岐を見捨てたのではないかと本気で思いましたわ。」
「うむ。」
経房も頷いた。
「前任者は皆、三十から五十代の歴戦の武官であったからな。」
「……若輩者で申し訳ありません。」
惟成が静かに言う。
「いやいや!」
経房は大きく手を振った。
「最初こそ面食らったが、今では誰もそんなことは思っておらぬ。武芸は歴代随一、頭も切れる。悲願であった海賊討伐を成し遂げてくれるやもしれぬと、皆期待しておる。」
姫君も大きく頷いた。
───
惟成が讃岐へ着任した当初。
「十五の若造に何ができる。」
そんな声は至るところから聞こえていた。
地方豪族である和気氏。
讃岐守。
武官達。
領民達ですら疑念の目を向けていた。
讃岐守などは、
「追捕使は本当に源様なのでございますか?」
と何度も確認したほどである。
だが、惟成は周囲の評価を気にする様子もなく、淡々と指示を出していった。
「海図を用意してくれ。」
「海に詳しい者を集めろ。」
「この地の気候に詳しい者も。」
「海賊の出現場所を記録している者はいないか。」
「個々の海賊衆について分かる限り調べろ。」
惟成はなかなか出陣しようとはしなかった。
まずは情報。
海賊は海を知り尽くしている。
地の利は向こうにある。
地形も潮の流れも知らずに兵を送り出すことは、無駄死にを増やすだけだった。
そのため
「臆病者だ。」
「都の貴族は口ばかりだ。」
そんな非難も少なくなかった。
しかし、数か月も経たぬうちに異変が起こる。
海賊の襲撃回数が減った。
兵の死者も激減した。
そして海賊が現れた時だけ、惟成は迷わず出陣した。
ある夜など
「追いますか!?」
と部下が叫んだ時
「追わぬ。」
と惟成は即座に命じた。
「なぜです!?」
「夜の海を追えば味方が死ぬ。」
ただそれだけを言った。
手柄よりも人命を優先する。
その判断に救われた者は少なくなかった。
そして実際に戦えば、その強さは圧倒的だった。
海上とは思えぬ足運び。
一切無駄のない太刀筋。
十五歳とは到底思えぬ冷静さ。
人々は次第に理解し始める。
この若き追捕使は、武芸だけでなく将としても優れているのだと。
経房の姫君が惟成に心を惹かれたのも、無理からぬことであった。
姫君は領民を守ることを第一に考える性格だった。
だからこそ
被害を最小限に抑えようとする姿。
功績を誇ることなく淡々と任務を果たす姿。
そして誰よりも前に立ちながら、誰よりも兵の命を重んじる姿に、深い尊敬と信頼を抱くようになったのである。
「いやはや、今年こそは海賊どもを一掃したいものですな!」
酒を片手に地方豪族の一人が声を上げた。
「まったくです。」
「だが、そう簡単にはいきますまい。」
「島陰へ逃げ込まれてしまえば終わりですからな。」
宴席のあちこちで海賊の話題が上がる。
瀬戸内海の海賊は讃岐だけの問題ではない。
年貢船は襲われ、商船は略奪され、漁師達も怯えながら海へ出ている。
経房は大きく酒をあおった。
「源殿。何か策はないのか?」
周囲の視線が一斉に惟成へ集まった。
しかし惟成は慌てる様子もなく汁椀を置いた。
「ございます。」
その一言で座が静まる。
「ほう?」
経房が身を乗り出した。
惟成は淡々と言った。
「海賊が現れてから兵を出すのをやめます。」
数人の豪族が顔を見合わせた。
「……どういうことだ?」
「海賊は海を知り尽くしております。」
惟成は続ける。
「潮流も島影も風向きも理解している者達を、後から追って捕らえるのは困難です。」
「確かにな。」
「ならば。」
惟成は酒杯を置いた。
「出る前に捕らえます。」
ざわりと空気が揺れた。
「出る前だと?」
「どうやって?」
惟成は海図を思い浮かべながら答える。
「海賊が狙う船を調べました。
年貢船。塩船。商船。
特に近年は塩船への襲撃が増えております。」
武官達が頷いた。
確かに報告と一致している。
「海賊は獲物を選んでいるのです。」
「だから?」
経房が尋ねる。
惟成は静かに答えた。
「餌を置きます。」
沈黙。
誰も意味を理解できない。
「餌?」
「囮船です。」
惟成はそう言い切った。
「塩を積んだ船を出す。
海賊は必ず食いつく。
だが。」
その目が鋭くなる。
「船夫はただの船夫ではありません。」
経房の姫君が思わず身を乗り出した。
「まさか……」
「武官です。」
座がどよめく。
「船夫に扮した武官を乗せる。
海賊が接舷した瞬間に迎え撃つ。
さらに。」
惟成は続けた。
「周辺の島陰に伏兵を置きます。」
今度は誰も口を挟まなかった。
「海賊が現れる。
囮船に近付く。
接舷する。
そこで武官が応戦。
逃げようとしたところを伏兵が塞ぐ。」
惟成は淡々と言う。
まるで既に勝敗が決まっているかのように。
「追いかけるのではなく。待つ。」
静寂。
最初に口を開いたのは経房だった。
「……面白い。」
豪快に笑う。
「実に面白いではないか!」
「しかし源殿。」
別の豪族が言った。
「海賊が囮だと見抜いたらどうする?」
惟成は即答した。
「見抜けぬようにします。」
「なに?」
「船夫に扮する者は海に慣れた者を選びます。
船も普段使われているものを用いる。
積荷も本物を混ぜる。徹底して偽装します。」
その場にいた武官達が顔を見合わせた。
今までの追捕使とは違う。
誰もがそう思った。
歴代の追捕使は海賊が出れば兵を率いて追った。
だが、この若い追捕使は違う。
海賊を追うのではなく。
海賊を狩ろうとしている。
経房は満足そうに笑った。
「なるほどな。」
そして杯を掲げる。
「都から来た若造などと思ったことを詫びねばならぬかもしれぬ!」
座が笑いに包まれる。
だが、経房の娘だけは笑っていなかった。
御簾の向こうで惟成を見つめている。
十六歳。
自分より若い。なのに
この場の誰よりも冷静で、誰よりも先を見ている。
胸の奥が少し熱くなるのを感じながら、姫君はそっと視線を伏せた。
「源様……。」
誰にも聞こえないほど小さく、その名を呟いた。




