表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
231/270

第231話 讃岐の追捕使

─── 一月・讃岐


年が明け、惟成と紗世は16歳を迎えた。


「源様ーーー!」


惟成が岬から海を見渡していると、遠くから呼ぶ声が聞こえた。


振り返ると、袿を頭から被った良家の姫君と、その従者らしき男が立っている。


「源様。間もなく新年の宴が始まります。お戻りくださいませ。」


「ああ。」


惟成は短く答えた。


その様子を見て、姫君が小さく笑う。


「……ふふっ。」


「どうかされましたか。」


惟成が無表情のまま尋ねた。


「いえ。源様も随分と讃岐に馴染まれたものだと思いまして。」


姫君は楽しそうに言う。


すると従者が呆れたように口を挟んだ。


「何をおっしゃいますか。姫君が一番源様を警戒しておられたではありませぬか。」


「あら?そうだったかしら?」


「そうでございます。」


「まあ、いいではありませんか。源様、参りましょう。今日は各地から献上品も届いておりますのよ。」


「承知しました。」


「もう……相変わらず硬いのね。」


「性分ですので。」


そうして三人は岬を後にした。



───讃岐豪族・和気経房邸


「さあ、源殿!存分に食べてくれ!良い酒も用意しておるぞ!」


経房が豪快に笑う。


「源様、私のおすすめはそちらのお魚ですわ。なかなか獲れない魚なのですけれど、今朝珍しく網にかかったそうですの。」


「ほう!新年早々、珍しい魚とは縁起が良いな!」


惟成より先に経房が反応した。


「父上。私は源様にお話しているのです。」


「おお、そうであったか。」


「ねえ、源様。」


「私も楽しませていただいております。お気になさらず。」


惟成は淡々と答えた。


「お……おぅ。相変わらず感情を表に出さぬな。」


経房が苦笑する。


すると姫君が御簾の向こうから身を乗り出した。


「そこが源様の良いところではありませんか!」


「また始まったぞ……。」


経房が呆れた声で言う。


「讃岐には豪放磊落な海の民が多いでしょう?豪放磊落と言えば聞こえは良いけれど、粗野で騒がしい方も多いのです。その中で源様の冷静沈着さは、とても際立っておりますわ。」


惟成は汁物を啜りながら考えた。


(これは……礼を言うべきなのだろうか。)


「初めは『都の若造』と散々言っておったのは誰だったか。」


経房が即座に言った。


「あら、それは仕方ありませんわ。」


姫君は悪びれもせず答える。


「追捕使の後任が十五歳だなんて聞けば、誰だって驚きますもの。朝廷は讃岐を見捨てたのではないかと本気で思いましたわ。」


「うむ。」


経房も頷いた。


「前任者は皆、三十から五十代の歴戦の武官であったからな。」


「……若輩者で申し訳ありません。」


惟成が静かに言う。


「いやいや!」


経房は大きく手を振った。


「最初こそ面食らったが、今では誰もそんなことは思っておらぬ。武芸は歴代随一、頭も切れる。悲願であった海賊討伐を成し遂げてくれるやもしれぬと、皆期待しておる。」


姫君も大きく頷いた。


───


惟成が讃岐へ着任した当初。


「十五の若造に何ができる。」


そんな声は至るところから聞こえていた。


地方豪族である和気氏。


讃岐守。


武官達。


領民達ですら疑念の目を向けていた。


讃岐守などは、


「追捕使は本当に源様なのでございますか?」


と何度も確認したほどである。


だが、惟成は周囲の評価を気にする様子もなく、淡々と指示を出していった。


「海図を用意してくれ。」


「海に詳しい者を集めろ。」


「この地の気候に詳しい者も。」


「海賊の出現場所を記録している者はいないか。」


「個々の海賊衆について分かる限り調べろ。」


惟成はなかなか出陣しようとはしなかった。


まずは情報。


海賊は海を知り尽くしている。


地の利は向こうにある。


地形も潮の流れも知らずに兵を送り出すことは、無駄死にを増やすだけだった。


そのため


「臆病者だ。」


「都の貴族は口ばかりだ。」


そんな非難も少なくなかった。


しかし、数か月も経たぬうちに異変が起こる。


海賊の襲撃回数が減った。


兵の死者も激減した。


そして海賊が現れた時だけ、惟成は迷わず出陣した。


ある夜など


「追いますか!?」


と部下が叫んだ時


「追わぬ。」


と惟成は即座に命じた。


「なぜです!?」


「夜の海を追えば味方が死ぬ。」


ただそれだけを言った。


手柄よりも人命を優先する。


その判断に救われた者は少なくなかった。


そして実際に戦えば、その強さは圧倒的だった。


海上とは思えぬ足運び。


一切無駄のない太刀筋。


十五歳とは到底思えぬ冷静さ。


人々は次第に理解し始める。


この若き追捕使は、武芸だけでなく将としても優れているのだと。


経房の姫君が惟成に心を惹かれたのも、無理からぬことであった。


姫君は領民を守ることを第一に考える性格だった。


だからこそ


被害を最小限に抑えようとする姿。


功績を誇ることなく淡々と任務を果たす姿。


そして誰よりも前に立ちながら、誰よりも兵の命を重んじる姿に、深い尊敬と信頼を抱くようになったのである。



「いやはや、今年こそは海賊どもを一掃したいものですな!」


酒を片手に地方豪族の一人が声を上げた。


「まったくです。」


「だが、そう簡単にはいきますまい。」


「島陰へ逃げ込まれてしまえば終わりですからな。」


宴席のあちこちで海賊の話題が上がる。


瀬戸内海の海賊は讃岐だけの問題ではない。


年貢船は襲われ、商船は略奪され、漁師達も怯えながら海へ出ている。


経房は大きく酒をあおった。


「源殿。何か策はないのか?」


周囲の視線が一斉に惟成へ集まった。


しかし惟成は慌てる様子もなく汁椀を置いた。


「ございます。」


その一言で座が静まる。


「ほう?」


経房が身を乗り出した。


惟成は淡々と言った。


「海賊が現れてから兵を出すのをやめます。」


数人の豪族が顔を見合わせた。


「……どういうことだ?」


「海賊は海を知り尽くしております。」


惟成は続ける。


「潮流も島影も風向きも理解している者達を、後から追って捕らえるのは困難です。」


「確かにな。」


「ならば。」


惟成は酒杯を置いた。


「出る前に捕らえます。」


ざわりと空気が揺れた。


「出る前だと?」


「どうやって?」


惟成は海図を思い浮かべながら答える。


「海賊が狙う船を調べました。


年貢船。塩船。商船。


特に近年は塩船への襲撃が増えております。」


武官達が頷いた。


確かに報告と一致している。


「海賊は獲物を選んでいるのです。」


「だから?」


経房が尋ねる。


惟成は静かに答えた。


「餌を置きます。」


沈黙。


誰も意味を理解できない。


「餌?」


「囮船です。」


惟成はそう言い切った。


「塩を積んだ船を出す。


海賊は必ず食いつく。


だが。」


その目が鋭くなる。


「船夫はただの船夫ではありません。」


経房の姫君が思わず身を乗り出した。


「まさか……」


「武官です。」


座がどよめく。


「船夫に扮した武官を乗せる。


海賊が接舷した瞬間に迎え撃つ。


さらに。」


惟成は続けた。


「周辺の島陰に伏兵を置きます。」


今度は誰も口を挟まなかった。


「海賊が現れる。


囮船に近付く。


接舷する。


そこで武官が応戦。


逃げようとしたところを伏兵が塞ぐ。」


惟成は淡々と言う。


まるで既に勝敗が決まっているかのように。


「追いかけるのではなく。待つ。」


静寂。


最初に口を開いたのは経房だった。


「……面白い。」


豪快に笑う。


「実に面白いではないか!」


「しかし源殿。」


別の豪族が言った。


「海賊が囮だと見抜いたらどうする?」


惟成は即答した。


「見抜けぬようにします。」


「なに?」


「船夫に扮する者は海に慣れた者を選びます。


船も普段使われているものを用いる。


積荷も本物を混ぜる。徹底して偽装します。」


その場にいた武官達が顔を見合わせた。


今までの追捕使とは違う。


誰もがそう思った。


歴代の追捕使は海賊が出れば兵を率いて追った。


だが、この若い追捕使は違う。


海賊を追うのではなく。


海賊を狩ろうとしている。


経房は満足そうに笑った。


「なるほどな。」


そして杯を掲げる。


「都から来た若造などと思ったことを詫びねばならぬかもしれぬ!」


座が笑いに包まれる。


だが、経房の娘だけは笑っていなかった。


御簾の向こうで惟成を見つめている。


十六歳。


自分より若い。なのに


この場の誰よりも冷静で、誰よりも先を見ている。


胸の奥が少し熱くなるのを感じながら、姫君はそっと視線を伏せた。


「源様……。」


誰にも聞こえないほど小さく、その名を呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ