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第228話 会えば行けない、だから行かない

───翌朝・内裏


朝靄の残る京。


惟成は正装に身を包み、内裏へ参内していた。


昨夜はほとんど眠れなかった。


だが、その表情には一切出さない。


武官として、ただ静かに前を向く。


紫宸殿には既に公卿や殿上人が集まっていた。


その中には右大臣の姿もある。


右大臣は惟成を見つけると、満足そうに目を細めた。


惟成はそれを見ても何も思わぬように視線を逸らした。


そして、列席者の中には兼成の姿もあった。


何の拝命が行われるのかまでは聞いていなかったが、朝早くから召集がかかる以上、何らかの重要な任命なのだろうと考えていた。


やがて声が響く。


「左兵衛尉源惟成。」


「は。」


惟成は進み出て額づいた。


高御座の上から朱雀帝の声が降る。


「瀬戸内海の海賊は長きに渡り朝廷を悩ませておる。」


静まり返る殿内。


「先の追捕使、橘氏もまたその任半ばにして命を落とした。」


惟成は黙って聞く。


「そなたの武勇と忠節は都に広く聞こえておる。」


少し間があった。


「源惟成。」


「は。」


「海賊追捕使を命ず。」


惟成は深く頭を下げた。


「謹んで拝命仕ります。」


朱雀帝は静かに頷いた。


「都の安寧のため、力を尽くせ。」


「御意。」


静まり返った紫宸殿。


その中で一人、兼成だけは顔色を変えていた。


(海賊追捕使……だと……?)


瀬戸内海海賊追捕使。


それがどういう任であるか、兼成も知っている。


討伐が終わるまで帰れぬ。


長引けば数年。


あるいは二度と帰らぬ者もいる。


先の追捕使であった橘氏も命を落としている。


(何ということだ……。)


兼成は思わず拳を握った。


惟成は紗世との将来を真剣に考えていた。


兼成もそれを見てきた。


武官としての覚悟。


男としての誠実さ。


娘を任せるなら、こういう男だろうと思っていた。


その惟成が。


よりによって今。


海賊追捕使として西へ送られる。


(紗世はまだ宇治だ……。)


兼成の脳裏に娘の顔が浮かぶ。


惟成と喧嘩したまま宇治へ向かった娘。


まだ、この任命を知らぬ娘。


(姫が知ったら………。)


胸が重くなる。


しかも、惟成の任命は主上直々。


覆ることなど有り得ない。


兼成はそっと目を閉じた。


(どうするのだ……惟成……。)


だが、当の惟成は微塵も動揺を見せていなかった。


武官として静かに額づいている。


その姿が、かえって兼成の胸を締め付けた。



───



拝命式が終わる。


惟成が殿外へ出ると、何人もの武官達が声を掛けた。


「気を付けろよ。」


「瀬戸内の海賊は手強い。」


「無事に戻れ。」


皆、励ましている。


だが、その言葉の裏には別の意味もあった。


『生きて帰れ。』


海賊追捕使はそういう役目だった。


任地で命を落とす者も珍しくない。


惟成は一人一人に礼を返した。



───左兵衛府


出立の準備は既に整っていた。


馬。


武具。


旅装。


供として同行する数名の兵。


荷は最低限。


長い旅になる。


左兵衛佐・菅原が近付いてきた。


「本当に今日行くのだな。」


「はい。」


「まだ刻はある。」


菅原は言いにくそうに続けた。


「四条邸へ行かぬのか。」


惟成の手が僅かに止まった。


だが、それも一瞬だった。


「行きません。」


「惟成。」


「私は昨日、和泉殿に会いました。」


菅原は黙る。


「それで十分です。」


嘘だった。


全然十分ではない。


もう一度会いたかった。


顔を見たかった。


声を聞きたかった。


謝らせてやりたかった。


そして――


自分も謝りたかった。


だが、会えば行けなくなる。


だから行かない。


「そうか。」


菅原もそれ以上は言わなかった。



───京の羅城門近く


太陽が高く昇り始めていた。


出立の刻。


兵達が馬上で待っている。


惟成も馬に跨った。


振り返れば京の町並みが見える。


四条邸も。


二条邸も。


宇治へ続く道も。


全てこの先しばらく見ることはない。


一年か。


二年か。


それとも――


戻れないか。


惟成はゆっくり目を閉じた。


脳裏に浮かんだのは紗世だった。


笑っている顔。


怒った顔。


呆れた顔。


そして


昨日のずぶ濡れの姿。


無事で良かった。


本当に。


それだけで良かった。


「出立する。」


惟成が告げる。


「はっ!」


兵達の声が揃った。


惟成は前を向いた。


もう振り返らない。


馬腹を蹴る。


馬が走り出した。


土煙が舞う。


瀬戸内海へ。


海賊達が待つ戦場へ。


源惟成は京を後にした。



───惟成が出立した翌日・昼過ぎ


二条邸の前に牛車が停まった。


先頭の牛車からは源氏の君、葵の上、夕霧が降りた。


二台目の牛車から紗世や他の女房達が降りてくる。


頭中将は馬上から降りた。


女房や使用人達が牛車から荷を慌ただしく運び出していた。


紗世は一刻も早く惟成に会いに行こうと、てきぱきと荷を運ぶ。


その様子を見て頭中将がくすりと笑った。


「和泉殿、もう良いから帰りなさい。早く惟成に会いに行きたいのだろう?」


「えっ……あ、でも……」


頬を赤らめながら困惑する紗世を見て、源氏の君も葵の上も笑った。


「和泉は本当によくやってくれたわ。牛車を用意するから、あとは他の者に任せて帰りなさい。」


「そうだぞ。惟成もきっと和泉殿に会いたいはずだ。」


「ありがとうございます!では、私はこれで失礼いたします!」


紗世は深々と頭を下げ、用意された牛車に乗り込んだ。


源氏の君、葵の上、頭中将が牛車を見送る。


その横で、左大臣家の家司がおずおずと声を掛けた。


「あ、あのう……」


「なんだ?」


「今、お話に出ていた惟成様とは、源兵衛尉であられる惟成様でございますよね?」


「む?そうだが?惟成がどうかしたか?」


源氏の君は眉をひそめた。


「源氏の君、とりあえず邸へ入りましょう。姉上と夕霧を休ませねば。」


頭中将が言った。


「そうだな。話は後で聞く。まずは葵の部屋を整えてくれ。」


「かしこまりました。」


そうして一同は邸へ入った。


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