第209話 夢の中の再会
───数日後・三条東洞院 陰陽頭邸
邸には、不思議な香が漂い、部屋のあちこちには護符が貼られていた。
「これは……?」
紗世は護符をまじまじと見つめながら尋ねた。
「和泉殿の魂が夢の中に留められぬよう、こちら側へ引き留めるための命綱のような護符だよ。」
在昌の説明に、紗世は慌てて手を引っ込めた。
部屋には紗世と惟成が横になるための畳が二つ並べられている。その周囲には梵字の記された蝋燭が置かれ、静かな灯が揺れていた。
紗世と惟成は、それぞれの畳の上に座る。
その正面に在昌が腰を下ろした。
「さて、和泉殿。この数日、夢の中へ行くことはあったかい?」
そう尋ねると、予想外の答えが返ってきた。
「それが、この数日は夢を見ていません。」
「一度も?」
「はい。……もしかして、鷹丸様の生霊が離れたのでは?」
在昌は目を細めた。
「いや。鷹丸様の魂の気配はまだ残っている。眠る時、今までと違ったことはなかったかい?」
「違ったこと……?」
紗世は少し考え込む。
「特にはありませんが……強いて言うなら、最近は虎徹が毎日、私の隣で寝ていたくらいで……。」
(それか。)
(それだな。)
在昌と惟成は同時に納得した。
「……そうか。とりあえず、夢の中から出られなくなることがなくて良かった。」
そう言うと、在昌は懐から赤い組紐を取り出した。
そして、それを紗世の小指へ結び付ける。
「この紐は、夢の中からこちら側へ戻るための道標だ。今回は、その反対側を惟成殿に結ぶ。」
そう言って、組紐の端を惟成の小指へ結んだ。
(……なんだか、運命の赤い糸みたい…。)
紗世の頬は人知れず赤らんでいた。
「最良なのは話し合いで解放してもらうことだ。しかし、和泉殿が夢の中に捕らわれた場合は、惟成殿を通してこちら側へ引き戻す。」
惟成は静かに頷いた。
「まずは和泉殿一人で夢へ入ってもらう。もし鷹丸様に身体のどこかを掴まれ、離してもらえなくなったら、『離してください』と二度続けて言いなさい。それを合図に惟成殿を夢の中へ入れる。」
紗世は不安そうな表情を見せた。
「大丈夫だよ、和泉殿。落ち着いて話せば、鷹丸様も分かってくださるはずだ。」
在昌は穏やかな声で言った。
「準備はいいかい?」
「……はい。」
紗世は真っ直ぐ前を見据えた。
「では、睡眠効果のある香を焚こう。惟成殿は、まだ香を吸わないように。」
「承知しました。」
在昌は手際よく準備を進めていく。
紗世は畳へ横になり、ゆっくりと目を閉じた。
香のせいか、強い眠気が押し寄せてくる。
ほどなくして、紗世は深い眠りへ落ちていった。
───
紗世が眠りに落ちた後だった。
どこからともなく、一匹の白猫が部屋へ入ってきた。
虎徹だった。
「虎徹。」
真っ先に気付いたのは惟成だった。
「虎徹様。いらしていたのですか。」
在昌も視線を向ける。
「最近、紗世が眠りにつくたび、妙な気配がまとわりついていたのでな。あの気配があると、紗世は目を覚まさん。」
虎徹は左右で色の違う瞳を細め、眠る紗世を見た。
「調べてみれば、一条の邸に住む男だった。百鬼夜行の時も三条、三条と騒ぎながら行列を追っておった。」
「鷹丸様が百鬼夜行を……?」
在昌は驚いて顔を上げた。
「ああ。行列の中の誰かを探しているようだった。」
虎徹の尾がゆらりと揺れる。
「危うい執着を見せる男だと思ったが、まさかその相手が我が主だったとはな。」
そう言って、虎徹は惟成を見た。
「惟成。」
「なんだ。」
「万が一、お前でも主を夢から引き戻せなければ、我が行く。」
虎徹の瞳が妖しく光る。
「夢の中で、その鷹丸とやら。喰ろうてやろうぞ。」
その瞬間。
在昌も惟成も背筋に冷たいものが走った。
やはり、この猫は妖なのだ。
「……紗世は鷹丸様に恩義を感じている。紗世が悲しむ。そのようなことにならぬよう、俺が何とかしよう。」
「せいぜい励むがよい。」
虎徹は牙を覗かせ、ニヤリと笑った。
その時だった。
───チリン。
紗世の周囲に置かれた蝋燭。
そこへ結び付けられていた鈴が、小さく鳴った。
在昌の表情が引き締まる。
「……接触したようだな。」
低い声が静かな部屋に落ちた。
「和泉殿が、鷹丸様と。」
─────
紗世は見覚えのある松林に立っていた。
「ここは……」
ぐるりと辺りを見回す。
そこは和泉国北部の松林の街道だった。
右大臣の手の者に三条が攫われそうになり、鬼に扮した惟成が現れた場所。
そこには牛車もなければ人影もない。
紗世ただ一人だった。
どこかへ移動した方が良いのだろうか。
そう思いながら歩き始めた時だった。
遠くから馬の蹄の音が響いてきた。
紗世が顔を上げる。
馬上にいたのは鷹丸だった。
「三条ーーーっ!!」
鷹丸は馬を紗世の傍らで止めた。
「早く!乗れ!三条!!」
「え?え?鷹丸様……乗れって……」
「急げ!鬼が来てしまう!!」
紗世は小さく息を吐いた。
(そうだ……鷹丸様は、私が鬼に攫われたと思っているんだ。)
そして静かに首を横へ振った。
「いいえ。乗りません。」
「何?」
「私は、鬼の妻となったのですから。」
鷹丸は馬から飛び降りた。
「何を言うのだ、三条!目を覚ませ!そなたは鬼に魅入られているのだ!!」
「いいえ。」
紗世は真っ直ぐ鷹丸を見た。
「私は鷹丸様と出会う前から、鬼と仲睦まじくしておりました。」
「……な……に……?」
「私は本当に鬼を慕っているのです。」
次の瞬間。
鷹丸は紗世を強く抱き締めた。
「信じぬ!」
「鷹丸様……」
「信じるものか!!」
腕に力が籠る。
「そなたが愛しくて……欲しくてたまらぬのだ……!」
掠れた声だった。
「この想いをどうしたら良い……!?」
紗世は胸が締め付けられるのを感じた。
「夢の中なら……邪魔をされぬ……」
肩が小さく震える。
「いけません。鷹丸様……」
「鬼を想っていても良い……夢の中なら関係ない……」
「駄目です!」
「夢の中でなら、ずっとそなたと会い、話し、抱き締めていられる……」
抱擁はさらに強くなる。
「離さぬ……離さなければ、そなたは夢の中に留まる……」
(鷹丸様……夢に留める方法に気付いて……)
「は……離して……ください。」
「嫌だ。」
「離してください!」
紗世は合図の言葉を放った。




