第202話 生霊の正体
紗世はごとごとと牛車に揺られていた。
(あれ? 私、どこへ行くんだっけ?)
不思議に思い、そっと御簾をめくる。
「っ!?」
思わず息を呑んだ。
牛車の周囲には、夥しい数の妖がいた。
鬼。
獣。
骸骨。
見たこともない異形のものたちが列をなし、夜道を進んでいる。
(ななななななにこれ!!)
全身が強張る。
(百鬼夜行の中にいるの!?)
慌てて両手で口を塞ぐ。
妖たちはまだこちらに気付いていない。
だが気付かれたら終わりだ。
紗世は身動ぎ一つできず、ただ牛車に揺られていた。
その時だった。
「三条!!」
遠くから声が聞こえた。
「三条ーーー!!」
(三条……?)
胸が大きく跳ねる。
宇治にいた頃に使っていた偽名。
なぜ今、その名を呼ばれるのか。
そして、その声には聞き覚えがあった。
まさか――。
「……鷹丸様?」
その呟きが届いたかのように、声がさらに近付く。
「三条!!そこにいるのか、三条!!」
次の瞬間。
ばさり、と御簾が勢いよく開けられた。
「三条!」
肩で息をし、額に汗を浮かべた鷹丸が牛車へ乗り込んでくる。
そして紗世を強く抱き締めた。
「見つけた……!」
震える声だった。
「やっと見つけた!!三条!!」
「た……鷹丸様……」
戸惑う紗世の手を、鷹丸は強く握った。
「鬼に見つかる前に逃げるぞ!」
「え?」
そう言うなり、鷹丸は紗世の手を引いて牛車を飛び降りた。
走る。
ただひたすらに走る。
妖たちの列から離れるように。
夜の闇を駆け抜けるように。
「た……鷹丸様……!」
息を切らしながら問いかける。
「鬼……とは?」
鷹丸は振り返った。
その目には焦りが滲んでいた。
「そなたの夫となった鬼だ!」
紗世の足が遅くなる。
「なぜ、そなたが鬼の妻にならねばならぬ!」
鷹丸の声が震えた。
「鬼の妻になどなるな!」
(……鬼……?)
そこで紗世は思い出した。
和泉国北部の松林で、中務卿宮が手配した護衛たちに向かって言った。
鬼に扮した惟成に身を寄せて告げた言葉。
『私はこの方と共に参ります。』
三条という存在を追わせないためについた嘘。
鷹丸は今も、それを信じているのだ。
「ま……待ってください!」
紗世は足を止めた。
「鷹丸様!」
鷹丸も立ち止まる。
「……三条?」
「私は……。」
胸が痛む。
それでも言わなければならなかった。
「私は、自ら進んで鬼の妻になったのです。」
鷹丸の目が大きく見開かれる。
「なぜだ!」
叫ぶような声だった。
「私は迎えに行くと言ったではないか!」
両肩を掴まれる。
痛いほど強く。
「三条……。」
鷹丸の目は悲しみに満ちていた。
「そなたが心から離れぬ。」
声が震える。
「愛しているのだ、三条……。」
胸が締め付けられる。
嬉しいわけではない。
ただ苦しかった。
自分が傷付けてしまった人の想いだから。
「ごめんなさい……。」
それしか言えなかった。
「ごめんなさい……。」
鷹丸は首を振る。
「嫌だ。」
「鷹丸様……。」
「離さぬ。」
握られた手に力が込められる。
「離したら、そなたは消えてしまう。」
紗世の胸に恐怖が広がった。
このままでは駄目だ。
このままでは――。
「手を……お離しください……!」
「嫌だ。」
「鷹丸様……!お願いでございます……!」
必死に振りほどこうとする。
だが離れない。
────
「……鷹丸様……。」
苦しげな声が漏れた。
惟成の眼差しが鋭くなる。
(……鷹丸様?)
「紗世。」
肩を揺する。
反応はない。
「紗世!」
さらに強く揺する。
それでも目を覚まさない。
惟成の脳裏に、以前紗世から聞いた言葉がよぎった。
『夢に閉じ込められ、目を覚まさなくなる――』
背筋が冷える。
まさか、そんな怪異が本当にあるのか。
だが、今の紗世の様子は異様だった。
惟成は紗世を抱き起こし、そのまま膝の上へ抱き抱える。
「そんなこと、させるものか……!」
その時だった。
惟成の視線が紗世の手首に止まる。
赤い。
まるで誰かに強く掴まれているように。
指の形まではっきりと浮かび上がっていた。
惟成の表情が険しくなる。
⸻
「行くな!三条!!」
夢の中で鷹丸が叫ぶ。
「手を……お離しください!!」
紗世も必死だった。
「嫌だ!」
鷹丸は首を振る。
「手を離したら、そなたは消えるであろう!?」
(どうしよう……。)
恐怖が込み上げる。
(生霊って……鷹丸様だったんだ……。)
このままでは駄目だ。
このまま夢に閉じ込められてしまう。
その時だった。
二人の傍らへ気配が降り立つ。
ぼろぼろの衣。
乱れた黒髪。
鬼面を付けた男。
(惟成……!)
思わず顔を上げる。
だが同時に迷いも生まれた。
(でも……夢の中のこの鬼は、本当に惟成なの……?)
その時だった。
「離せ。」
低い声が響く。
紗世は目を見開いた。
(惟成の声……!)
鷹丸が紗世を庇うように立つ。
「くっ……この鬼め!」
「離せ。」
再び告げる。
静かな声だった。
だが有無を言わせぬ迫力があった。
鷹丸は紗世の手をさらに強く握る。
「離すものか!」
鬼の目が鋭くなる。
次の瞬間。
鬼の手が鷹丸の腕を掴んだ。
その瞬間だった。
紗世の手首に熱が走る。
焼けるような熱だった。
そして――
────
パチッ。
紗世の目が開く。
荒い呼吸。
涙で滲む視界。
最初に見えたのは惟成の顔だった。
「……起きたか。」
低く静かな声。
紗世は惟成の膝の上に抱き抱えられていた。
そして惟成は紗世の手首にある赤くなっている手形に重ねるように手首を握っていた。
「……惟成……。」
あのまま夢に囚われていたら。
そう思った瞬間、恐怖が込み上げる。
涙が溢れた。
惟成は何も言わず、そのまま紗世を支えた。
やがて真砂へ視線を向ける。
「真砂。」
「はい。」
「少し紗世を落ち着かせる。本堂へ行く。」
短く告げる。
「お前はここにいろ。」
「はい。」
真砂は静かに頷いた。
惟成は紗世を抱き上げる。
そのまま立ち上がり、部屋を後にした。
雨上がりの夜気が流れ込む。
月明かりの下、本堂へ続く道だけが白く浮かび上がっていた。




