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第191話 陰陽頭脳内パニック


「ええ……と、それでは。」


陰陽頭が小さく咳払いをする。


「姫君の最後の願い、ですね。」


「はい。」


「だ……抱き寄せれば、よろしいのでしょうか?」


「だめですわ。」


即答だった。


陰陽頭の眉がぴくりと動く。


「そんな事務的に仰っては。」


姫君は不満そうに唇を尖らせた。


「いつものように、恋人として接してくださいませ。その流れで、自然に抱き寄せていただきたいのです。」


六条御息所の姿と声で言われる。


(……複雑だ。)


陰陽頭の内心は混乱していた。


困惑している。


だが同時に。


どこか、嬉しいと思ってしまう自分がいる。


(いや、違う。これは御息所様ではない。式部少丞の姫君だ。)


小さく息を吐き、覚悟を決めた。


「姫君。」


陰陽頭は静かな声で語りかける。


「このひと月、貴方への想いは募るばかりでした。」


姫君の目が輝く。


「美しい文を交わすだけで十分と思っていたのです。」


「……はい。」


「ですが。」


陰陽頭は一歩近づいた。


「私の想いは、文のやり取りだけでは足りぬほど大きくなってしまったようです。」


(御息所様の顔で見つめないでくれ……。)


「抱き締めても……よろしいでしょうか?」


姫君は頬を染め、嬉しそうに頷いた。


「……はい。」


(御息所様の顔でそれは反則だろう!!!)


陰陽頭は、そっと御息所を抱き寄せた。


壊れ物に触れるように、優しく。


すると姫君はくすりと笑った。


「陰陽頭様。そんな簡単に壊れませんわ。」


御息所の声で甘えるように囁く。


「もう少し、強く抱き締めてくださいませ。」


(なんだこれはあああああ!!!拷問か!!!?)


陰陽頭は、僅かに腕に力を込めた。


姫君は満足そうに陰陽頭の胸へ顔を寄せる。


しばらくして、ふと顔を上げた。


「あの……。」


「なんでしょう?」


平静を装いながら答える。


「そ……その……。」


「その?」


「添い寝を……していただけませんか?」


────停止。


陰陽頭の思考が止まった。


「……陰陽頭様?」


再起動。


「そ、添い寝!?」


「も、もちろん添い寝だけです!」


姫君は慌てて手を振る。


「さすがに契りまではいたしませんので……!」


(当たり前だ!!!)


陰陽頭は内心で絶叫した。


(いや、待て。添い寝でも十分まずい!!!)


「……あちらに、寝所をご用意しておりますので……。」


御息所の姿のまま、袖をくい、と引かれる。


(だから反則なんだそれはああああ!!!)



────陰陽頭の何かが切れた。



「……では、参りましょうか。」


(これは仕事これは仕事これは仕事これは仕事。)


「きゃっ。」


陰陽頭は姫君をひょいと抱き上げた。


そのまま寝所の御簾をくぐり、静かに横たえる。


そして自らも隣へ横になった。


姫君が何か言うより早く、その身体を抱き寄せる。


指先でゆっくりと髪を梳き、優しく撫でた。


姫君の目が潤む。


(私がしてほしいって言ったこと……覚えていてくださったのですね……。)


姫君はそっと顔を上げた。


「……陰陽頭様。」


「はい。」


「ずっとずっと……お慕いしておりました。」


泣き笑いのような顔だった。


陰陽頭は一瞬だけ目を閉じる。


「……私もですよ、姫君。」


(これは仕事これは仕事これは仕事。)


姫君はゆっくり目を閉じた。


陰陽頭は覚悟を決める。


(これは仕事これは仕事これは仕事これは仕事これは仕事!!!)


そして。


そっと、唇を重ねた。


時間の感覚が曖昧になる。


短かったのか、長かったのかも分からない。


重ねた唇を離す。


──沈黙。



──沈黙。


(……これで、成仏してくれるだろうか……。してくれなくては困るのだが……)


夏の夜の湿った空気だけが、静かに寝所を満たしていた。


陰陽頭は腕の中の姫君を見下ろす。


御息所の姿を借りた式部少丞の姫君は、目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。


───沈黙。


「あ……あの……姫君?」


恐る恐る声を掛ける。


返事はない。


ただ、腕の中の身体が、小さく震えた。


「姫君……?」


陰陽頭が顔を覗き込む。


その頬は、朱が差したように真っ赤だった。


「ひめぎ……」


呼び掛けようとして、陰陽頭は息を呑んだ。



────!!!!???



(式部少丞の姫君の気配が……無い!!!??)


陰陽頭は反射的にガバッ、と御息所の顔を見る。


そこに居たのは──


もう、式部少丞の姫君ではなかった。


陰陽頭の腕の中にいるのは、


耳まで真っ赤に染め、完全に硬直している六条御息所本人だった。


(なんっっって折り悪く成仏するんだあああああああ!!!)


あまりの衝撃に、陰陽頭は身を離すことすらできなかった。


(どうする……?どう言えばいい……?いや、そもそも、謝って済む問題なのか……?)


脳内が凄まじい勢いで混乱する。


そんな陰陽頭の腕の中で、御息所が小さく身動ぎした。


「もっ……申し訳ありません!苦しかったですよね!?」


陰陽頭は慌てて腕を離した。


「……いいえ。」


御息所は顔を真っ赤にしたまま、小さく笑ったようだった。


「あ……あの……笑って……おられます……?」


そう問うと、御息所の肩が僅かに震えた。


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