第184話 妄想と想像の暴走
───蹴鞠会数日後、夕刻の四条邸。
「姫様ー、惟成様がお見えですよー。」
真砂の声が響いた瞬間。
紗世の肩がびくりと跳ねた。
「…………。」
「姫様?」
「…………。」
「どうしたんです?」
紗世は、ゆっくり顔を上げた。
真っ赤だった。
「え、ちょ、どうしたんですか。」
「……だって……。」
ぽそり。
「蹴鞠会のあとから……惟成の顔まともに見れない……。」
真砂、察した。
「あー……。」
あの蹴鞠会。
御簾の内で繰り広げられた、姫君達と女房達の大暴走。
───力は強そうなのに、優しそう。
───静かな男ほど乱れるのよ。
───夜、激しそう。
───逃げ道全部塞がれて、“こちらへ”とか言われたい。
───無理矢理とかは絶対しなさそう。
思い出す度に、紗世の顔が熱くなる。
しかも惟成本人を見ると、余計に駄目だった。
鍛えられた腕。
低い声。
無駄のない身体。
静かな目。
(だめだぁぁぁ!!)
脳内で勝手にガールズトークが再生される。
「姫様。」
真砂が肩を叩いた。
「とりあえず落ち着いてください。」
「無理ぃ……。」
「惟成様、普通に心配しますよ。」
「それが一番困るのぉ……。」
その時
「紗世。」
低い声。
「っ!!!」
いつの間にか、惟成が御簾の向こうへ来ていた。
紗世、反射的に顔を隠す。
惟成は首を傾げる。
「……どうした?」
「な、なんでもない……。」
「様子が変だ。」
「へ、変じゃない!」
「顔が赤い。」
「赤くない!」
「いや赤い。」
即答。
紗世、さらに真っ赤。
(だめだ近い!!声が低い!!)
脳内。
───静かな男ほど余裕が無くなった時危ういのよ。
(わあああああ!!)
惟成は本気で困惑していた。
「熱でもあるのか?」
「な、ないよ!」
「あるように見える。」
「気のせい!」
「そうか?」
真顔。
余計に駄目。
紗世は視線を逸らし続ける。
すると。
突然。
───ダンッ!!
「きゃっ!?」
御簾が大きく揺れた。
虎徹だった。
「虎徹!?」
虎徹は御簾へ飛びつき、ぶら下がったまま暴れ始める。
ばさばさばさっ!!
「ちょ、虎徹!?」
惟成が目を細めた。
(虎徹、何をしている?)
虎徹、ちらりと惟成を見る。
その猫の顔が妙に、にやりと笑ったように見えた。
〈惟成、お主、後で我に感謝しろよ?〉
「?」
惟成が怪訝な顔をした瞬間。
───バサァッ!!
御簾が外れた。
「え。」
「……。」
丸見え。紗世、硬直。
惟成も、一瞬止まる。
だが次の瞬間
「紗世!?」
惟成の顔色が変わった。
紗世。
顔どころではない。
耳。
首。
手。
全部真っ赤だった。
「どうしたんだ!!?」
惟成、躊躇なく紗世の方へ来る。
「熱か!?」
「あっ……。」
近い。
近すぎる。
たくましい腕。
低い声。
真剣な目。
脳内。
───夜、激しそう。
───逃がしてくれなさそう。
───嫉妬深そう。
───重そう。
(やめてぇぇぇぇ!!!)
限界だった。
「っ……。」
ふらり。
「あっ。」
紗世、そのまま倒れかける。
惟成が即座に抱き留めた。
「紗世!?」
軽々と抱き上げる。
「真砂!」
「は、はい!」
「紗世を寝かす!案内しろ!」
真砂、慌てて動く。
惟成はさらに続けた。
「あと薬師を!」
「そ、それはいらないいいい!!」
紗世、即拒否。
惟成は真顔だった。
「何故だ!?こんなに真っ赤なんだぞ!?」
(あんたのせいだよ!!!!)
「だ、大丈夫だからぁ……下ろしてぇぇ……。」
両手で顔を覆いながら、紗世は絞り出すように言う。
「……分かった。しかし、お前は寝かす。」
惟成は真剣だった。
「真砂が用意するまで待ってろ。」
紗世、はたと止まる。
(……待って。このまま?惟成に抱かれたまま?……抱かれ……)
脳内。
───惟成様、一晩中離してくれなさそう
(わああああああ!!!)
紗世、惟成の腕の中で悶絶。
「なっ……なんだどうした!?」
惟成、完全困惑。
そこへ
「惟成様、ご用意できました。」
真砂が戻ってくる。
惟成は紗世を、用意された寝所へゆっくり下ろした。
「……やはり薬師を……。」
「やああああ!!」
紗世、全力拒否。真砂、咳払い。
「惟成様、多分、大丈夫でございます。」
「こんなに全身真っ赤なのだぞ?」
「多分……惟成様のせいかと。」
「は?」
惟成、真顔。
「俺?」
「やあああああ!!言っちゃダメぇぇぇ!!!」
紗世、布団を頭まで被る。
惟成は呆れた。
「紗世、うるさいぞ。真砂、話せ。」
「真砂おおおお!!」
「なら薬師を呼ぶ。」
「それもダメぇぇぇ!!」
「なら言え。俺のせいだと言われて黙ってられるか。」
真砂は、気まずそうに視線を逸らした。
「実は、あの蹴鞠会で……。」
紗世。
「〜〜〜〜っ!!!」
布団の中で悶絶。
真砂は、姫君達と女房達のガールズトークを、なるべくぼかしながら説明した。
説明が終わる。
静寂。
惟成が、深く息を吐いた。
「……つまり。病ではないのだな。」
「ええ。」
真砂が頷く。
「ですから薬師を呼ぶ必要は無いかと。」
惟成、少し呆れたように言った。
「呼んだら恥をかくだけか。」
「ええ。」
真砂、すっと立ち上がる。
「……そんなわけで、私は北の方様に呼ばれておりますので、ごゆっくり。」
「は?」
惟成が振り返る。
「おい。」
だが。
真砂はそのまま、すたすた逃げていった。
「…………。」
静寂。
惟成が小さく呟く。
「この空気で置いていくとか……。……あいつは鬼か……。」
布団の中から、うっうっと泣く声。
惟成は困ったように近付いた。
「……何、泣いてるんだ。」
「だっ……だってぇ……。」
紗世、涙声。
「恥ずかしすぎるぅぅ……。」
「紗世。」
「…………。」
「紗ー世。」
優しい声。
布団の上から、ぽんぽんと軽く叩く。
「そんなに包まってたら余計熱が籠るぞ。」
もぞもぞ。
少しだけ布団が動く。
惟成は、そっと端をめくった。
そこから覗いたのは。
少し乱れた髪。
潤んだ瞳。
蒸気した頬。
惟成の心臓が、どくりと鳴る。
惟成も、じわりと赤くなった。
「……女房や姫君が集まると、しょーもない話ばかりだな。」
少し呆れたように言う。
紗世はむくれた。
「女なんてそんなもんだもん……。」
「所詮、他人の想像と妄想の世界だろう?」
「……そうだけど。」
惟成は、紗世をじっと見た。
「他人はただの想像や妄想で終わる。」
「…………。」
「だが。」
少しだけ。
惟成の口元が上がる。
「お前はいずれ確認できるだろう?」
紗世、停止。
間。
間。
意味理解。
「………っ!!ばかあああああああ!!!!」
枕が飛ぶ。
惟成、避けながら。
「ははははははは!!」
声を立てて笑った。
四条邸。
廊下を歩いていた女房達、全員停止。
(……え。)
(今……。)
(惟成様が……。)
(笑った……!?)
部屋の中では、紗世が顔を真っ赤にして叫んでいた。
「もう帰ってぇぇぇぇ!!!」
───惟成、四条邸を出た後
夜風が、少し火照った頬に心地良かった。
惟成は、静かな四条大路を歩いていた。
供も少し後ろを歩いている。
いつも通りの帰り道。
……のはずだった。
「…………。」
惟成は、無言のまま歩く。
だが頭の中では、先程の紗世の顔が、何度も浮かんでいた。
真っ赤な顔。
潤んだ目。
布団へ潜って、「恥ずかしすぎるぅぅ……」と泣いていた声。
そして真砂から聞いた女達が言っていたという台詞。
『惟成様、夜もお強いのかしら?』
「…………。」
惟成、ぴたりと止まる。
後ろの供が慌てた。
「惟成様?」
「……いや。」
再び歩き出す。
だが数歩後
「…………。」
また止まる。
(……何を考えているんだ、俺は。)
珍しく、惟成の思考が乱れていた。
女房達の妄想。
そんなもの、普段なら気にも留めない。
しかし紗世があそこまで真っ赤になっていたせいで、妙に意識してしまった。
しかも最後
『お前はいずれ確認できるだろう?』
(…………。)
言った。自分で。
あんなことを。
思い出した瞬間。
「…………っ。」
惟成、片手で顔を覆う。
耳が赤い。
供、困惑。
(惟成様……?)
さらに思い出す。
布団から覗いた紗世の顔。
乱れた髪。
潤んだ瞳。
蒸気した頬。
(……あれは反則だろう……。)
惟成、深く息を吐く。
次の瞬間、更にまた真砂から聞いた女達の妄想の台詞を思い出してしまった。
『逃げ道全部塞がれて、“こちらへ”とか言われたい。』
「…………。」
惟成、完全停止。
そして、ぽつり。
「……こちらへ、か。」
低い声。
無意識だった。
後ろの供、聞いてしまった。
(!?)
供、混乱。
(な、何がこちらへ……!?)
惟成は、はっと我に返る。
「…………。」
無言。
すたすた歩き出す。耳まで真っ赤だった。
──その頃四条邸
紗世は布団へ顔を埋め、じたばたしていた。
「もうやだぁぁぁぁ!!!」
虎徹は、そんな紗世の横で丸くなり。
「にゃー。」
どこか。
妙に満足そうだった。




