第166話 源氏の君のお礼の品
───賀茂の祭から数日後・四条邸
賀茂の祭から数日が経とうとしていた頃。
六条御息所邸から戻った紗世を見つけるなり、兼成が廊下を駆けてきた。
「姫ええぇぇぇ!!!」
「父上、都に戻ってきてから叫ぶこと多くない?もう少し静かにしてよ……。」
紗世は呆れたように眉を下げた。
しかし兼成は、それどころではないと言わんばかりに、震える手で文を掲げた。
「げげげげ源氏の君から、ふふふふ文が来た!!しかも、姫宛ではなく、わ、私宛にッッ!!」
「ふぅん?良かったね。」
「良かったね、ではないわ!!なななななぜ私に!?私、何かしたか!!?」
「何もしてない人には文なんて来ないでしょ。で、何て書いてあるの?」
「ま、まだ読んでおらん……怖くて……。」
「源氏の君はお優しい方だよ。父上が怯えるような文を寄越したりしないって。ほら、早く読んでみたら?」
「う……うむ……。」
兼成は恐る恐る文を開き、ゆっくりと目を通した。
そして──
「……ッッはァ!!」
「何!?父上!?急に変な声出さないでよ!」
「源氏の君が……また、当家に来る、と……。」
「うちに?なんで?」
「祭りで北の方様の乗った牛車の倒壊を防ぎ、北の方様を救った礼を改めてしたい、と……。それから、お前にも料理の礼をしたいそうだ。」
「あー、なるほど。」
紗世は納得したように頷いた。
「いつ来るの?」
「明日の午後だ。姫も六条御息所邸から戻っている頃を見計らって、とのことだ。」
「父上、予定あるの?」
「特には無いが……。」
「なら良いじゃない。」
「……そうだな。」
兼成は一瞬頷いた──が。
「って、こうしてはおれん!!源氏の君を迎える準備をせねば!!栄ー!!真砂ーーッ!!」
そう叫びながら、兼成は慌ただしく廊下を駆けていった。
「……元気だなぁ。」
紗世は苦笑した。
────翌日・四条邸
やがて、源氏の君が四条邸へと姿を現した。
──だが。
「……なんで、頭中将様と惟成まで一緒なんですか?」
御簾の内から紗世が呆れ声を漏らす。
源氏の君は、どこか気まずそうに微笑んだ。
その代わりと言わんばかりに、頭中将が胸を張る。
「源氏の君が藤原検非違使尉殿の邸へ行くと聞いてな!それはぜひ私も伺いたいと思ったのだ!」
「な、なぜ……?」
「面白いからだ!!」
頭中将は堂々と言い放った。
「それに、惟成がおれば更に面白いと思ってな!」
「……。」
惟成は既に無表情だった。
「無理矢理連れて来られたのだぞ。」
惟光が呆れたように付け加える。
(それを堂々と言う頭中将様って、どうなの……。)
紗世は思わず遠い目になった。
すると兼成が、はっと我に返ったように平伏した。
「せせせせ先日の花見では、とんだ御無礼をおおお!!」
額が床に擦れそうな勢いで頭を下げる。
「頭を上げてくれ、藤原殿。」
源氏の君は穏やかに声を掛けた。
「私は今日は、そなたに礼を言いに来たのだ。それに、あの花見は実に楽しかった。謝られるようなことは何一つ無かったぞ。」
「そうだぞ。」
頭中将も笑う。
「あれほど笑った花見は久し振りだった。」
「そそそそのようなお言葉……恐悦至極にございますううう!!」
兼成は再び深々と頭を下げた。
「いや、まずは私に礼を言わせてほしい。」
源氏の君は静かに姿勢を正した。
場の空気が少し引き締まる。
「賀茂の祭では、私の北の方をお救いいただき、誠に感謝している。」
低く、真摯な声だった。
「あの時、藤原殿と惟成が牛車を支えてくれなければ、北の方も……腹の子も、危うかったやもしれぬ。」
源氏の君は、裾をぎゅっと握る。
「しかし今、母子ともに体調は安定している。そなた達は命の恩人だ。本当にありがとう。」
そう言って、深々と頭を下げた。
「ああああ頭をお上げください!!私は当然の務めを果たしたまで!!
そのようなお言葉、過分にございます!!」
兼成は慌てふためく。
「これは、私と北の方からの礼の品だ。受け取ってくれ。」
源氏の君が包みを差し出すと、兼成は震える手で受け取った。
「ありがたく……頂戴いたします……。」
「それから、和泉殿。」
源氏の君はもう一つの包みを取り出した。
「これは北の方から、そなたへ。」
「私に?」
「ああ。イワシの梅煮も、雉肉の照り焼きも、炊き込みご飯も、北の方は食べることができた。特にイワシの梅煮を大変気に入っておられた。」
「本当ですか!?良かった……。」
紗世はぱっと顔を輝かせた。
(妊娠中って、本当に味覚変わるもんなぁ……。むしろ普段の貴族食より、しっかり味のある料理の方が体が欲してたのかも。)
「そして、これは別に、私個人からだ。」
源氏の君は微笑み、傍らの惟光へ目配せした。
惟光が使用人へ合図を送る。
すると、運び込まれてきたのは、大きな甕が二つと包みだった。
真砂がそれを受け取り、御簾の内の紗世へ渡す。
紗世は不思議そうに甕の蓋を開け──
「……源氏の君ッッ!!これ……!!」
目を見開いた。
「以前、和泉殿が欲しいと言っていたであろう?
食用のえごま油とごま油だ。それから、食用の鶏も用意した。」
「源氏の君!!!!」
紗世は思わず甕を抱き締めた。
「うっっっれしいです!!今まで頂いた贈り物の中で、一番です!!!」
場が静まり返る。
頭中将が目を輝かせた。
「和泉殿……まさか、また新しい料理を作る気か!?」
「はい!!この食材があれば、ずっと作ってみたかった料理があるんです!」
「姫ええええ!!」
兼成が頭を抱えた。
「そこは、もっと他に喜びようがあるだろう!?玉や反物ではないのだぞ!?」
「えー?でも、油ってすごく貴重なんだよ!?しかも、ごま油とえごま油両方なんて!!」
紗世は本気で感動していた。
頭中将は吹き出した。
「はははは!やはり和泉殿は面白い!」
惟成は甕を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……油で、何を作るつもりだ?」
紗世はニヤリと笑った。
「ふっふっふ……“揚げ物”だよ。」
「……あげもの?」
その場の全員が首を傾げた。




