娘の手料理
───四条邸・台盤所
「で?今回は何を作るんだ?」
惟成はいつも通り落ち着いた声で尋ねた。
表情こそ変わらぬが、紗世の料理を何度か口にしているだけに、内心では少し楽しみにしている。
「えーっとね、源氏の君にお願いしてた食材がねー……」
紗世は源氏の君が持ってきた荷を、がさごそと探り始めた。
「あった!」
嬉しそうに取り出したのは、小さな壺。
「これ!甘葛!!」
「甘葛……」
「そう!高級食材だよ?でもね、これがあるだけで料理の味が全然違うの!」
紗世は目を輝かせながら言った。
「で、今日は――甘葛を使って、イワシの梅煮と雉の照り焼きを作ります!」
「イワシ……?ずいぶん庶民的な魚だな……」
惟成が少し意外そうに言う。
紗世は、ふっふっふ……と意味深に笑った。
「そんなこと言ってられるのも今のうちなんだから。」
どん、と台に置かれたのは、塩抜きのため水に浸していたイワシだった。
「下拵えはほとんど終わってるから、今日は味付けが中心かな。焼くのと煮るのは台盤所の人たちにお願いするし。」
そう言いながらも、紗世の手は止まらない。
梅を潰し、甘葛を加え、香りを確かめながら手際よく調味を進めていく。
「……本当に、貴族の姫なのか疑いたくなるほど手際が良いな……。」
惟成が呆れ半分に呟いた。
ぴたり、と紗世の手が止まる。
「……そんなこと言うと、食べさせないよ。」
「すまん。」
即答だった。
あまりにも素直に謝られ、紗世は思わず吹き出した。
「で?俺が手伝えることはあるのか?」
「うーん……無いかも。味付けくらいしかやることないし。」
そう言いながら、紗世は小さな匙に汁を掬った。
「はい。ちょっと味見してみて。」
惟成へ差し出す。
惟成は受け取り、静かに口へ運んだ。
「……甘い。だが、くどくないな。」
「でしょ?」
「それに、後から少し爽やかな香りが来る。……梅か。」
「そうそう!これでイワシを煮るの。」
紗世は嬉しそうに笑った。
「雉の方は、焼きながらこっちのタレを何回も塗るの。表面が照ってきたら完成。」
台盤所の者たちへ指示を出しながら、紗世は今度は橘へ手を伸ばした。
「あ、それとね。焼き上がった雉肉は一口大に切って、この橘を間に挟んで並べて。」
薄く輪切りにした橘を器用に差し込みながら説明する。
「こんな感じ。」
既に焼き上がっていた試作用の雉肉に橘を添えると、香ばしい香りに爽やかな柑橘の香りが混ざった。
「…………美味そうだな……。」
惟成がぽつりと漏らす。
紗世はくすりと笑った。
「これは今からみんなで試食する用だよ。」
「そうか。」
惟成の口元がわずかに緩む。
「楽しみだな。」
穏やかな声だった。
その時――
「お前の息子があああああああ!!!!
私の姫をおおおおおおお!!!!」
遠くから兼成の絶叫が響いた。
台盤所の者たちの肩がびくりと跳ねる。
紗世と惟成は一瞬きょとんとした後、思わず顔を見合わせた。
「……まだやってる。」
紗世が呆れ半分に呟く。
「かなり飲んでおられるからな……。」
惟成も小さく息を吐いた。
そして次の瞬間、
「惟光うううううう!!!!
お前の息子は距離が近いんだよおおおおお!!!」
再び兼成の叫び声が響き渡った。
今度こそ、紗世は耐えきれず吹き出した。
惟成も、さすがに堪え切れなかったのか、小さく笑い声を漏らした。
紗世と惟成が部屋へ戻ると、兼成が勢いよく惟成へ突進してきた。
「惟成いいいいい!!!」
ガシッ!!
惟成は咄嗟に両手を出し、兼成を受け止めた。
「……検非違使尉様、何をなさるので……?」
酒に酔っているとは思えぬ力だった。
ぎりぎり、と二人の腕に力が入る。
「惟成いいいい!!
お主、姫と何処へ行っていたあああああ!!!?」
「台盤所へ行くと申し上げたはずですが?」
「嘘をつけええええええ!!!
何処へ姫を連れ込んでいたあああああ!!?」
「連れ込むって……ここは検非違使尉様のお邸ではないですか……。」
惟成は呆れたように言った。
そのやり取りに、頭中将はとうとう腹を抱えて床へ転がった。
「っはははははは!!!
藤原殿、やはり最高だな!!」
その隙に、紗世はそろりと兼成の背後へ回り込む。
そして――
こしょこしょこしょこしょ。
脇腹を容赦なくくすぐった。
「はははははははは!!!
姫っ……やめろ!!
はははははは!!」
兼成は堪え切れず、その場へ崩れ落ちた。
「ひっ……姫ぇ……。
そんなに……そんなに惟成が良いかぁ……?
この父よりもかぁ……」
ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
紗世は無言で、兼成の口へ雉肉の照り焼きを突っ込んだ。
「うっ……うう……」
泣いていたはずだった。
だが。
「…………うまい。」
ぴたり、と兼成の動きが止まる。
「……何だ、これは。」
あまりの変わり身の早さに、とうとう源氏の君まで吹き出した。
「ははははっ!!
藤原殿、実に面白いお方だ!」
「では、父も落ち着きましたので。」
紗世は何事もなかったかのように言った。
「皆様、試食をお願いいたします。」
そうして並べられたのは、
イワシの梅煮。
雉肉の照り焼き。
そして、花見用に用意していた雉肉の炊き込みご飯だった。
「イワシとは思えぬな……。」
源氏の君が感心したように箸を止める。
「甘葛の上品な甘さに、梅の爽やかさがよく合っている。」
「こちらの雉肉も絶品だ。」
頭中将も頬を緩めた。
「橘の香りで脂が重くならぬ。」
「この炊き込みご飯も旨いな。」
惟光が感心したように言う。
「ただ肉を入れて炊いたのではあるまい?」
「はい。」
紗世は嬉しそうに頷いた。
「以前お出しした、雉の骨の出汁で炊いています。」
「なるほどな……。」
その間。
兼成だけは、無言で食べ続けていた。
(……え?)
(酔い、醒めた……?)
その場の全員が兼成へ注目する。
兼成は三品を綺麗に食べ終えると、ぽつりと言った。
「……惟成殿。」
場の空気が止まった。
惟成が静かに顔を上げる。
「……はい。」
「お主、姫の手料理は何度食べた?」
「……今回を入れて、四度目です……。」
静寂。
兼成はゆっくり目を閉じた。
「そうか……四度目……。」
ふぅ……と長く息を吐く。
そして。
「私は初めてだあああああああ!!!!」
絶叫。
「やっぱり許せーーーーーーん!!!
そこへ直れぇぇぇ!!惟成ぃぃぃ!!!」
「だからやめてってばああああああ!!!」
最後は、紗世の悲鳴が四条邸へ響き渡った。




