第160話 溺愛父
惟光は肩を震わせている。
そんな中、兼成はスッ……と惟成を見た。
「……だが、惟成殿はまだ良い。」
「また私ですか。」
惟成が疲れた顔になる。
「お主は姫を見ても浮つかぬ。」
「それは……。」
惟成が言葉に詰まる。
「他の公達共のように、扇を落として気を引こうともせぬし、無意味に歌を詠んで寄越したりもしない。」
「比較対象が酷いな。」
惟光が笑った。
兼成は深く頷いた。
「うむ。誠実だ。」
「ありがとうございます……?」
惟成は微妙な顔をした。
「だが!!」
兼成、再び机を叩く。
「だからといって、安心して良いわけではない!!」
「まだ何かあるのですか……。」
惟成が項垂れた。
「惟成殿は真面目過ぎる!!」
「は?」
「姫が“桜を一緒に見たい”と言えば、真正面から受け止めるではないか!!」
「……それは、断る理由がありませんので。」
「そこだ!!」
兼成が指差した。
「そうやって自然に姫の願いを聞き入れるから危険なのです!!」
「どうしろと。」
「もっと警戒しろ!!」
「理不尽だな……。」
頭中将が笑い転げている。
源氏の君も扇で口元を隠しながら笑っていた。
紗世は顔を真っ赤にして俯いた。
「父上ぇ……。」
兼成はそんな娘を見て、また目を潤ませた。
「……姫は可愛いのです……。」
「また泣いてる。」
惟成がぽつりと呟く。
その瞬間、兼成がぐるんっと惟成を見た。
「惟成殿。」
「……はい。」
「姫を泣かせたら斬る。」
「父上!!?」
「検非違使尉殿、それ前にも聞きました。」
惟成は真顔で返した。
すると兼成は、はた、と動きを止めた。
「……そういえば、文にも書いたな。」
「書いておりましたね。」
「むう……。」
兼成は少し考え込み、
「では、二度言ったので本気だと伝わったな。」
「伝わっております。」
「あははははは!!」
頭中将が腹を抱えて笑う。
紗世は耐え切れず立ち上がった。
「も、もう知らない!!」
「姫?」
「私、台盤所行ってくる!!
源氏の君の北の方様のお料理の試作しなきゃだから!!」
逃げるように立ち去ろうとする。
すると、源氏の君が「あ」と顔を上げた。
「そうであった。届けた食材は足りておるか?」
「はい。ありがとうございます。」
紗世はぺこりと頭を下げた。
「何を作る予定なのだ?」
「まだ試作段階ですけど……酸味を少し効かせた魚料理とか、出汁を使った食べやすい物とかを……。」
「ほう。」
源氏の君が興味深そうに頷く。
「完成したら、ぜひ北の方にも食べてもらいたい。」
「はい!」
紗世は嬉しそうに笑った。
その時、
「……俺も行く。」
惟成がぽつりと言った。
全員の視線が集まる。
「惟成殿?」
兼成が目を瞬かせる。
「荷運びでも手伝います。台盤所は火も刃物もありますし、人手はあった方が良いでしょう。」
実に真面目な顔だった。
惟光がニヤリとする。
(逃げる気だな。)
頭中将も察し、肩を震わせていた。
「うむ、それもそうだな。」
源氏の君は素直に頷いた。
「では惟成、頼む。」
「は。」
惟成は静かに立ち上がった。
紗世は「助かった……!」という顔で惟成を見る。
「じゃ、じゃあ行ってくるね!」
二人は連れ立って部屋を出て行った。
簾が閉まる。
しばし沈黙。
兼成は酒を飲みながら、ふぅ……と息を吐いた。
「まったく……姫は世間知らずで困ります……。」
「だが、良い姫君だ。」
源氏の君が穏やかに言う。
「ええ……。」
兼成はじわ、とまた目を潤ませた。
「和泉国では毎日、家族で穏やかに暮らしておったのです……。
それが都へ戻った途端、公達共が寄って来るわ、恋文は増えるわ……。」
「惟成も大変だな。」
頭中将が酒を飲みながら笑う。
「惟成殿はまだ良いのです。」
兼成は深く頷いた。
「浮ついた所がない。
姫を変な目で見たりもしない。」
惟光が吹き出しそうになる。
(いや、ちゃんと見てるぞ。)
「だが、真面目過ぎるのも問題なのです……。」
兼成は遠い目をした。
「先程も言いましたが、姫に“桜を見たい”と言われれば、真正面から受け止めてしまう……。」
「それは良い事では?」
源氏の君が笑う。
「良いのですが!!
父としては複雑なのです!!」
また涙声になる。
「しかも、姫は惟成殿を信頼しきっておるでしょう!?」
「まあ、それは見ていて分かるな。」
頭中将が頷いた。
「惟成殿も姫に甘い!!」
「ははは!」
惟光がとうとう吹き出した。
「兼成、お前、さっきから惟成を認めているのか警戒しているのかどっちなのだ。」
「両方だっ!!」
即答だった。
その勢いのまま兼成は振り返った。
「姫!聞いておりますか!!」
静寂。
「……姫?」
部屋を見回す。
いない。
兼成が固まった。
「……惟成殿?」
いない。
数秒の沈黙。
そして──
「惟光うううううううう!!!!」
兼成が立ち上がった。
「お前の息子!!
うちの姫を連れて行ったぞおおおおお!!!」
「いや、台盤所だろう。」
惟光が冷静に返す。
「男女二人で台盤所!!」
「料理だ。」
「火を使うのですぞ!?」
「だから手伝いに行ったのだろう。」
「包丁もある!!」
「台盤所だからな。」
頭中将が笑い過ぎて机に突っ伏していた。
源氏の君も扇で顔を隠しながら肩を震わせている。
兼成は半泣きで立ち上がる。
「私も行きます!!」
「藤原殿、落ち着け。」
「落ち着いておれますか!!
姫は“惟成なら大丈夫”とか思っておるのですよ!?
そういう無防備さが危険なのです!!」
「検非違使尉殿。」
惟光が肩を叩いた。
「安心しろ。」
「何をだ!?」
「惟成は、お前より堅物だ。」
一瞬、兼成の動きが止まった。
「…………。」
真剣に考える。
「……それも、少し腹立つな。」
「なんでだ。」
頭中将の笑い声が、春の四条邸に響き渡った。




