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第155話 怪しき行列の謀

───二月中旬、二条邸


「何?祭りの警固配備がおかしい?」


源氏の君が眉をひそめた。


「はい。何とか行列の道順は確定したものの、不審な点が多いのです。」


惟成は目の前に警固配置の紙を広げた。


「まず、二条から三条へかけての警固が薄すぎます。」


紙の一点を指差す。


「ここは例年、高位貴族たちの牛車が並ぶ場所です。本来なら、最も警固を厚くすべき場所の一つ。」


「北の方が見物に出るなら、この辺りにと思っていたのだが……。」


源氏の君は低く呟いた。


惟成はさらに続ける。


「加えて、行列の道順も不自然です。」


「わざわざ狭い辻を何度も曲がるようになっております。」


「行列の進みが滞るな……。」


「はい。牛車が詰まれば、群衆も動けなくなります。下手をすれば、大混乱になります。」


惟成はもう一枚の紙を差し出した。


「さらに、こちらをご覧ください。」


源氏の君は視線を落とす。


「……兵衛府と検非違使が、道の左右ではっきり分かれておるな。」


「はい。」


「しかし、その両者を繋ぐ連絡役が置かれていないのです。」


源氏の君は眉を寄せた。


「それでは、情報共有ができぬ。現場以外、何が起きているのか分からなくなるな……。」


「その通りです。」


惟成は静かに頷いた。


「警固の責任者は誰だ。」


源氏の君の問いに、惟成はわずかに沈黙した。


「……不明です。」


「何?」


源氏の君が目を見開く。


「祭りだぞ。そのようなことが……」


「命令自体は下りてきます。

しかし、誰を辿っても、最終的な命令元が分からなくなるのです。」


室内に重い沈黙が落ちた。


やがて、源氏の君は御簾の向こうへ視線を向ける。


「……葵。」


「はい。」


静かな声が返る。


「今年の祭り見物は控えよ。邸におれ。」


御簾の向こうで、葵の上は少し間を置いた。


「ですが……此度の祭りでは、源氏の君が大役を任されたと伺っております。

そのお姿を、見とうございます。」


「そなたは身重なのだ。」


源氏の君の声は穏やかだったが、強かった。


「万が一があれば、そなただけではない。腹の子にも危険が及ぶ。」


御簾の向こうで、小さく息を呑む気配がした。


「……それも、分かっております。

ですが、祭りの見物は、ただ遊びに出るだけではございません。

どこへ車を出すかも、家の威を示すもの。

まったく姿を見せぬわけには……。」


源氏の君は腕を組み、深く息を吐いた。


「……惟光。」


「は。」


傍に控えていた惟光が進み出る。


「新任の検非違使尉は、いつ帰京する。」


「三月中には、との話にございます。」


「惟光の旧知と聞いたが、信頼できる男か?」


惟光は迷わず頷いた。


「不正や私欲を嫌う、真っ直ぐな男にございます。この配備図を見れば、黙ってはおりますまい。

娘である和泉殿をご覧になれば、何となくお分かりになるのでは?

優秀で、信頼できる者です。」


「……そうか。」


源氏の君は静かに頷いた。


「和泉殿の父君だったのだな。一刻も早く帰京してもらいたいものだ。」


すると惟光が、ふっと口元を緩めた。


「惟成。」


「は。」


「お前が兼成──検非違使尉へ文を出せ。」


惟成が目を瞬かせる。


「私が、ですか?」


「そうだ。」


惟光は面白そうに笑った。


「祭りの警固に不審があることを書け。

それと――」


ニヤリ、と口元が吊り上がる。


「四条邸の桜が咲いた折には、和泉殿と見る約束をした、とも書いておけ。」


「ほう。」


源氏の君が興味深そうに目を細めた。


「……なっ……。」


惟成の頬がじわりと赤くなる。


「父上…」


「お前の仕事の文だけでは、あいつは“落ち着いてから向かう”などと言いかねん。

だが娘絡みなら別だ。何を置いても飛んで来る。」


惟成は思わず遠い目になった。


脳裏に蘇る。


──『姫に触れたら斬る』


あの恐ろしい文面。


「……確かに、来るでしょうね……。」


惟成は深々と息を吐いた。


「急ぎ、文を出します。」



───二月中旬、京の井戸端


その日、阿古丸は、貴族の邸に仕える雑色や下人たちが集まる井戸端へ紛れ込んでいた。


桶を抱えた女房たち。


水を汲む下人。


暇を持て余した雑色たちが、祭りの噂話に花を咲かせている。


「今年の賀茂祭は、随分と賑やかになるらしいな。」


「なんでも、源氏の君が大役を任されたとか。」


「ほう、あの光る君か。」


「見てみたいものだなぁ。」


そんな声が上がる中、阿古丸は何気ない顔で口を挟んだ。


「今年は、よく見える場所もあるらしいぞ。」


「え?」


数人の視線が阿古丸へ向く。


阿古丸は、いかにも世間話の続きをするように言った。


「二条から三条あたりが、今年は見物しやすいとか。」


「しかし、あの辺りは貴族の牛車ばかりだろう?

我らが近寄れるものか。」


「それが、今年は例年ほど警固も厳しくないらしい。」


「ほう?」


「役人も新しい者が多いとかでな。」


雑色たちが顔を見合わせる。


「では、今年は人の出入りも緩いのか?」


「さあな。」


阿古丸は肩をすくめた。


「だが、例年よりは近くで見られるかもしれん。」


「源氏の君も、北の方様もな。」


「左大臣家の姫君か。」


「さぞや立派な牛車で来られるのだろうなぁ。」


「一目見てみたいものだ。」


「……そうか。二条から三条あたり、か。」


雑色の一人が、ぽつりと呟いた。


その言葉に、阿古丸の口元がわずかに歪む。


「まあ、噂だ。」


そう言い残し、阿古丸は井戸端を離れた。


だが、その後も阿古丸は、


* 雑色

* 牛飼

* 下人

* 行商人


へと、同じような噂を流し続けた。


──二条から三条は、今年“よく見える”らしい。


──源氏の君も、北の方も近くで見られるらしい。


その噂は、春を待つ都の中で、ゆっくりと広がっていく。




夕暮れ時。


阿古丸は、源氏の君の住まう二条邸の前で足を止めた。


夕日に照らされた邸は、静かでありながら圧倒的な威容を放っている。


阿古丸は細く目を眇めた。


(ここへの細工は……まだ先だな。今は、牛飼や御者を探る程度でよい。)


視線を門前へ向ける。


どの牛車が出入りし、誰が御者を務め、どの牛が使われているか。


阿古丸は静かに観察していた。


やがて、何事もない顔で門衛へ近づいていく。


その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。

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