表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

154/161

第154話 不穏な祭り

───四条邸


(どう考えても、不自然だ……。)


惟成は手元の資料を見つめたまま、難しい顔をしていた。


(行列の道順が頻繁に変わる。

変わる度に再編成された警固配備はいずれも、二条から三条が異様な程薄い。

しかも、わざわざ道幅の狭い箇所で曲がる道順が多い……。)


自然と眉間に皺が寄る。


ぐに。


「眉間にしわー。」


不意に額を押され、惟成はハッと顔を上げた。


目の前には、いつの間にか御簾から出てきていた紗世がいる。


「なっ……お前、また御簾から……!」


惟成は思わず後ずさった。


紗世はむくれた顔で言う。


「家に寄ったと思ったら、紙広げたまま難しい顔して固まってるんだもん。」


そう言いながら、紗世は惟成の前へ茶を置いた。


「仕事のついでに寄ったとは思うけど、一息ついたら?」


「……ああ。すまん。」


惟成はようやく茶に手を伸ばした。


温かな湯気が、張り詰めていた空気を少し和らげる。


「お祭りの準備……そんなに大変なの?」


「仕事だからな。大変でもやらねばならん。」


惟成は茶を飲みながら答えた。


「紗世は、祭り見物へ出るのか?」


「まだ先の話だから、はっきりは分からないけど……多分、御息所様たちと行くと思う。」


その返事に、惟成の表情がわずかに曇った。


「どうしたの?」


「……今の状態なら、見物は控えた方が良いかもしれん。」


「え?」


紗世は目を瞬かせる。


惟成は机の上の資料へ視線を落とした。


「度重なる道順変更。

しかも、狭い道で曲がる箇所が妙に多い。

警固配備にも偏りがある。

これでは、混乱が起きる。」


そこで一度言葉を切り、低く続けた。


「……いや。起こすつもりなのかもしれん。」


紗世の顔から笑みが消える。


「混乱って……そんなに危ないの?」


「祭りには貴族だけではなく、庶民も大勢集まる。興奮した群衆が暴れ出せば、牛車は身動きが取れなくなる。過去には死人が出たこともある。」


紗世は思わず身を縮めた。


惟成はさらに続ける。


「この件に関しては、紗世の父君にも確認したいところなのだが……検非違使尉様がこちらへ来られるのはまだ先だ。

一緒に確認できる相手もおらん。」


「え?でも、警固配備の責任者って誰なの?」


紗世は首を傾げる。


「父上じゃないよね?十二年も都を離れていたのに、帰京してすぐ、そんな大役を任されるわけじゃ……」


「そこも妙なのだ。」


惟成は低く言った。


「俺も、道順や警固箇所の確認を命じられている。

だが、報告へ行くと、自分は責任者ではない、別の者へ聞けと言われる。」


「命じてくる人が責任者じゃないの?結局、誰が責任者なの?」


惟成は静かに首を振った。


「誰に聞いても、分からぬと言う。」


「えっ!?」


紗世は思わず声を上げた。


「そんなの、下手したら惟成が責任を押し付けられるじゃない!こんな大きなお祭りの警固責任者を、惟成みたいな若い武官に……」


「……だから、おかしいのだ。」


惟成は疲れたように息を吐いた。


「色々とな。」


(父上、早く都に来て……)


紗世はそう思いながら、心配そうに惟成を見つめた。


その視線に気づいた惟成は、少しだけ表情を和らげる。


「……もし、このまま祭りに入るようであれば、見物は控えろ。御息所様へも、俺から進言する。」


「……うん。」


紗世は頷きながらも、不安げな顔をしていた。


惟成は続ける。


「源氏の君の北の方様にも、お控えいただいた方が良いかもしれんな。」


「源氏の君の北の方……」


紗世の脳裏に、葵の上の姿が浮かぶ。


「先日、懐妊されたことが分かってな。

だが、此度の祭りでは、源氏の君が行列でも重要な役を任ぜられている。

北の方様も、それをご覧になりたいそうだ。」


(良かった……二人、ちゃんと仲が良いんだ……。)


紗世は内心ほっとしかけ──


次の瞬間、背筋が凍った。


(祭り……葵の上の懐妊……出産……!)


どくん、と胸が鳴る。


(車争い……!!)


源氏物語の中でも有名な、賀茂の祭での車争い。


祭り見物に訪れた葵の上と六条御息所。


見物場所を巡る争い。


六条御息所の車は辱めを受け、その屈辱と嫉妬が、生霊となって葵の上を蝕んでいく──


そして出産の後、葵の上は命を落とす。


(もう……そこまで時間が進んでたんだ……。)


紗世の顔が青ざめた。


「紗世?」


惟成が怪訝そうに覗き込む。


「どうした。」


「う、ううん……。」


紗世は慌てて首を振った。


「北の方様の懐妊は、すごく喜ばしいことなんだけど……身重で祭り見物って、危なくないかなって……。」


(六条御息所様が、生霊になることは、もう無いかもしれない……。

でも、原作通りじゃなくても、それに代わる何かが起こる可能性はある……。)


紗世は知らず知らずのうちに、惟成の狩衣の裾を掴んでいた。


「紗世。」


惟成の声が優しく落ちる。


「大丈夫だ。」


「危険の可能性があるなら、俺から御息所様にも、源氏の君にも進言する。」


「うん……それもそうなんだけど……。」


「?」


紗世は俯いたまま、小さく言った。


「その危険の中心に、惟成が居るかもしれないんでしょう?」


惟成が息を止める。


現代で見てきた祭りの事故。


群衆雪崩。


暴走した人混み。


制御を失った集団の恐ろしさが、紗世の脳裏を掠めていた。


「惟成の方が……心配。」


紗世の声は小さかった。


惟成はそっと手を伸ばす。


その瞬間──


バシッ!!


虎徹の猫パンチが惟成の腕へ炸裂した。


「っ……!!」


「虎徹!?」


虎徹は二人の間へ当然のように割り込み、紗世の前へ陣取る。


「……紗世。」


「何?」


「その猫、お前の父君が憑依してるんじゃないか?」


「え?」


「文にもあっただろう。」


惟成は真顔で言う。


「“姫に触れたら斬る”と。」


紗世は吹き出した。


「そんなわけないでしょー。」


張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。


「虎徹、だめだよ?惟成は私を心配してくれてるの。」


紗世は虎徹を抱き上げながら笑った。


「大丈夫。惟成は何もしないから。」


その言葉が、妙に惟成の胸に引っかかった。


(何も……しない、か……。)


惟成は小さくため息を吐き、すっかり温くなった茶に口をつけた。


「でも、そっかぁ。お祭りまでは、惟成忙しいよね……。」


紗世は虎徹を抱いたまま、少し俯いた。


「なんだ?どうした。」


「ううん。」


紗世は庭へ視線を向ける。


冬の終わりの庭には、まだ固い桜の蕾が並んでいた。


「あとひと月もすれば、桜も咲き始めるでしょ。

栄がね、この庭の桜は毎年すごく綺麗に咲くって言ってたの。」


そう言ってから、紗世は少しだけ視線を落とした。


「一緒に……見られたら良いなって……。」


惟成は一瞬黙り込み、それから小さく天井を仰いだ。


「……そうだな。祭り前は、しばらく忙しくなる。」


紗世の肩がわずかに落ちる。


だが、惟成は続けた。


「だが、お前も昼は御息所様の所へ出仕しているだろう。

そうなれば、夕方以降なら時間も取れるのではないか?」


「え?」


紗世が顔を上げる。


惟成は何でもない事のように言った。


「庭の桜が咲き始めたら教えてくれ。一緒に見よう。」


紗世の顔がぱっと明るくなる。


「……うん!」


腕の中の虎徹が、ぱたぱたと尻尾を揺らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ