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第153話 再出仕

───六条御息所邸


その日、紗世は二年ぶりに正式に六条御息所邸へ出仕していた。


「六条御息所様、本日よりまた、誠心誠意お仕えいたします。」


紗世は深々と頭を下げる。


御簾の向こうで、御息所が静かに頷いた気配があった。


「おかえりなさい。みな、あなたを待っていました。これからも誠心誠意、務めてくださいね。」


「はいっ。」


紗世は元気よく返事をし、脇に置いていた道具箱を手に取る。


「さっそく、お願いしてもよろしいかしら。」


「はい!」


紗世は御簾の内へと入っていった。




───御簾の内


柔らかな香の気配の中、紗世は御息所の後ろへ座り、髪を整えながら自然と会話を始めていた。


「四条の住まいはどうかしら?」


御息所の問いに、紗世は髪を結いながら答える。


「三歳頃まで住んでいたそうなのですが、ほとんど覚えていなくて……でも、不思議とすぐ馴染みました。」


「そう。」


御息所は静かに微笑む。


「お父上もじき、帰京なさるとか。」


「はい。三月下旬には父達も帰京し、四条の邸へ完全に移る予定です。今は私だけ先に帰京しました。」


「まあ、そうなのね。」


御息所は扇を軽く下げた。


「では、呼び名はどうしましょうか。今まで和泉と呼んでいたけれど。」


紗世は少し考えてから首を横に振る。


「いいえ、そのままで構いません。呼び慣れている方が落ち着きますので。」


「そう?」


御息所は頷く。


「ではそうしましょう。」


そして紗世は軽く姿勢を正した。


しばらく静かな時間が流れたあと、御息所がふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、紗世のお父上が都へ戻られたら、検非違使尉に就任なさるのよね。」


「はい。四月から着任するそうです。」


御息所は少し感慨深げに頷く。


「そうなると……不思議なご縁ね。」


紗世は作業の手を止めずに答える。


「それなんですけど、父は源氏の君の随身の惟光様の同僚で、一番仲が良かったと伺っております。思わぬ所で縁があり、驚きました。」


御息所は扇を少し動かしながら、静かに目を細めた。


「まあ、そうなの?確かに……紗世と惟成殿は同年ですものね。

であれば、お父上たちも同じくらいの年代だったのでしょうね……不思議な縁ね。」


紗世も小さく頷く。


「はい。私もそう思います。」


御息所は少し間を置いて、扇を下げた。


「そういえば、陰陽頭様とは……その後いかがで?」


御息所の肩が、わずかに動く。


「ええ。今も定期的に祓いや占いには来ていただいているわ。」


「……それだけ、ですか?」


「ときどき……季節のご挨拶なども……」


「ご挨拶だけですか?」


紗世は髪を結いながら、さらりと続ける。


「二年前のように、お出かけなどは?」


「陰陽頭様もお忙しいお方ですから、そんな暇は……」


御息所は平静を装うが、紗世は内心で察する。


(これは、進んでるな……。)


御息所は軽く咳払いをした。


「そろそろ桜の季節ね。」


話題を変えるように言う。


「紗世は惟成殿とお花見でも?」


「えっ。」


紗世の肩が跳ねる。


「そ、それは……惟成は最近、仕事が忙しいようで……」


御息所は扇の向こうで静かに笑う。


「紗世が四条へ移って、惟成殿のお邸も近くなったのでしょう?

会いやすくなったのではなくて?」


「いえ、そんなことは……」


紗世は慌てて視線を逸らす。


御息所は楽しげに続けた。


「そういえば、惟成殿、最近とても評判が良いのよ。」


「え……そうなのですか?」


「昨年、大納言家の姫君の護衛で、賊を討ったそうよ。」


「賊……!?」


紗世の手が一瞬止まる。


「ええ。その場にいた賊数人をあっという間に制圧してしまったとか。」


(……相変わらずすごい。)


御息所は淡々と続ける。


「それで昇進の評判にも繋がったそうよ。

その姫君も随分と印象に残ったようでね。

どうしてもまた見たい、戦う姿が見たいと……護衛選抜の名目で惟成殿を呼んだとか。」


紗世の手が止まりかける。


「……。」


御息所は続ける。


「今や都の姫君たちの間でも噂になっているそうよ。若くして有望な武官としてね。」


紗世の動きが少し鈍くなる。


御息所はふっと肩をすくめた。


「困ったものね。

そうなると、縁談の話も増えてしまうでしょうに。」


「……。」


紗世はすぐに返せない。


御息所はその空気を感じ取り、少し声を和らげた。


「でも不思議ね。今のところ、そういう話には応じていないそうよ。どうしてかしら。」


紗世の胸がわずかに詰まる。


御息所は静かに微笑む。


「紗世のところへ来ているからではなくて?」


「……っ。」


紗世は思わず俯く。


御息所は続ける。


「四条の邸にも来てくれたのでしょう?」


「……はい。」


「なら、お花見くらい誘ってみればいいのではなくて?お庭でも構わないでしょう?」


その言葉に、紗世の顔がぱっと明るくなる。


「そっか……お庭でもいいんですね。」


「そうよ。」


御息所は満足そうに微笑んだ。


紗世がふと気づく。


「御息所様……今、うまく話を逸らしましたね?」


御息所は扇で口元を隠し、小さく笑った。


「まあ、なんのことかしら。惟成殿とお花見をなさったら、教えてちょうだいね。」


御簾の内には、久方ぶりの穏やかな時間が流れていた。



──六条御息所邸から四条邸への帰り道


牛車を引く雪丸が、前方を見て声を上げた。


「あそこにおられるのは、惟成様では?」


紗世が物見を開けると、辻で手に紙を持ち、道順を確かめるように見回している惟成の姿があった。


「惟成。何してるの?」


顔を出した瞬間、スパン、と物見が閉じられる。


「何するのー?」


「顔を出すな。簾越しに言え。」


惟成は呆れたように言った。


「で?何してるの?」


紗世は簾越しに尋ねる。


「祭りの道順と護衛配備の確認だ。」


「もう夕方だよ?こんな時間まで?」


「いや……今回は少し違う。」


惟成は手元の紙を軽く叩いた。


「道順や警護の配置が頻繁に変わる。そのたびに確認し直している。」


「また変わるの?」


「ああ。どうにも落ち着かん。」


惟成は小さく息を吐いた。


「道順が定まらねば、警護の配置も決まらん。すべてが後手になる。」


紗世はしばらく黙る。


「……忙しそうだね。」


その声が少しだけ弱くなったのを、惟成は感じ取った。


「今回の行列は、四条付近も通る。だからこの後、四条へも確認に行かねばならん。」


簾の向こうへ視線を向ける。


「……後で、四条邸に寄る。」


その一言で、紗世の顔がぱっと明るくなる。


「うん!雪丸、帰ろ。」


「はい、姫様。」


牛車は再び動き出した。


惟成はそれを見送ると、夕暮れの空を仰いだ。


「……本当に、なんなのだ。」


手元の紙を見下ろす。


「道順だけではない。警護の配置も、人員の動きも妙だ。」


場所によって偏りがある。


まるで意図しているかのように。


(紗世の父上も、着任早々この警護に入っているが……)


惟成は目を細めた。


(少し、嫌な感じがするな。)


通りを見回す視線は、先ほどまでとは違う鋭さを帯びていた。

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