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第151話 四条の邸

───京・四条


四条邸の門前へ、牛車がゆるやかに停まった。


冬の冷たい空気の中、従者たちが静かに動き出す。


「姫君。四条邸へ到着にございます。」


牛車の脇に控えていた雪丸が、簾の外から声をかけた。


真砂に手を添えられながら、紗世はゆっくりと牛車を降りる。


目の前には、広々とした四条邸。


夕暮れの薄明かりの中、築地塀と門が静かに佇んでいた。


「ここが……四条のお家……。」


父母から、幼い頃はここで暮らしていたと聞かされていた。


けれど三歳頃までの記憶など、ほとんど残っていない。


(そりゃそうだよね……。そんな小さい頃じゃ、和泉のお邸との違いなんて分からないだろうし。)


紗世がぼんやり邸を見上げていると、門前で控えていた雑色や下仕えの女房たちの中から、一人の男が進み出た。


五十を過ぎた頃だろうか。


穏やかな顔立ちの男は、深々と頭を下げる。


「お帰りなさいませ、姫君。」


「私は、殿がご不在の間、この四条邸を預かっておりました家司の栄と申します。」


「……さかえ……?」


紗世は、その名を聞いて首を傾げた。


どこか聞き覚えがある。


ぼんやりとした幼い記憶の底を探るように目を瞬かせ───


「あっ……!」


思わず声を上げた。


「かえのじーじ!?」


途端に、栄の顔がぱっと綻ぶ。


「おお……!!

覚えておいででしたか……!」

姫君は、本当にお大きゅうなられましたなぁ……。」


幼い頃、紗世は“栄”をうまく発音できず、「かえ」だの「じーじ」だのと呼んでいたのだ。


(……本当に、ここにいたんだなぁ。)


和泉で暮らしていた時間の方が長い。


けれど、確かにここは、自分が生まれ育った邸なのだと、不思議な実感が胸に広がった。


栄は目元を和ませたまま言う。


「長旅でお疲れでございましょう。

どうぞ、まずはお寛ぎくださいませ。」


そう言って周囲へ目配せすると、控えていた者たちがすぐに動き始めた。


牛車を引き、荷を運び込み、手際よく迎え入れの支度を整えていく。


その時だった。


「まあっ!?」


下仕えの女房が驚いた声を上げる。


紗世が振り返ると、牛車の簾の隙間から、ぴょこん、と虎徹が飛び降りていた。


そのまま女房の背へ飛び乗る。


「虎徹!」


紗世は慌てて駆け寄り、抱き上げた。


「驚かせてごめんなさい。この子、虎徹っていうの。私が育てている猫なの。」


「い、いいえ……!大事ございません。」


女房は驚きながらも、どこか頬を緩めていた。


虎徹は紗世の腕の中で一度尻尾を揺らしたかと思うと、するりと抜け出した。


「あっ、虎徹?」


虎徹は、女房が抱えていた荷の中から一本の簪を器用に咥えると、そのまま奥へ向かって走っていく。


「ちょ、待って!」


紗世が追いかけていくと、虎徹は邸の奥まった一室へ入り込み、陽の差す広い部屋の中央へちょこんと座った。


簪を前へ置き、満足そうに尻尾を揺らしている。


後から追いついた栄が、感心したように目を細めた。


「おや。

その部屋が姫君のお部屋だと分かっているのでしょうか。

何とも賢い猫にございますな。」


紗世は部屋を見回す。


奥まった静かな場所。


冬の柔らかな陽が入り、広々としている。


「……ここ、私の部屋なの?」


「ええ。」


栄は頷いた。


「殿が、“姫の部屋は日当たりの良い、奥の広い部屋に”と仰せでございました。」


「父上……。」


胸がじんわり温かくなる。


しかし栄は、さらに続けた。


「加えて、“部屋近くの生垣は二重三重に整えよ”との仰せも。」


「……父上……。」


今度は少し呆れた声になる。


真砂が後ろでくすりと笑った。


栄も穏やかに笑みを浮かべる。


「それでは姫君、荷解きなどは私どもで進めますので。

どうぞ、ごゆるりとお休みくださいませ。」


そう言って栄たちは静かに下がっていった。


広い部屋に静けさが戻る。


几帳と御簾、最低限の調度だけが整えられた室内は、どこかまだ人の気配が薄い。


紗世は畳へころりと寝転んだ。


「……ふぅ〜……。」


長旅の疲れが、一気に身体から抜けていく。


(今日から、ここで暮らすんだ……。)


瞼を閉じる。


(六条御息所様のお邸も近いし……。)


ころり、と寝返りを打つ。


(出仕が終われば、少しは気も楽かな……。)


その時、虎徹が紗世の腕へ頭を乗せるように寝そべった。


「虎徹とも、いっぱい遊べそうだね。」


撫でると、虎徹は嬉しそうに喉を鳴らす。


その温もりに包まれ、紗世がうとうとしかけた頃───


「紗世様。」


真砂がそっと袖を引いた。


「……ん……なに……?」


「お文が参っております。」


「……文……?」


今日着いたばかりだ。


四条邸へ文を寄越す相手など、そう居ないはずだった。


「どなたから?」


真砂は、どこか含みのある笑みを浮かべる。


「惟成様にございます。」


ガバッ───!!


紗世は勢いよく起き上がった。


「えっ!?惟成!?」


「はい。」


真砂が差し出した文を慌てて開く。


そこには、一首の和歌。


春浅き

四条の空の

梅が香を

しるべに君を

訪はむ今宵


「……っ!!」


紗世の顔が一気に熱くなる。


「ど、どうしたのです?」


真砂が覗き込む。


「惟成が……来るって……。」


「ああ。」


真砂は納得したように頷いた。


「本日、四条邸へ戻られることは、お伝えしておりましたものね。」


「そ、それはそうだけど……!」


紗世は慌てて立ち上がる。


「まさか今日来るなんて思わないでしょ!?

真砂!春用の袿、荷から出してた!?

髪も整えたいし、えっと……!」


急に落ち着きを失い、部屋を右往左往し始める。


真砂は思わず吹き出した。


「紗世様、そんなに慌てることもありませんのに。」


「だ、だって……!」


紗世は言いかけ、口ごもる。


「今までは……御息所様のお邸で会うことばっかりだったし……。

護衛とか、お仕事とか、そういう理由で来てたでしょう?でも今回は……。」


真砂の笑みが深くなる。


「“紗世様に会うため”に、お越しになるのですね。」


途端に、紗世の顔が真っ赤になった。


「ま、真砂っ!!

もういいから、支度手伝って!!」


真砂はくすくす笑いながら、荷から新しい袿を取り出し始めた。

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― 新着の感想 ―
惟成くんに会うからお洒落する紗世ちゃん尊いです……! お互いに矢印むけてるのわかってるから両片想いとは違う、でも本当にくっつくまでのこの微妙な関係が続くのがもどかしいけれども見ていてキュンキュンするか…
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