第147話 鬼と三条
───京・中務卿宮邸
「どういうことだ!!もう一度言え!!!」
鷹丸――中務卿宮は思わず立ち上がった。
「あ……あの、三条殿は……和泉国北部の松林の街道にて……鬼が現れ……その鬼と、共に行くと……申され……そのまま……」
紗世の供人として付いた二人が、震えながらひれ伏していた。
「鬼!?……鬼だと!!?」
「は、はい……その鬼は……三条殿が不思議な力を持つのであれば、我と共に居ることが道理……と……」
「それで!?それで三条を易々渡したのか!?」
「い、いいえ!」
一人が慌てて顔を上げる。
「鬼が現れる前に、野盗と思しき男達三人に襲われました。御者が斬られる寸前――その時に鬼が現れ、あっという間に三人を斬り伏せたのです。」
「ボロ布を纏い、髪を振り乱し、鬼の面を被った異形の者……その動き、その強さ……人とは思えぬものでございました。」
「……鬼としか、思えませぬ。」
「それに、その鬼は我らに危害を加える様子はなく……」
中務卿宮の拳が、ぎり、と鳴る。
「三条は?怯えていなかったのか!?」
供人たちは、言いづらそうに視線を交わした。
「……それが……鬼と共に行くと申されたのは……三条殿ご自身で……」
「三条が!?」
「はい……鬼を見つめ……まるで寄り添うように……」
「……魅入られたのでは……と……」
「……もうよい。」
「え……?」
「もうよい!!下がれ!!!」
「は……!」
二人が退くと、中務卿宮はその場に崩れ落ちた。
「なぜだ……なぜだ、三条……」
拳が床を打つ。
「……必ず、迎えに行くと……言ったであろう……」
震える声。
「……まだ……何も……返してもらっておらぬ……。」
ぽたり、と床に雫が落ちた。
───宮中
「先日、宇治に病を鎮める女房がいたであろう?」
「知っておる。三条のことだろう?不思議な力を持つと噂の。」
「その話、もう一つあるのを知っておるか?」
「なんだ?」
「二年ほど前、都を騒がせた“飾り髪の和泉”を覚えておるか。」
「ああ……誰もが手に入れようとしたが、六条御息所の女房で手が出せず、やがて里へ下がったあの女房か。」
「その和泉、三条と関係があるらしい。」
「なに?」
「私の聞いた話ではな――三条は、その力を他人に一時的に渡せるらしいのだ。」
「力を……渡す?」
「そうだ。和泉はその力を借りて都で振るった。だが、やがて力を使い果たし、里へ戻った……そういう話だ。」
「……なるほどな。」
「都が騒ぎ出した頃と、和泉が力を失った時期が重なり、里帰りしたと。」
「そして今回、本来の力を持つ三条が宇治で病を鎮め、祓いの品まで残していった……」
「祓いの石鹸に、甘露水、湯殿とやらもそうだな。」
「祓いの力を、誰でも扱える形にするとは……」
「和泉以上、ということか。」
一人が扇を広げ、口元を隠す。
「――その力が。」
声を落とした。
「鬼に、見初められたらしい。」
「鬼だと!?」
「和泉国北部で、野盗三人を一瞬で斬り伏せたという。」
「人とは思えぬ強さ、速さ……供の者が震えて語っておった。」
「その鬼が、三条を“我が妻”と呼んだとか。」
「……妻……」
場の空気がざわめく。
「しかも三条自身が、鬼と共に行くと言ったらしい。」
「……自ら、か。」
「ならば……もはや人の理の外だな。」
「鬼に魅入られたか……それとも、鬼を魅入らせたか。」
くす、と誰かが笑った。
「いずれにせよ――」
「人のものではない、ということだ。」
「……こうなっては、お偉方も手出しはできまいな。」
「無理に手を出せば、鬼を敵に回すやもしれぬ。」
「それに……」
一人が目を細める。
「そこまでの力を持つ女、下手に囲えば面倒を呼ぶだけだ。」
「違いない。」
笑いが、静かに広がった。
───京・とある寺 奥の間
「三条は?」
老齢の男が、短く問う。
「お連れ、できませんでした。」
武官が震えながら答える。
「鬼に、連れ去られたと申すか。」
「は……」
「どのような鬼だ。」
「ボロ布を纏い、鬼面を被り……人とは思えぬ速さで三人を斬り伏せました。」
「ほう。」
静かな相槌。
「野盗三人は、再起不能にございます。一人は腕を失い、一人は肩を斬られ、もう一人は脚を深く斬られ……」
「……一人で、か。」
老齢の男の目が細くなる。
トン、と扇が机を叩いた。
「三条は、どんな手を使っても連れてこいと命じたな。」
「……は。」
「それを、逃した。」
バシィッ!!
扇が飛び、武官の額を打つ。
「それほどの者を取り逃したということだ。」
「申し訳ありません!!」
額を床に擦り付ける。
「……もうよい。」
低い声。
「お前には期待せぬ。年明けの昇進も無しだ。以後も望めぬと思え。」
「そ……そんな……!」
「下がれ。」
「……は……」
武官は崩れるように去った。
沈黙。
やがて、老齢の男はゆっくりと口を開いた。
「……鬼、か。」
わずかに口元が歪む。
「人外に属するものは……扱いが難しい。」
一拍。
「ならば、無理に手を出す必要もあるまい。」
扇を閉じる音が、小さく響く。
「我らは我らの道を進む。」
視線が鋭くなる。
「年が明ければ、準備を始める。他を排し、盤石とする。」
静かな声。
「不要なものは、削ぐ。」
そして――
「残るのは、力あるもののみでよい。」
その口元には、冷たい笑みだけが残っていた。




