第145話 父の暴走・朝
───和泉守邸・朝餉の間
膳が整えられ、静かな朝の空気が流れていた。
紗世は、ややぎこちない足取りで御簾の内へ入り、そっと座る。
(落ち着け……普通に……何も無かった顔で……。)
そう思うほどに、昨夜の記憶が勝手に蘇る。
(無理無理無理……)
「おお!姫!」
びくっ
やけに張りのある声に肩が跳ねた。
御簾の外――和泉守・兼成が、妙に機嫌良くこちらを見ている。
「よく眠れたか!?」
(圧がすごい!!!)
「……え、ええ……まあ……。」
視線を逸らしながら答える。
「そうかそうか!!」
満足げに頷く父。
(なにこのテンション……)
「源殿も、よく休めたかな?」
その一言に、紗世の心臓が嫌な音を立てた。
思わず惟成を見る。
「問題ございません。」
落ち着いた声。
いつも通りの顔。
(この人ほんと何なの……。)
「はっはっは!それは何よりだ!」
兼成は豪快に笑った。
――が。
そこで、じっと惟成を見る。
ほんの一瞬。
目の色が変わった。
「……惟成殿。」
(え)
紗世の思考が止まる。
(今、名前……酔ってないのに……)
兼成は、ゆっくりと湯呑みを持ち上げた。
「昨夜は、静かであったな。」
(……ちょッッッ!!!)
「は?」
惟成の眉が、わずかに動く。
その一瞬を見逃さず、兼成はにやりと笑った。
「語らう声も、足音も、随分控えめであった。」
(全部聞いてたの!?!?!?)
紗世、内心崩壊。
「慎み深いのは良いことだ。」
「父上ぇぇぇぇ!!!」
「なんだ。」
「そういう話じゃないからね!?」
「そうなのか?」
真顔。
(信じてない!!)
兼成は湯を一口含み、ふう、と息を吐いた。
「……まあ、良い。」
(良くない!!!)
「だがな、惟成殿。」
空気が少し締まる。
「姫は見ての通り、隙が多い。」
「ちょっと!!」
「しかも妙なところで男を信用する。」
「父上!!」
「だからこそ、男の側の節度が問われる。」
紗世は言葉に詰まった。
兼成は真っ直ぐ惟成を見る。
「昨夜、お主は姫を部屋へ入れた。」
「……はい。」
「だが、すぐ返したな。」
紗世の肩が跳ねた。
(そこまで把握してるの!?)
惟成は否定しなかった。
「……はい。」
兼成はじっと惟成を見据える。
「私はまだ、お主を認めたわけではない。」
空気が止まる。
紗世も思わず顔を上げた。
兼成は続ける。
「だが。」
低い声。
「欲に流されぬ男かどうかは、見ておった。」
惟成は静かに視線を受け止めた。
「……。」
「姫を軽んじるような真似をしたなら、その場で叩き出しておった。」
「父上……。」
「だが、お主はそうせなんだ。」
兼成は腕を組む。
「そこは評価してやる。」
(評価はするんだ……。)
紗世は微妙な顔になった。
「しかし。」
兼成の目が細くなる。
「評価したからといって、認めたわけではないぞ。」
「……承知しております。」
惟成は静かに答えた。
その落ち着いた返しが、逆に兼成を微妙な顔にさせる。
(なんだその余裕は。)
「惟成殿。」
「は。」
「姫を部屋へ入れた以上、今後、後朝の歌の一つも詠めぬ男では困る。」
(は????)
紗世、固まる。
「父上!!!」
「何だ。」
「なんでそういう話になるの!?」
「備えだ。」
真顔。
「昨夜のように夜に姫が男の部屋へ行くなど、本来なら後朝の歌案件だ。」
「案件って言わないで!!!」
兼成は気にせず続ける。
「和歌の心得は?」
「……一通りは。」
「結構。」
頷く兼成。
「後朝の歌はな、ただ甘いだけでは駄目だ。」
(始まった……。)
「余韻を残しつつ、品を保つのだ。」
「父上ええええ!!!」
「なんだ。」
「説明しないで!!」
「必要な教養だ。」
真顔。
惟成は黙って聞いている。
(なんでこの人平然としてるの……!?)
「そして、三日夜の餠。」
「まだあるの!?」
兼成は指を立てた。
「三夜通えば夫婦として扱われる。」
「通ってないからね!?」
「だから“もしもの時”の話だ。」
「その“もしも”が早いの!!」
「餠は家の格も出る。」
「そこ!?」
「雑にしてはならん。」
「論点そこじゃない!!!」
頭を抱える紗世をよそに、兼成は惟成を見る。
「甘い物は嫌いではないな?」
「……嫌いではございません。」
(なんで答えるの!?)
「よし。」
満足げに頷く。
「では問題ない。」
(何が!?)
「あと、所顕しだな。」
「やめてええええええ!!!」
紗世、御簾の内で崩れ落ちる。
兼成は腕を組んだ。
「姫を持つ家としてはな。」
真面目な顔。
「男がどこまで覚悟を持っているか、見極めねばならん。」
空気が少し締まる。
惟成は、その視線を正面から受け止めた。
「……。」
わずかに息を吐き。
「まだ、その段に至ってはおりません。」
静かな声。
はっきりと。
「ですが。」
一拍。
「もし、その折が来るならば。」
ほんの一瞬だけ、御簾の方を見る。
「軽んじることなく向き合う所存です。」
紗世の心臓が跳ねた。
兼成はじっと惟成を見つめる。
数秒の沈黙。
やがて――
「……ふん。」
鼻を鳴らした。
「口だけなら何とでも言える。」
(認めてない!!良かった!!)
なぜか少し安心する紗世。
「今はまだ、“様子見”だ。」
兼成はびしっと惟成を指差した。
「姫に手を出したら──分かっておるな?。」
「父上!!」
「しかし、手を出さな過ぎても、それはそれで腹が立つ。」
「理不尽!!」
「男とは難しいものだ。」
「父上が難しくしてるの!!」
その時。
惟成の口元が、ほんの僅かに緩んだ。
「……和泉守様。」
「なんだ。」
「随分と難しい試練を課されますね。」
兼成は真顔で頷く。
「当然だ。姫は私の娘だからな。」
(うわぁ……。)
紗世は顔を覆った。
その横で惟成は、珍しく少しだけ笑っていた。




