第142話 父の暴走・夜
「飲めぇぇぇぇ!!」
ぐい、と盃が突き出される。
「……は、はい。」
惟成は一瞬ためらいながらも受け取り、静かに口をつけた。
(……強いな。)
舌に残る酒の熱を感じながら、そっと息を吐く。
その隙も与えぬまま――
「もう一杯!!」
「まだ一口しか――」
「飲めぇぇぇぇ!!!」
「……はい。」
(これは任務より過酷かもしれん。)
惟成は無表情のまま、二杯目を受けた。
御簾の内。
(ちょっと待って!?なんでこうなったの!?)
紗世は頭を抱えていた。
隣では母が扇で口元を隠しながら楽しそうにしている。
(母上、止めてよ!?なんで見守りモードなの!?)
「姫はなああああ!!」
どんっ!
机に盃が叩きつけられる。
「小さい頃はなあ!!庭でなあ!!」
「……はい。」
惟成、聞くしかない。
「泥だらけになって遊ぶのが好きでなあああ!!」
(やめてええええええ!!!)
御簾の内で紗世が無言でのたうつ。
「女房たちがなあ!!“姫君らしく”と止めてもなあ!!」
ぐびっ
「聞かんのだああああ!!!」
「……そう、ですか。」
(知ってるけどな。)
「しかもなあああ!!」
ずい、と惟成に顔を近づける。
「木に登る。」
「……はい?」
「登る!!」
「……。」
(それは初耳だな。)
御簾の内。
(ちょっと!?それは黒歴史!!)
「落ちる!!」
「……。」
「泣く!!」
「……はい。」
「また登る!!」
「……はい。」
(学習しない部類か。)
「それでもなああああ……」
急に、声の調子が落ちる。
「優しい子でなあ……」
ぽろ、ぽろ、と涙が落ちる。
「怪我した子がいたらなあ……自分の事より先に駆け寄るんだああ……」
惟成の表情が、ほんのわずかに変わる。
「……。」
(……らしいな。)
御簾の内。
紗世は、さっきまでの羞恥とは違う顔で俯いていた。
(……もう……)
少しだけ、目を細める。
「そんな姫がなああああ!!」
急にまたテンションが跳ね上がる。
「男と二人で一晩とかあああああ!!!」
「ぶふっ」
惟成、危うく吹き出す。
(そこに戻るのか。)
御簾の内。
(もおおおおおお!!!いいから!それは!)
「聞いておるのか源殿!!」
「……はい、聞いております。」
「どういうことだあああああ!!!」
机バンッ!!
「……宿坊でございましたので、部屋は別で――」
「そんなことは聞いておらん!!!」
(理不尽だな。)
「姫はなああああ!!」
びしっ!と御簾の方を指す。
紗世、固まる。
「まだまだ子供なのだああああ!!」
(いやそれはどうなの!?)
「世の男の恐ろしさをなああああ!!」
ぐい、と惟成に詰め寄る。
「分かっておらんのだああああ!!!」
「……はあ。」
「だからなああああ!!!」
がしっ!!
また手を掴まれる。
「頼むぞおおおおお!!!」
「……はい?」
「変な虫がつかんようになああああ!!!」
(それを俺に言うのか。)
御簾の内。
紗世、完全に顔を覆う。
(無理無理無理無理無理!!)
母、肩を震わせて笑いを堪えている。
「お主はなああああ!!」
ぐいぐい揺さぶられる惟成。
「変な男ではなさそうだああああ!!!」
「……ありがとうございます。」
「だがなああああ!!!」
「はい。」
「油断はせんぞおおおお!!!」
「……はい。」
(面倒だが、筋は通っている。)
「だからなああああ……」
急に、声が小さくなる。
手の力も、少しだけ緩む。
「姫をなあ……」
ぽつり、と。
「頼んだぞ……」
その一言だけは、酒の勢いではなかった。
惟成は、ほんの一瞬だけ目を細め、
「……はい。」
静かに、そう答えた。
御簾の内。
紗世の胸が、ぎゅっと締め付けられる。
(……もう……
ほんと、ずるいよ……。)
その直後。
「もう一杯ぃぃぃぃ!!!」
(台無し!!!)
惟成は無言で盃を受け取りながら、
(……長い夜になりそうだな。)
初めて、心からそう思った。
────
「飲めぇぇぇぇ!!!」
「……はい。」
五杯目。
惟成は無表情のまま受けるが、
(……さすがに、回るな。)
わずかに思考が鈍る。だが姿勢は崩れない。
その様子を、和泉守はじぃ……っと見ていた。
「惟成殿。」
「は。」
(名前呼びに変わってる…。)
「お主……」
ぐい、と顔を寄せる。
「倒れぬな。」
「鍛錬の賜物かと。」
「ふん……。」
一拍。
そして――
「よし。」
なぜか納得した顔で頷く。
(何が“よし”なのだろうか。)
惟成、内心で首を傾げる。
「惟成殿。」
「は。」
「お主。」
指を突きつける。
「姫をどう思っておる。」
(二回目だな。)
「守るべき方かと。」
「それだけか!!」
机バンッ!!
御簾の内。
(もういいからあああああ!!)
紗世、再び崩壊寸前。
「守るだけなら誰でも言える!!」
「……。」
「どうなのだ!!」
ぐいっと詰め寄る。
「姫は可愛いか!!」
「――っ」
一瞬だけ、惟成が詰まる。
(そこを聞くのか。)
「どうなのだああああ!!!」
「……はい。」
小さく、だがはっきりと。
「可愛らしい方かと。」
御簾の内。
(え!?ちょっと待って今の何!?!?)
紗世、完全に固まる。
和泉守の目が、かっと見開かれる。
「……もう一度言え。」
「……可愛らしい方かと。」
「そうかあああああああ!!!」
どんっ!!!
机を叩く。
「やはりかあああああああ!!!」
「……?」
(何が“やはり”なのだろうか。)
ぐいっ!!
突然、肩を掴まれる。
「惟成殿!!」
「は。」
「今この場で!!」
息が酒臭い。
「義父上と呼べ!!!」
「……は?」
御簾の内。
(やめてええええええええええ!!!)
「義父上だ!!!」
「……いえ、それは。」
「呼べ!!!」
「しかし――」
「呼べええええええ!!!」
(強引だな。)
一瞬の間。
そして惟成は――
「……義父上。」
「よし!!!」
即座に満足。
(通るのか、それで。)
次の瞬間。
「違う!!!」
「……は?」
「義父上ではない!!!」
机バンッ!!
「まだ早い!!!」
(どっちだ。)
御簾の内。
紗世、完全に崩れ落ちる。
(もう無理無理無理無理!!)
母、静かに肩を震わせている。
「いいか惟成殿……」
急に声が低くなる。
さっきまでの勢いとは違う。
「姫はな……」
「はい。」
「誰にでも渡すつもりはない。」
真っ直ぐな目だった。
酒に濁っていない。
「……はい。」
惟成も、わずかに真顔になる。
「だが。」
ぐっと距離を詰める。
「お主は……まあ……」
言葉を探すように、視線を泳がせる。
「悪くない。」
「……ありがとうございます。」
「いや、まだだ。」
指を立てる。
「まだ合格ではない。」
「は。」
「だが――」
少しだけ、笑った。
「今のところは、許す。」
御簾の内。
(何その“仮合格”みたいなの!!)
「だからな。」
ぽん、と肩を叩く。
さっきより力は弱い。
「姫を泣かせるな。」
「……はい。」
「泣かせたら。」
一瞬、目が据わる。
「斬る。」
「……承知しました。」
(本気だな。)
そして次の瞬間。
「飲めええええええ!!!」
(戻った。)
惟成は静かに盃を受けながら、
(……厄介だが。)
ほんのわずかに思う。
(嫌いではない。)
御簾の内。
紗世は顔を覆ったまま、
(……もう……なんなの、この人たち……。)
そう思いながらも、少しだけ、胸の奥が温かくなっていた。




