第141話 圧迫尋問
先ほどまでの問いは一通り終わり、場の空気はわずかに緩んだ――かに見えた。
(和泉守様が「色々聞きたい」と言っていたが……これで終わりか。)
そう判断し、惟成は静かに口を開いた。
「では、そろそろ失礼いたします。
和泉守様のお聞きになりたいことにも、おおよそお答えいたしましたゆえ、これ以上の滞在は――」
「待て。」
ぴたり、と動きが止まる。
「……は?」
わずかに間の抜けた返事が出た。
和泉守はゆっくりと湯呑みを置き、惟成を見据えた。
「聞きたいことは、まだある。」
「……。」
「泊まれ。」
静かに、だが逃げ道のない一言。
御簾の内で、紗世が息を呑む。
(父上……)
惟成は一瞬だけ沈黙し、言葉を選ぶ。
「……恐れながら。」
「なんだ。」
「任務は既に完了しております。長居は本来――」
「泊まれ。」
間髪入れず、二度目。
(圧が強い……!)
紗世が思わず身を縮める。
惟成は小さく息を吐いた。
「……お気遣いはありがたく存じますが――」
「泊まれ。」
三度目。
今度は完全に“命令”だった。
空気が、重く沈む。
御簾の内で、紗世の母が扇の向こうでくすりと笑う。
(父上、完全に逃がす気ない……。)
惟成は一瞬だけ目を伏せた。
(……ここで退く方が面倒か。)
理はある。断る理由もある。
だが――
(これ以上押せば、不信を招く。)
ほんの一瞬、御簾の向こうへ視線をやる。
紗世と目が合った。
(……まあ、いいか。)
「……承知いたしました。」
「うむ。」
和泉守は満足そうに頷いた。
だが、その目はまったく笑っていない。
「色々と、まだ聞き足りぬことがあってな。」
(まだあるの!?)
紗世の内心が騒がしい。
「今宵はゆるりと語ろうではないか。」
「はあ……。」
惟成の返事は相変わらず淡々としている。
そこへ、和泉守がさらに一言。
「無論――」
すっと目を細める。
「逃げるなよ。」
「逃げません。」
即答。
一歩も引かない声音。
そのやり取りに。
御簾の内で、紗世の母が楽しそうに扇を揺らした。
「まあまあ……殿も、あまりお若い方をいじめてはいけませんよ。」
「いじめてなどおらぬ。」
「そうでしょうか?」
「当然だ。」
(絶対いじめるやつだこれ……。)
紗世は小さく天を仰いだ。
その横で、母が小さく囁く。
「良い殿方ね。」
「母上、楽しんでません?」
「少しだけ。」
「少しじゃないですよね?」
御簾の内の温度と、御簾の外の圧。
その落差の中で――
和泉守は、静かに次の手を考えていた。
(さて……どこまで聞き出せるか。)
一方。
惟成もまた、静かに構えていた。
(……面倒なことになったな。)
だがその目は、ほんのわずかにだけ、楽しんでいるようにも見えた。
───夜・和泉守邸 客間
燭台の火が、静かに揺れている。
向かい合う二人の間に、ゆるやかな緊張が残っていた。
和泉守は盃を傾け、ふと口を開く。
「源殿。武芸は、いつから鍛錬を積んでおる。」
「父も武官ゆえ、物心つく前より木刀や弓を握らせていたと聞いております。
私の記憶では、三つの頃には小さな木刀を振っておりました。」
「ほう……。」
感心したように頷く。
「その若さで実績もあり、出世も見込まれておるとなれば――」
盃をくるりと回す。
「京の姫君たちから、さぞ文を貰っておるであろう?」
(あ!それ!私も気になる!!)
御簾の内で、紗世が身を乗り出した。
惟成は変わらぬ声で答える。
「届いてはいるのでしょうが、今のところ応じるつもりはございません。」
「なぜだ。」
和泉守の目が細くなる。
「年が明ければ十五。
高位の姫君からも届いておろう。出世も早い。」
一拍。
「心は惹かれぬか。」
惟成はわずかに考え、静かに口を開いた。
「……確かに、それぞれに魅力ある姫君はおられます。」
「ふむ。」
「しかし――」
言葉が、ほんの一瞬止まる。
「人となりが、見えません。」
和泉守の眉がぴくりと動いた。
「……ほう。」
「文や香、装いは見事でも、その内がどうであるかまでは、分かりかねます。」
静かな、だが迷いのない声音。
「……では。」
和泉守は、わずかに身を乗り出す。
「我が姫は、それが見えると?」
惟成は――
一瞬だけ、御簾の内へ視線を向けた。
「……はい。」
その一言は、迷いなく落ちた。
御簾の内で、紗世の胸がどくん、と鳴る。
和泉守は、じっと惟成を見据える。
「我が姫はな。」
ゆっくりと言葉を重ねる。
「牛車も使わず、出歩くぞ。」
「……存じております。」
(牛車から飛び降りるくらいだしな。)
「顔もあまり隠さぬ。隠しても、気付けば丸見えだ。」
「……はい、存じております。」
(御簾も几帳も、飾りになっていることが多い。)
「箏も琵琶も、和歌も書も、秀でたものはない。」
「……それも、承知しております。」
「慎ましやかさも、淑やかさも――皆無だ。」
「……否定はいたしません。」
(ちょっと!)
御簾の内で、紗世が無言の抗議を送る。
「それでも。」
和泉守の声が、わずかに低くなる。
「姫は守るべき方だと、そう言うか?」
間を置かず、
「はい。」
即答だった。
空気が、ぴたりと止まる。
惟成は、改めて口を開いた。
「姫君は――」
また一瞬、言葉が止まる。
視線が、御簾の奥へと向く。
「重ね色の衣や香、和歌や音楽がなくとも……」
静かに、だが確かに続ける。
「人を惹きつけるものをお持ちです。」
御簾の内。
紗世の指が、きゅっと袖を握る。
「六条御息所邸でも、こちらでも。
姫君の周りには、穏やかで優しい人が集っております。」
「……。」
「それは、姫君ご自身の人となりによるものかと。」
和泉守は、何も言わない。
「外側ではなく、本質が――」
わずかに言葉を選び、
「見事な方です。」
沈黙。
ほんの一瞬の、静寂。
そのあと――
ぽたり、と。
盃の縁に、何かが落ちた。
「あ……あの……?」
惟成が目を上げる。
そこには、酒を呑みながら、ぼろぼろと涙を流す和泉守がいた。
「う……ぅうっ……」
肩が震えている。
「姫のこと……そんなに……っ」
ガシッ!!
惟成の手を掴む。
「分かってくれるかあああああ〜〜〜!!!」
「なっ――!?」
さすがの惟成も、完全に狼狽えた。
(なにが起きた!?)
御簾の内。
(父上やめてええええええ!!)
紗世は頭を抱える。
「小さい頃はなああああ!!転んで泣いてなあああ!!」
「は、はあ……」
「それが今では牛車から飛び降りるようになってええええ!!」
(言うなあああああ!!)
「可愛くてなああああ!!でも危なっかしくてなああああ!!」
「お、落ち着いてください……!」
「お主のような男がなああああ!!分かってくれるとは思わなんだあああああ!!!」
ぐい、と酒を差し出される。
「飲め!!」
「は……はい……」
(これは任務より厄介だな……)
惟成は、初めて本気でそう思った。




