第139話 娘持つ父
───旅程三日目
この日、紗世と惟成は宿坊で朝餉を済ませ、辰の刻頃に出立した。
御者を兼ねて手綱を引く惟成と、紗世。
二人だけの冬の旅路は、どこか穏やかだった。
「惟成、寒くない?」
「歩いているから平気だ。むしろ暑いくらいだ。」
「筋肉お化けだもんね。」
「なんだ、それは。」
「筋肉多いと体温も高いんだよ。知ってた?」
「知らん。」
「冬場に惟成にくっつけば暖取れそうだよね。布団の中の猫みたいな感じ。」
「……っお前、それは絶対、人前で言うな。」
「えー、ホントのことなのに。」
「はしたない、品のない女人と思われるぞ。」
「……今さらだし。」
「まあ、そうだな。」
「ちょっと!!そこは否定してよ!!」
軽口を交わしながら進む道。
その穏やかで温かな時間は――あっという間に終わりを告げた。
和泉国府中に入ると、街道の先に見覚えのある雑色の男が立っていた。
「止まられよ。その牛車はどちらの――」
惟成が答えかけた瞬間、物見から紗世が顔を覗かせた。
「あ、雪丸。」
「姫君!お帰りなさいませ!」
男――雪丸は顔を輝かせた。
「和泉守様がお待ちでございます。私は先に邸へ知らせに戻ります!」
そう言うや否や、踵を返して走り去っていく。
「──やはり、紗世は和泉守様の姫君なのだな……。」
「どういう意味よ。」
紗世は頬を膨らませた。
───和泉守邸・門前
牛車が止まるや否や、真砂が駆け出てきた。
「姫君!!」
「真砂。ただいま。」
「ご無事で……本当によろしゅうございました。」
安堵の色を浮かべた真砂は、続けて惟成へ向き直る。
「惟成様、姫君を無事送り届けてくださり、ありがとうございます。」
深く頭を下げた。
「構わぬ。任務だ。では、私はこれで――」
手綱を引き直そうとした、その時。
「ちょ、ちょちょちょ!!待って待って待って!!」
紗世が慌てて呼び止めた。
「なんだ。」
「もう帰るの!?」
「お前を無事送り届けたからな。」
「うちで少し休んでいってよ。仕事かもしれないけど、ちゃんとお礼はしたいし。」
「そうですよ。惟成様。今回は、その……色々お疲れでしょうし。」
真砂も控えめに続ける。
その時――
「茶を用意するゆえ、寄っていかれよ。」
低く落ち着いた声が背後から響いた。
振り返ると、そこには和泉守が立っていた。
「父上。」
(紗世の父上……和泉守様か。)
惟成はすっと姿勢を正し、頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私は――」
「よい。挨拶も邸でゆっくりしよう。真砂、客人を迎える用意を。」
「かしこまりました。」
使用人たちが動き出し、牛車と惟成は邸内へと導かれていった。
───和泉守邸・客間
和泉守と惟成が向かい合い、御簾の内には紗世とその母。
「まずは礼を言おう。姫を無事送り届けてくれたこと、感謝する。」
「いえ、任を果たしたまででございます。」
「……それにしても若いな。歳はいくつだ?」
「十四でございます。」
「なに!?」
和泉守、前のめり。
「姫と同年ではないか……!」
チラッと御簾。
「……姫よ。この落ち着きを見習え。」
「父上、うるさいです。」
即答。
「して、名は?」
「左兵衛府が兵衛志、源惟成と申します。」
――その瞬間。
和泉守の動きが止まった。
「……源……惟成……?」
低く、繰り返す。
そして、はっとしたように顔を上げた。
(思い出した。)
紗世が里へ戻っていた間。
定期的に届いていた文の中に――
必ず混じっていた差出人の名。
源惟成。
御簾の内でも、同じことに気付いたのか、紗世の母がすっと視線を向ける。
「……紗世?」
「……な、なんですか母上。」
「いいえ?“よく文を寄越す殿方”ね。」
にっこり。
「ちょっ……!」
紗世、動揺。
御簾の外。
空気が一段、重くなった。
「……源殿。」
声が低い。
「和泉国に入る前にもう一人の供人と御者が怪我をして、源殿一人が紗世を送る事になったと聞いたが……供人と御者が怪我をしたのは、いつ頃だ?」
(なるほど。そういう理由になっているのか。……怪我の原因や状態ではなく時期を聞くのか。)
「昨日の夕刻前くらいでございます。」
「……では。」
ゴクリ。
「宿坊には……誰が泊まった?」
「私と姫君、二人でございます。」
一拍。
沈黙。
長い。
(……静かだな。)
「そ、そうか……」
和泉守の手元。
湯呑みの縁まで満たされた茶が――
ぷるぷるしている。
「……茶が零れておりますが。」
「お、おお。そうか。茶をもう一杯頼む。」
女房が慌てて動く。
御簾の内。
「母上……父上、変です。」
「普通ですよ。姫を持つ殿は皆ああなります。」
「ならないでほしい……」
「源殿!」
急に大声。
「武芸は何が得意だ!?」
「剣術と体術でございます。」
「ほう!!」
その瞬間――
「そうなんです!父上!惟成めっちゃ強いんですよ!」
バチャバチャバチャッ!!
湯呑み、限界。
「姫!!殿方の名を気安く呼ぶでない!!」
「えーでももう惟成呼び慣れてるし。」
「なに!?」
「外ではちゃんと呼び分けてますよ?」
(慣れている……だと……!?)
――バキッ!!!
湯呑み、粉砕。
(割れたな。)
惟成は冷静だった。
「…………源殿。」
「はい。」
「今日は泊まっていけ。」
「はい?いや、まだ昼を――」
「泊まれ。」
圧。
「……はい。」
「色々聞きたいことがある。」
一拍。
ぐっと拳を握り――
「……色々だ!!!」
ドンッと立ち上がり、そのまま去っていった。
残された部屋に、妙な静けさが落ちる。
(……何を聞かれるのだろうな。)
惟成は、割れた湯呑みを見つめながら思った。




