第128話 紗世の3分くっきんぐ
───古寺・僧坊奥の間
そこには、紗世、鷹丸、陰陽頭、惟成、真砂の五人が顔を揃えていた。
「陰陽頭殿、そちらは?」
鷹丸はちらりと惟成へ視線を向けて尋ねた。
「彼は左兵衛府の兵衛志、源惟成殿です。これからお話しする内容に必要な人材として、お呼びしました。」
陰陽頭がそう説明すると、惟成は静かに頭を下げた。
(この武官……大納言邸で見た……)
鷹丸の脳裏に、以前の記憶がよみがえる。
「して、陰陽頭殿。今日ここへ我らを呼んだ理由は何だ?」
鷹丸は珍しく真剣な声音で問いかけた。
「三条殿の、今後についてです。」
その一言に、鷹丸の肩がわずかに揺れる。
「鷹丸様も、ご存じでしょう。今、都で広がっている噂を。」
「ああ……聞いている。ずいぶん広まっているようだな……。」
鷹丸は重く息をついた。
「三条殿、真砂殿。最近、この古寺の様子はどうです?」
陰陽頭に問われ、紗世と真砂は一度顔を見合わせてから口を開いた。
「今、病人として預かっている方は全部で三人です。四日前に運び込まれた方以降、新しい病人は増えていません。今いる方々も、もう自宅へ戻れるくらいには回復しています。」
そこで紗世は少し言い淀んだ。
「ただ……」
「病人以外の訪問が、日に日に増えております。」
真砂が静かに言葉を継いだ。
「病人以外……?」
「はい。石鹸や例の飲み物を譲ってほしい、売ってほしいと、貴族の使いが次々に訪れております。」
「他にも、三条殿の看病を受けた貴族の中には、“あれは女房ではない、菩薩そのものだ”と言って、立派な牛車を寄越し、自邸へ迎えようとした者までいました。」
陰陽頭は少し呆れたように言ってから、表情を引き締めた。
「石鹸や飲み物の噂と同時に、それを作った三条殿自身の噂も広がっております。」
「三条は何人もの病人に接してきました。三条の存在を証言できる者も多い……そのぶん、噂が回るのも早いのでしょう。」
真砂はちらりと紗世を見る。
「今は惟成殿が毅然と追い返しておりますが──」
「追い返すのが難しい相手が来るのも、時間の問題……ということか。」
鷹丸は苦く息を吐いた。
(なんか……二年前、御息所様のお邸を出る時を思い出す……いやだな……。)
紗世は小さく俯く。
陰陽頭は鷹丸へ向き直った。
「三条殿と真砂殿を、和泉国へ帰しましょう。」
まっすぐに告げられたその言葉に、鷹丸の表情が固まった。
(……三条を、帰す……?)
「今いる病人も回復し、新しい病人も出ていない。三条殿と真砂殿が、これ以上ここに留まる理由はありません。」
「……っしかし……!」
鷹丸は思わず顔を上げかけ――
「……いや……そう、だな……。」
何かを飲み込むように、そう呟いた。
部屋に重い沈黙が落ちる。
その空気を破ったのは、紗世だった。
「あ、あのっ……なんだか空気が重いですし……よかったら、ご飯でも召し上がりませんか?」
「ご……ご飯?」
陰陽頭が拍子抜けしたような声を漏らす。
「はい。鷹丸様が、また雉を用意してくださったので。」
鷹丸の表情がぴたりと止まった。
(あの……雉の骨を砕いた料理か……?)
陰陽頭が恐る恐る尋ねる。
「三条殿……料理、できるのですか?」
「できます!ほとんどやったことないですけど!」
「何か手伝うことはあるか?」
惟成が静かに立ち上がった。
「三条、私もお手伝いしますわ。」
真砂も続いて腰を上げる。
「じゃあ、少し用意してきますね!」
そう言って三人が部屋を出ていき――
その場には、鷹丸と陰陽頭だけが残された。
「………宮様。」
陰陽頭がそっと口を開く。
「三条殿の料理……召し上がったことは?」
「……ない。」
鷹丸は遠い目をした。
「前回は、うまく回避できたが……」
「回避……? 何か、問題が?」
鷹丸はゆっくりと陰陽頭を見た。
「三条の料理は――」
一拍置いて、
「骨を煮る。」
「……ほ……骨を……煮る?」
陰陽頭の顔から血の気が引いた。
静まり返った部屋に、遠く台盤所の方から、
「えっ、それ干し柿ですよ!?」
「醤に何を混ぜて……!!?」
という僧の悲鳴が聞こえてきた。
鷹丸と陰陽頭の間に、再び重い沈黙が落ちた。
───古寺の台盤所
台盤所に着くなり、紗世は手際よく食材や調理道具を並べ始めた。
「先日とは、何やら用意しているものが違うようだが……」
惟成が紗世の手元を覗き込みながら言う。
「うん。今日はまた違う料理を作ろうと思って。最近、ちょこちょこ試作してたの。」
「試作……? でも、試作した料理なんて召し上がっていましたっけ?」
真砂が不思議そうに首を傾げた。
「試作は試作でも、料理じゃなくて、調味料の試作。」
「調味料……?」
惟成と真砂が顔を見合わせる。
その二人の前に、紗世はひとつずつ並べて見せた。
醤。
濾した甘酒の上澄み。
少量の刻んだ干し柿。
「醤に、甘酒……干し柿?」
「そう! これを混ぜて一晩置いて、一度火にかけたのが――こちらです!」
どんっ。
紗世が得意げに小さな器を置く。
(なんか、現代の料理番組みたい。)
「ま、混ぜた……!? 干し柿など、どうやって混ぜた!?」
惟成が本気で理解できないという顔で紗世を見る。
「干し柿は細かく刻んで漬けたの。」
「……本当に、お前は理解不能だ……。」
惟成は額を押さえた。
「で、ですが惟成様。雉団子粥の時も、最初は同じようなことを仰っていたではありませんか。」
真砂はうっとりと遠い目をした。
「あれほど美味なお粥、わたくし初めてでしたもの……。」
紗世はその調味料を指先ですくい、ぺろりと舐める。
「んー……もう少し味が強くてもよかったけど、これでもなんとかいけそうかな。」
そう言うと、紗世は雉肉や野菜を刻み始めた。
惟成はその横顔を見つめながら、小さく息をついた。
「……本当に、何を作るつもりなんだお前は。」
───僧坊・奥の間
鷹丸と陰陽頭は向かい合って座っていた。
ほとんど会話はない。
ただ、二人とも膝の上で手を握りしめている。
「お待たせしましたーー!」
満面の笑みを浮かべた紗世が、料理を持って戻ってきた。
(……三条殿。笑顔は愛らしい。だが今は、その笑顔が恐ろしい……許せ。)
鷹丸がそっと拳を握る。
(先日の六条御息所様の新しい衣は見事だったな……。)
陰陽頭は静かに現実逃避していた。
どん。
どん。
二人の前に、大ぶりの器が置かれる。
「三条殿……これは、何という料理かな?」
鷹丸がやや青ざめた顔で尋ねた。
「親子丼です!」
「おやこ……どん?」
「鶏と卵で作る料理なんですけど、今日は雉で代わりにしてみました!」
「……なるほど。半分ほどしか分からん。」
惟成がぼそりと呟く。
「そこは分からなくていいの!」
紗世が即座に言い返した。
「どのように作ったのか、聞いてもよいかな?」
陰陽頭は少しでも口に運ぶ時間を遅らせようと必死だった。
「えーっと、まず雉の骨で出汁を取って」
「……!」
「それとは別に、醤と甘酒と、細かく刻んだ干し柿を少し煮て」
「ひしおに甘酒……干し柿……?」
「それを出汁に合わせて」
「骨を煮た汁に、干し柿……」
「別の鍋で雉肉と葱に火を通して、その汁を入れて、最後に溶き卵でとじて、ご飯にのせました。」
説明を聞くたび、鷹丸と陰陽頭の顔色が悪くなっていく。
「冷めてしまいますから、早く食べましょう。」
惟成が淡々と言った。
「うん、食べよ食べよ。」
紗世は何の迷いもなく口へ運ぶ。
「うん、おいしい!」
真砂も続き、
「……っ」
言葉にならないまま頬を押さえた。
惟成は無言だったが、箸の動きだけが少し速くなっていた。
その様子を見て、鷹丸と陰陽頭は顔を見合わせた。
そして意を決したように、箸を取る。
ひとくち。
その瞬間――
二人の目が同時に見開かれた。
「……なんだ、これは。」
鷹丸が呆然と呟く。
「うまい……。」
陰陽頭は口元を押さえたまま器を見つめた。
もう一口。
さらにもう一口。
箸が止まらない。
「三条殿! 何だこれは!」
鷹丸が思わず声を上げる。
「今まで食べたことのない味だ……だが……」
陰陽頭も息を呑む。
「今まで食べたどの料理より、美味い……!」
「うむ……宮中の宴でも、これほどのものは口にしたことがない……。」
二人は驚いたまま紗世を見つめた。
「ほんと? よかったぁ。」
紗世はほっとしたように笑った。
その笑顔を見ながら、鷹丸は静かに思う。
(……帰してしまって、本当にいいのだろうか。)
器の中の湯気が、静かに立ちのぼっていた。




