表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

127/161

第127話 敵の目、宇治の女房

───京中にある寺


京中の寺の一室には、息苦しいほど重い空気が満ちていた。


右大臣をはじめ、その一門に連なる者たちが神妙な面持ちで並び、ただ一人――その場の長が口を開くのを待っている。


「宇治の件は?」


低い声が、静かに落ちた。


「は……最初は病で倒れる者が多かったのですが、その後、なぜか――」


「失敗したのか、成功したのか。」


短い一言だった。


だがその言葉には、誰よりも重い圧があった。


「……失敗で、ございます。」


「何故だ。」


「何者かが、病を広げる呪を……妨げたものかと……。」


「何者かが?何者だ。」


「そこまでは、まだ……」


バシンッ――!


扇が強く机を打った。


部屋の空気が一気に張り詰める。


「呪詛は失敗すれば、相手に反撃の余地を与える。」


トン……トン……


右大臣は扇の先で、

ゆっくり机を叩いた。


「それが――」


トン……


「命取りになる。」


誰かが小さく息を呑む。


「中務卿宮も、敦高親王に連なる者たちも、今まで以上に警戒を強めるだろう。」


トン……


「しかし、そこで手をこまねいていては――」


扇の音が止まる。


「こちらが、飲まれる。」


その一言に、並ぶ者たちの肩がわずかに震えた。


右大臣はゆっくりと扇を持ち上げ、居並ぶ貴族たちへ向けた。


「宇治で病が広がらなかった理由を、

掴んでいる者はおらぬのか。」


鋭い眼光が、一人ひとりを射抜いていく。


「一人も、おらぬか。

そこまで貴様らは無能なのか。」


「お、恐れながら……」


一人の男が震える声で口を開いた。


右大臣は目線だけを向ける。


「宇治で病人を看ている古寺に、

妙な女房がいると……」


「妙な女房?」


「不思議な石のようなものや、

見慣れぬ飲み物を作り、

病人に与えていた、と。」


「石……飲み物……」


「なんでも、その女房が作ったものを使うと、病が鎮まると……」


右大臣の目が細くなる。


「祓いの力を持つ物を、作り出したということか。……その女房の名は。」


「三条、と……」


「どこの女房だ。」


「中務卿宮の別邸に身を寄せているようです。」


ギリ――


右大臣が奥歯を噛んだ。


「相手側に囲われている、ということか。忌々しい。」


「ですが、中務卿宮邸に現れたのは、つい最近のことだとか。」


「その前は。」


「それが……

それ以前の記録がなく……

地方から来た者かもしれませぬ。」


「……まだ、中務卿宮の色に染まりきっては、おらぬかもしれぬな。」


パシン――


再び扇が机を打つ。


「その三条とやらを調べよ。」


冷たい声が落ちた。


「利用価値があるなら――」


わずかに間を置く。


「宮家から連れ出せ。」


誰も息をしなかった。


「軟禁でも、何でもよい。こちらで囲え。」


「は。

すでに宇治の古寺には、病人として一人、こちらの者を送り込んでおります。」


その報告に、右大臣は静かに目を細めた。


「……儂は、待たされるのが嫌いでな。」


その一言だけで、その場の全員の背筋が凍る。


「分かっているなら、それでよい。」


そう言い残し、右大臣はゆっくりと立ち上がった。


誰一人、顔を上げられないまま――


重い沈黙だけが、寺の一室に残った。





───宮中


「おい。あの噂、聞いたか?」


「例の宇治の呪詛の話か。」


「呪詛で病が広がりかけたが、途中で止まったらしいな。」


「ああ。

最初は中務卿宮様を皮切りに、何人も倒れたと聞いたが――」


「結局、誰一人死ななかったそうだ。」


「病に伏す者の数も、途中から急に減ったとか。」


「誰かが、呪詛を阻んだということか?」


ひそめた声が、渡殿の端で交わされる。


「それにしても、病に倒れた邸の顔ぶれを見れば……」


「どう考えても、右の――」


「迂闊なことを言うな。」


ぴしゃりと遮る声が落ちた。


「どこで、誰が聞いているか分からん。」


その一言で、場の空気がぴたりと止まる。


誰もそれ以上、口にはしなかった。


だが――


それぞれの胸の内では、同じ名が浮かんでいた。





───とある貴族邸


「清めの石をご存じ?」


「清めの石?」


「中納言家の姫君から伺ったの。

“せっけん”というのですって。」


「せっけん……?」


「大納言家の護衛選抜の折、大納言邸の者から皆に配られたそうよ。」


「それは一体、何に使うの?」


「それで手を洗うと、目に見えぬ穢れが落ちるのですって。」


「まあ……本当に?」


「使った姫君がおっしゃっていたわ。

使うと、手が驚くほどさっぱりすると。」


「その石が、宇治の病を鎮めたとも聞いたわ。」


「まあ……」


女房たちの声が、興味に弾む。


「それだけではないの。」


一人がさらに声を潜めた。


「病人に、不思議な飲み物も与えられていたそうよ。」


「飲み物……?」


「病に伏した者には甘露のように美味しく感じるのに――」


小さく間を置く。


「健康な者には、妙な味にしか感じぬとか。」


「まあ……!」


「では、それを飲んで美味しければ、呪詛にかかっているということ?」


「美味しく感じなければ、穢れはない――

そういうことになるわね。」


「なんだか怖いけれど……」


「少し、試してみたい気もするわ。」


「ええ……知らぬうちに呪詛にかかっていたら、恐ろしいもの。」


扇の陰で、姫君たちは小さく身を寄せ合う。


恐れながらも、その瞳には好奇心が宿っていた。




宇治で起きた呪詛騒ぎは、静かに、

だが確実に都へ広がっていた。


そしていつの間にか――


宇治の古寺にいる“妙な女房”へと、都の貴族たちの視線が集まり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ