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第126話 初めての味

山を下りて古寺へ戻るころには、空はすっかり夕暮れに染まり始めていた。


「三条っ!」


僧坊の前で待っていた真砂が、駆け寄ってくる。


「もう……急に一人で山へ入られるなんて、どれほど心配したことか……!」


「ご、ごめん……。」


紗世は肩をすくめ、小さく笑った。


その隣で、惟成は無言のまま紗世の籠を受け取っていた。


「……あ。」


真砂は、そこでふと目を瞬かせた。


さっきまで泣きそうな顔をしていたはずの紗世が、今はどこか安心しきったような顔をしている。


そして惟成もまた、いつもの無表情ではあるものの――


紗世の籠を持つ手だけは、妙に自然だった。


まるでそれが当たり前であるかのように。


「真砂?」


不思議そうに紗世が首を傾げる。


「あ……いえ。」


真砂は小さく微笑んだ。


「無事に戻られて、何よりでございます。」


「うん。エノキタケも採れたよ。」


紗世は嬉しそうに籠の中を覗き込む。


その横顔を、惟成が静かに見下ろしていた。


ほんの一瞬だけ、その眼差しが柔らかくなる。


それを見た真砂は、思わず口元を押さえた。


(あら……)


何があったのかまでは分からない。


けれど。


山から戻った二人の間に流れる空気が変わっていることだけは、はっきり分かった。


「……?」


紗世はきょとんとしている。


真砂はふっと笑みを深めた。


「三条。」


「なに?」


「そのエノキタケ、今から作るお料理に使うのですよね?」


「えっ、あっ、そうだった!」


紗世は慌てて台盤所へ駆けていく。


その後ろ姿を見送りながら、真砂はそっと惟成を見上げた。


惟成は気まずそうに視線を逸らした。


その反応に、真砂は確信する。


(……ようやく、ですか。)


そして心の中だけで、そっと微笑んだ。





台盤所へ向かう紗世の後ろ姿を見送りながら、惟成がふと口を開いた。


「ところで、真砂殿。」


「はい。」


「先程、三条が“今から作る料理に使う”などと言っていたな。」


「はい。」


「三条は……料理をしたことは?」


「私の知る限り、ございません。」


「…………。」


惟成の顔から、すっと血の気が引いた。


「何を作ると言っていた?」


「いえ、それは聞かされておりませんが……

料理の手順を見る限り――」


「見る限り?」


「見ても、何の料理かさっぱり分かりません!!」


真砂がきっぱり言い切ると、

惟成の額にじわりと冷や汗が浮かんだ。


ぎこちない動きで、真砂を見やる。


「……ちなみに、どのような手順を?」


「雉の骨を砕いておりました。」


「!?」


「米を石臼で挽いて、米の粉を作っておりました。」


「!?!?」


「雉の肉を、包丁で原形がなくなるほど叩いておりました。」


「!?!?!?」


惟成はゆっくりと、台盤所の方へ視線を向けた。


すると、ちょうど中から――


「えっ!?」


「それを入れるのですか!?」


「一体何を作るおつもりで!?」


料理人たちの困惑した声が聞こえてくる。


「……少し、台盤所を覗いても?」


惟成が低く呟くと、真砂は黙って頷いた。




───台盤所


大鍋の中では、砕いた雉の骨がぐらぐらと煮立ち、白い湯気を立てていた。


その前で紗世は、楽しそうに鍋を覗き込んでいる。


「お前、料理できるのか?」


惟成が思わず小声で聞いた。


「やったことないけど、できるよ!」


紗世は悪びれもなく答えた。


現代に生きていた頃は自炊していた紗世だが、この世界に転生してからは貴族の姫君として育ち台盤所に立つことすらなかった。

しかし、そんなことを惟成が知るはずもない。


「どういう意味だ……。

で、今は何をしている。」


「えーとね、この雉肉に」


紗世は細かく叩いた肉を指差す。


(これは……刻んだのか?

いや、もはや原形が残っていないではないか……)


「米粉を入れてー」


(白い粉……真砂殿が言っていた米の粉か)


「生姜と葱のみじん切り入れてー」


(ようやく分かる食材が出てきたな……)


「あと、少し塩。」


(うむ……そこまでは分かる)


「で、すこーし、雉骨の出汁。」


(!?骨を煮た汁!!?)


「で、これを――」


紗世は両手を器に突っ込んだ。


「手で思いっきり混ぜる!!」


ぐにぐにぐにぐに。


勢いよく混ぜ始める。


「……っ」


惟成の眉が引きつる。


「それで、この肉で団子を作るの。」


「肉……で、団子?」


「うん。小さく丸めるの。」


紗世は器用にくるくると丸めて見せた。


「三条殿、これは本当に料理なのか?」


「失礼ね!」


紗世はむっと頬を膨らませた。


「もう、みんなしてぶつぶつ言うんだから!

邪魔だから外出てて!」


そう言って、惟成は台盤所から追い出された。




───半刻後


「できたよーー!食べてみて!!」


紗世は満面の笑みで、湯気の立つ椀を二つ持ってきた。


惟成と真砂は、同時にその中を覗き込む。


白くとろりとした粥の中に、小ぶりの雉の団子。


その上には刻んだ葱。


そして、ふわりと立つ、今まで嗅いだことのない香り。


「三条殿、これは……?」


惟成が慎重に尋ねた。


「強いて言うなら、雉団子粥!」


「粥……」


惟成はそっと器を見下ろした。


(骨を煮て作った粥、か……)


ちらりと真砂を見る。


(……仲直りするのが、少し早すぎたかもしれん。)


あともう少し気まずいままでいれば、こんな得体の知れないものを口にせずに済んだかもしれない。


そんな本音が、胸の奥に浮かぶ。


(……とか、考えておられるのでしょうね……。)


真砂は心の中で、静かにため息をついた。


「ほら、冷める前に!」


紗世がきらきらした目で見つめてくる。


逃げ場はない。


惟成と真砂は、観念したように匙を取った。


そして同時に、一口。


ぱくり。


「…………」


「…………」


沈黙。


「ど、どう……かな?」


紗世が不安そうに二人を見る。


(え……まさか……不味い?

もしかして、現代の記憶がある私と惟成たちじゃ味覚が違うとか……!?)


沈黙が長すぎて、紗世の顔がみるみる曇っていく。


「あ、ええと、やっぱり不味いなら──」


慌てて椀を下げようと手を伸ばした、その瞬間。


惟成がその手を止めた。


同時に、


「……うまい。何だこれは……!」


惟成が呟いた。


「え?」


「うまい。」


もう一口。


ぱくり。


「……うまい。」



真砂も無言で二口目。


そして次の瞬間。


「――お、美味しいっ!!?」


真砂が思わず声を上げた。


「な、何ですのこれ!?

こんなお粥、初めてです!!」


「味が……深い。」


惟成が驚いた顔で椀を見つめる。


「骨の出汁なのか……?

雉の旨みが、全部溶け込んでいる……。」


「お団子もふわふわです!

噛んだ瞬間にほろっと崩れて、

でもちゃんとお肉のお味がして……!」


「生姜で臭みもない。」


「葱の香りも絶妙ですわ!」


真砂はもう止まらない。


「病人食とは思えません!いえ、むしろ宮中でも出せます!!」


「そこまで!?」


紗世が目を丸くした。


「いや……本当に、これは驚いた。」


惟成が素直に言う。


「お前……本当に初めてなのか?」


「だから言ったでしょ?

やったことないけど、できるって。」


紗世は胸を張った。


「疑ってた?」


「……かなり」


「やっぱり!」


紗世が頬を膨らませる。


その様子を見て真砂がふっと笑った。


「ですが……」


もう一口食べて、真砂は目を細めた。


「これは本当に、初めて食べる美味しさです。」


その言葉に、紗世はようやく安心したように笑った。


「よかった。」


そして小さく呟く。


「頑張って作って、よかった。」

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