第125話 涙のあと、繋いだ手
────古寺
「すみません。今日は台盤所の火を、少しお借りします。」
「ええ。構いませんよ。」
紗世と僧が微笑ましく言葉を交わす横で、真砂だけは不安を隠せずにいた。
ガラガラガラッ――
紗世は鍋の中へ、砕いた雉の骨を入れていく。
「三条殿……それは?」
台盤所にいた料理役の僧が、恐る恐る尋ねた。
「雉の骨です!」
「き……雉の……骨……?」
「はい!」
(ほら、もう……紗世様。お相手、言葉を失っているではありませんか……)
「真砂、もう一つ大きな鍋を蔵から持ってきてくれる?」
(私が見ていない間に、またとんでもないことをするのでは……)
一抹の不安を覚えながら真砂は出ていった。
そんな周囲の反応など気にも留めず、紗世はどんどん手を動かしていった。
「あの……」
ふと紗世は、近くの僧に声をかける。
「今、この辺りで採れる食材ってあります?」
「今は冬ですから……あまり多くはありませんね。
野菜でしたら、そこの大根と牛蒡なら使っていただいて構いませんよ。」
「いいんですか? ありがとうございます。」
紗世が嬉しそうに野菜へ手を伸ばすと、僧が思い出したように言った。
「そういえば一昨日、榎茸を見つけましたよ。
榎茸は雪の下でも生えますからね。」
「エノキタケ!? あるんですか!?」
紗世の目が輝いた。
「ここにはありませんが、採りに行けば。」
「場所、遠いんですか?」
「いえ。すぐそこの山ですよ。
山奥でもありませんし、迷うような距離でもありません。」
「そうですか……エノキタケ……」
(きのこなら、いい出汁が出るよね……)
紗世はぱっと顔を上げた。
「その場所、教えてください!」
───療養部屋の近く
「惟成様!」
真砂が声をかけると、惟成が振り返った。
「もう、出歩かれて大丈夫なのですか?」
「ああ。まだ少し体は重いが、問題ない。」
「左様でございますか……よかった。」
真砂は胸を撫で下ろす。
「あの……惟成様。」
「なんだ?」
「その……三条……紗世様とは……その……」
「真砂殿が気にすることではない。」
「……そう、ですね。」
気まずい沈黙が落ちる。
その時だった。
「あれ? 真砂殿?」
通りかかった若い僧が、不思議そうに首を傾げた。
「どうかしました?」
真砂が聞き返す。
「今日は三条殿とは別行動なのですね。」
「え……? 別行動って……三条はどこかへ?」
「先ほど榎茸を採りに行くと。
てっきり真砂殿もご一緒かと。いつもお二人で行動されてますので。」
「榎茸……山へ入ったのか?」
惟成の声が低くなる。
「ええ。でもそんなに遠くではありませんし、道に迷うような場所でも――あれ?」
気付いた時には、もう惟成の姿はなかった。
───山中
「あったぁ……!」
紗世の手には、大きな榎茸が握られていた。
「山に入ってすぐって言ってたのに……なかったなぁ。
誰か先に採ったのかな……。」
榎茸を見つめながら、紗世は小さく笑う。
「これなら、きっと美味しい出汁になるよね……。」
ふと、惟成の顔が浮かんだ。
その瞬間、表情が曇る。
「……食べて、くれるかな……。」
来た道を戻ろうとした、その時だった。
ガサッ――
ガサガサッ――
草をかき分ける音が、前方から近づいてくる。
「え……なに……?」
紗世は思わず身構えた。
(まさか熊……?
いや、冬眠してるはず……じゃあ、野犬……?)
ガサガサッ
(うそ……こっち来る!?)
紗世は息を潜め、しゃがみ込む。
ガサガサガサッ――
音が、目の前で止まった。
恐る恐る顔を上げる。
そこに立っていたのは――
惟成だった。
「あ……惟成……。」
(どうしよう……探しに来たんだ……
絶対、怒ってる……。)
紗世はぎゅっと目を閉じた。
「……帰るぞ。」
たった一言だけ。
惟成はそれ以上何も言わず、くるりと背を向けて歩き出した。
ザッ……
ザッ……
ザッ……
二人の足音だけが、静かな山道に続いていく。
(何も……話してくれない……。)
「あの……」
「…………」
「迎えに来てくれて、ありがとう……」
「…………」
「熱は、下がったの?」
「…………」
「食事は、食べれてる?」
「…………」
返事はない。
ただ、足音だけが続く。
ザッ……
ザッ……
ザッ……
(ああ……やっぱり駄目なんだ。)
紗世は俯いた。
(もう……私とは、話したくないんだ……。)
ぽたっ
涙が、地面に落ちた。
「……っ……う……」
喉の奥が詰まり、声が震える。
「ごめ……なさい……」
涙が止まらなかった。
「嫌われるのは……仕方ないって……思うけど……」
拭っても、拭っても、次から次へと零れていく。
「それなら……もう……惟成の前には……
姿、見せないように……するからっ……」
その言葉を口にした瞬間、胸が苦しくなった。
「……嫌うわけがないだろう。」
紗世が顔を上げると、惟成が振り返っていた。
「貸せ。」
惟成は榎茸の入った籠を受け取り、もう片方の手で紗世の手を握った。
そのまま、静かに手を引いて歩き出す。
「……怒って、ないの?」
涙を拭いながら尋ねる。
「怒ってる。」
紗世が手を離そうとしたが、惟成は離さなかった。
「お前にではない。自分にだ。」
「なんで……?私が悪いのに……」
惟成は前を向いたまま言う。
「あの日。
襲われたお前を見て、我を忘れた。」
その声は低く、苦しげだった。
「怖い思いをしたお前を慰めるべきなのに、
俺は……お前に当たった。」
「そんなこと……」
「嫌われるとすれば、俺の方だ。」
「違う!」
紗世は思わず声を上げた。
「惟成は、いつも私を護ってくれた。
嫌うわけない。」
惟成は小さく目を伏せた。
「護るはずの俺が、紗世を傷つけた。」
惟成が足を止め、振り返る。
「紗世に嫌われて当然だ。」
「だから、嫌わないってば……!」
紗世は堪えきれず、そのまま惟成に抱きついた。
「お願いだから、そんな風に思わないでよ……それから………私の事、嫌わないで……っ」
縋るように惟成を見上げた。
「……ああ……すまなかった。」
そっと紗世の背に手を回した。
「そばにいて。」
惟成の胸に顔を埋め、呟いた。
「ああ。」
「離れないで。」
「分かってる。」
小さな子をあやすような、しかし、この上なく優しい声だった。
紗世が顔を上げると、惟成がわずかに笑っていた。
それを見た瞬間、紗世は涙の残る顔のまま、小さく笑った。
そして、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込める。
「……おい。」
「なに?」
「そんなに力を込めるな。」
「え!? 痛かった!?」
「いや、そうではないが……
少し、離れろ。」
(これ以上は理性が持たん……)
「今、離れないって言ったじゃない!」
冬の静かな山の中に、二人の声だけがやわらかく響いた。




