表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

122/160

第122話 雨の誘い

「……惟成、なんだか疲れてない? 大丈夫?」


紗世が、そっと惟成の顔を覗き込んだ。


「ん? ああ。問題ない。」


「なら、いいけど……。」


あれから少将と侍従の兄弟は、三条を自分たちの僧坊へ呼び寄せようと、あの手この手を使い始めていた。


嘘をついて真砂と引き離し、三条がひとりになるよう仕向けたり。


若い僧に身分をかざし、三条に世話をさせろと脅したり。


今日は山門の脇に牛車を隠して停め、三条を無理やり乗せようとまでしていた。


そして今、その企てを事前に察した惟成が、牛車と御者を追い返したところだった。


「なに? 牛車が停まってたの? 誰か待ってたの?」


追い返されていく牛車を見送りながら、紗世が首を傾げる。


「今、臥せっている者の家からだった。回復したと思って迎えに来たらしい。だが、今は帰れる状態の患者などいないだろう?」


「少将様と侍従様なら、いつでも帰れるよ?」


「近衛大将家の牛車ではなかった。」


「うーん……じゃあ違うね。」


紗世は小さく唸ったあと、困ったように笑った。


「少将様も侍従様も、何かと私を呼ぶからなぁ……。やっぱり、まだ身体がおつらいのかな。」


(そんなわけがなかろう……!)


惟成はこめかみを押さえたくなるのを堪えた。


「重ね重ね言うが……」


「殿方の僧坊へは、絶対ひとりで行かない、でしょ?」


紗世が先回りして、にこっと笑う。


「……分かっているならいい。」


惟成が小さく息をついた、その時だった。


ばたばたと足音を立てて、一人の僧が駆け寄ってきた。


「三条殿! 新しく病人が運ばれて参りました! 高熱が出ているようです!」


「下痢や、嘔吐は?」


「そのような症状はなく……熱だけのようで」


「熱だけ……」


紗世の表情が、わずかに曇った。


「なんだ。何か引っかかるのか?」


惟成が低く尋ねる。


「うん……。今までの病人は、熱と一緒に下したり吐いたりしてたのに……今回は熱だけ……」


紗世は考え込むように視線を落とした。


(今までの患者と、症状が少し違う……。

原因が違うってこと?それともただ軽症ってだけとか……。

石清水八幡宮の水源、最初に穢された時と、二度目に穢された時で……発生したものが違うのかもしれない。)


「対処を変えた方がいいのか?」


「ううん。やること自体は変わらないよ。……たぶん。」


紗世は小さく首を振った。


「では、療養用の僧坊へお運びすればよろしいでしょうか?」


僧がおずおずと尋ねる。


「あ……」


紗世は一瞬考え込んだ。


(でも、もし違う病なら……分けた方がいいよね)


「できれば、今までの病人とは部屋を分けてほしいです。」


「かしこまりました。」


僧は深く頭を下げると、すぐに戻っていった。


「療養の部屋を増やすのか?」


「うん。病の種類が違うかもしれないから。」


惟成は静かに紗世を見つめた。


(紗世の動く場所が増えれば、それだけ隙も生まれる。

今まで以上に、あの二人を警戒せねばならんな……。)


小さく、息をつく。




───近衛少将と侍従の僧坊


「どうなっているのだ。」


少将が、苛立たしげに声を荒げた。


「三条が、まるでこちらへ来ぬではないか。」


「呼んでいた牛車も、回復した者はいないと返されたそうです。」


侍従も落ち着かない様子で言う。


「しかし兄上、どうなさるのです。そろそろ、ここに留まるのも限界では……。」


「もうよい。」


少将が低く吐き捨てた。


「僧だの下人だの……役に立たぬ者を頼ったのが間違いだった。」


「では、どうやって……」


少将はゆっくりと外へ目を向けた。


いつの間にか、空には重い雲が広がり始めている。


「もうじき、雨が降る。」


ぽつり、と呟く。


「天の恵みというものは……使いようだ。」


その口元が、ゆっくりと歪んだ。





紗世が、新たに運び込まれてくる病人のための部屋を整えていた時だった。


「──え? お部屋を移動?」


「はい。少将様と侍従様のお部屋なのですが、雨漏りがするとのことで……。

雨漏りのない、このお部屋の二つ隣へ移られてもよろしいでしょうか……?」


若い僧が困り顔で言った。


(確かに、このお寺も古いもんねぇ。あちこち傷んでるし。)


「お寺の方々に差し支えなければ、移動は構いませんよ。」


「ありがとうございます。それでは少将様方のお部屋を移動いたします。」


「はい。お願いします。」


ゴロゴロゴロ……


ピシャーーン!


雷が落ちた。


「きゃあっ!」


真砂が思わず身を縮める。


「真砂、大丈夫? 昔から雷、苦手だったもんね。」


「紗……三条はなぜ平気なのですか? あんな恐ろしい……」


ゴロゴロゴロ……ドォーン!


「きゃあああああっ!」


「真砂……今日はもうあまりやることもないし、少し部屋に戻って休んだら?」


「よ、よろしいのですか……?」


真砂は涙目で紗世を見上げた。


「うん。これから来る病人は、嘔吐も下痢もないみたいだから。できるのは飲み物を飲ませるのと、汗を拭くくらいだし。」


「で……では、お言葉に甘えて……」


真砂はビクビクしながら廊下を渡っていった。


「三条殿。」


呼ばれて振り返ると、惟成が立っていた。


「なあに?」


「新しく来る病人は男か? 容態は?」


「うん。殿方だって。今のところ本当に熱だけみたい。」


「そうか。ここは男だけになるな。……なら、女人の療養部屋か自室へ行け。この僧坊から離れろ。」


「わかってるよぉ。」


(心配性だなぁ。)


紗世は小さく笑う。


「何を笑っている。早く行け。」


惟成は眉をひそめ、紗世の背を軽く押した。


(さてと、新しい病人用の飲み物と石鹸、水桶は用意したし……。看病は僧の方々に任せても大丈夫かな。

この雨と雷じゃ帰るのも難しいし、お部屋で真砂と少し休もう。)


そんなことを考えながら廊下を渡っていると──


「あ、三条殿!」


僧に呼び止められ、足を止める。


「何でしょう?」


「先ほど少将様方から聞いたのですが、元いたお部屋の御簾の内側に、三条殿か真砂殿の櫛か簪のようなものが落ちていたそうで……」


「え……?」


(そんなもの、無くした覚えは……)


「少将様方が、雨漏りも酷い故、早めに取りに行った方が良いのではと仰っておりました。」


「そうですか……。分かりました。ありがとうございます。」


紗世は小さく頭を下げると、人の気配の消えた僧坊の一角へ、ぱたぱたと歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ