第116話 病の寺
惟成が陰陽頭を連れて寺門の前の牛車へ向かうと、そこには袿を頭から被った女房が二人、静かに待っていた。
惟成はちらりと御者へ目を向ける。
「まずは皆、牛車へお乗りください。」
「惟成殿も牛車に?珍しいね。いつもは馬なのに。」
陰陽頭は意外そうに声を上げながらも、先に牛車へ乗り込んだ。
「ええ、まあ……。
御者、車を出せ。」
惟成が外へ声を掛けると、牛車はゆっくりと動き出した。
「それで、どちらが三条殿かな。あと、もうお一人はどちらの女房殿で?」
陰陽頭は、目の前で扇をかざしている二人の女房へ声を掛けた。
すると──
「ふふっ。」
一人の女房が小さく肩を震わせた。
「? どうされました?」
陰陽頭が怪訝そうな顔をすると、その女房は扇を下ろし、頭から被っていた袿の中から顔をのぞかせた。
「お久しゅうございます。陰陽頭様。」
にっこりと微笑む紗世。
陰陽頭はぽかんと口を開けたまま、無言で惟成を見た。
惟成は呆れたような顔をしている。
そして陰陽頭は、もう一度紗世を見た。
「……こ、惟成殿。和泉殿に会いたい気持ちは分かるが……よくもまあ、こんなによく似た女房を見つけてきたねぇ……。」
「……頭に呪詛でも受けられましたか。」
惟成が無表情のまま返す。
「こ、惟成殿。辛辣すぎない……?」
「陰陽頭様、私です。和泉本人です。
それから、こちらは和泉国で私の身の回りを任せている女房の真砂です。」
真砂は軽く頭を下げ、紗世は苦笑しながら言った。
「え? 三条殿って和泉殿のこと?
何? どうして偽名? どうしてここに?」
「いつも人を食ったような余裕を見せている陰陽頭様でもこれだ。
ちゃんと最初から、すべて説明してもらうぞ。紗世。」
「人を食ったようなって……絶対、私のこと嫌いだよね?」
「ぎりぎり大丈夫だと言ったでしょう。」
「ええー……」
紗世は少しだけ肩を落としたあと、小さく息をついた。
「……じゃあ、最初から順を追って話すね。」
そう言って紗世は、和泉国で鷹丸と出会った時から、順を追って話し始めた。
───
すべてを話し終えると、惟成と陰陽頭は揃って真砂を見た。
「真砂殿……本当に気苦労が絶えなかったでしょう。」
陰陽頭がしみじみとした口調で言う。
「主人がこのようなお方では……心中、お察しする。」
惟成もため息混じりに続けた。
真砂は神妙な顔で、何度も頷いている。
「え? 話を聞いて最初の感想がそれなの!?」
紗世は心外だと言わんばかりに声を上げた。
「うーん……でもまあ、和泉殿の言うように病が“移る”ものだとすれば、辻褄は合う。」
陰陽頭は扇を口元に当てながら言った。
「以前、惟成殿にも話しただろう?
病であっても、呪詛の気配をまったく感じないものもあると。
では今、和泉殿はこれから向かう古寺で、加持祈祷を使わずに病人たちを診ているということかい?」
「治しているというより……これ以上悪くならないようにして、あとはその人自身の力で回復してもらっている、という感じでしょうか。」
「本当に、今まで倒れた者たちは良くなったのか?」
惟成が尋ねると、今度は真砂が答えた。
「ええ。姫様のおっしゃる通りにしていきましたら、病人は日に日に快方へ向かっております。亡くなった者もおりません。」
「ほう……それはすごいな。」
陰陽頭は目を見開いた。
「和泉殿、あとでその石鹸とやらと、甘酒と塩で作ったという体に良い飲み物を見せてもらえるかい?」
「はい。それは全然構いません。」
そう話しているうちに、牛車がゆっくりと止まった。
「古寺に着きました。」
御者が外から声を掛ける。
牛車を降りると、紗世は取次ぎ役の僧に何かを言い、僧はどこかに走って行った。
「どうした?」
惟成が聞くと
「ほら、惟成、穢れてるかもしれない水を被っちゃったでしょう?それを清める準備を整えて欲しいと伝えたの。」
「着替えるだけではないのか?」
「そういう訳にもいかないの。だから、もう少し我慢してね。」
そう言って紗世は懐から布を取り出し、惟成と陰陽頭へ手渡した。
「ここから先は、病が移るかもしれません。
この布で、こうして口と鼻を覆ってください。」
そう言って紗世は、自分の口と鼻を布で覆って見せた。
惟成と陰陽頭は、紗世に言われた通りに布をつけ、その後に続いて歩いた。
案内されたのは、とある僧坊の一角だった。
入口の前には小さな机が置かれ、その上には石鹸、水桶、手拭いが整然と並べられている。
「陰陽頭様、これが石鹸でございます。ここへ出入りする際は、必ずこの石鹸で手を清めていただいています。」
紗世は置かれていた石鹸を手に取り、陰陽頭へ差し出した。
「ほう、これが。して、どう使うのだい?」
紗世と真砂は、普段通りに石鹸の使い方を見せた。
陰陽頭は好奇心に満ちた目でそれを見つめ、そのまま自ら石鹸を手に取る。
「ほうほう……なるほど。油のような、ぬめりがあるが……」
水桶の水で何度か手をすすぎ、目の前へかざした。
「何やら、さっぱりした感じがするね。」
感心したように、手のひらをくるりと返して眺めている。
紗世は、その様子を見て胸の内でほっとしていた。
(陰陽頭様、やっぱり考え方に柔軟性のあるお方だなぁ。
石鹸もすぐ受け入れてくださるし……陰陽頭なのに、病には加持祈祷という考えにこだわっていらっしゃらないし。)
そう思いながら、紗世は小さく息をついた。
そして四人は、そのまま僧坊の中へ入っていった。
───
その中には、五人の病人が横たわっていた。
「こちらは殿方の区画でございます。女人の区画は、別の僧坊に分けてございます。」
真砂が手短に説明する。
奥には御簾が垂らされ、その内側には几帳も置かれているようだった。
「あちらの御簾の奥には、近衛大将様のご子息お二人が伏せておられます。」
そして御簾の手前には、若君たち同様に倒れた雑色二人と、使用人一人が横たわっていた。
「三条殿、真砂殿、お戻りだったのですね。」
看病をしていた若い僧が、紗世に歩み寄る。
「はい。戻りました。皆様の様子はいかがですか?」
紗世が尋ねると、若い僧は少し困ったように顔を曇らせた。
「手前の三名は、自力で食事ができるほどに回復しておりますが……その……奥の若君様方が……」
「近衛大将様のご子息様たちが?どうかなさったのですか?」
「苦しいから三条殿を呼べ……と。もしくは真砂殿でもよい、僧には触れさせるな、と仰せで……」
若い僧は、しどろもどろに答えた。
「え……具合が悪くなったのかもしれない……。見て参ります。」
紗世が慌てて御簾の方へ向かおうとした、その時だった。
「待て。」
惟成が、紗世の腕を掴んだ。
「え? 何……?」
紗世はきょとんと惟成を見上げる。
「お前が、直接看ているのか?」
「え? うん。状態を確かめなきゃいけないし……。
あ、でも普段は私と真砂は、女人の病人がいる僧坊の方を担当してるよ。」
「御簾の内へ入るのか……?」
「……そうしないと、様子が見られないでしょ。」
紗世がそう答えると、惟成はわずかに眉をひそめた。
「俺も一緒に行っていいか。」
低い声だった。
静かなのに、どこか怒気を含んでいる。
「いいけど……」
紗世は怪訝そうに首を傾げた。
(病人とはいえ、男と御簾の内に二人きりになるなんて……そりゃ気が気じゃないよねぇ。)
そのやり取りを後ろで見ていた陰陽頭は、呆れたように小さく苦笑した。




