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通路を開く前に、僕は、チビ勇者を振り返った。
「あのさ。
行く前に、君にひとつ、お願いしておきたいことがあるんだ。」
むしろ、そのために、僕は君に来てほしい、って思ったんだ。
なに?と見上げるチビ勇者に、僕はひとつ深呼吸をしてから、手を前に差し出した。
あの気配を探ると吐き気がする。
だけど、それは、絶対、絶対に忘れられない気配だった。
意識を集中すると、その手の中に、一振りの剣が現れた。
目を丸くして見ているチビ勇者に、僕はその剣を差し出した。
「これを。」
それは、あの勇者の剣だった。
一度は封印したはずだけど。
僕は今またそれを、喚び寄せていた。
チビ勇者は、差し出された剣から後退りした。
それから、僕を見上げて、激しく首を振った。
「早く取って。
吐きそうだから。」
僕はチビ勇者に剣を押し付けた。
チビ勇者は泣きそうになりながら、剣を受け取った。
剣を手から離すと、少しだけ、吐き気が収まった。
僕は深呼吸をひとつしてから、彼を見下ろした。
「もしも、僕がおかしくなったら、それで僕を斬って。」
チビ勇者は、さっきよりもっと激しく首を振った。
けれど、僕は、それに構わずに続けた。
「ほんの少し、傷をつけられればいい。
君の腕なら、それができるでしょう?」
チビ勇者はぼろぼろと涙を零して、また激しく首を振った。
涙の雫が、辺りに振り飛ばされた。
こんな姿を見て、かわいそうだ、と思わないわけないけど。
僕は心を鬼にした。
「約束してくれないなら、連れて行かない。」
僕は彼にむかって手を伸ばした。
この指先の動きひとつで、彼との間に壁を作れる。
何度もこれを使って、彼を遠ざけたんだ。
チビ勇者は、ぴたりと動きを止めた。
それから、僕を見上げた顔は、涙とも鼻水とも分からないくらいぐちゃぐちゃだった。
僕はちょっと苦笑して、伸ばした手の指を広げた。
そのまま彼の顔の前で、掌を拭くように動かした。
彼はちょっとびくっとしたけど、すぐに拒絶されるんじゃないと感じたのか、そのままじっとしていた。
ヘルバがよく、これやってたっけ。
汚れ、に見えるところに、分解の魔法をかける。
ぐちゃぐちゃに混じり合ったエエルを解きほぐし、個々のエエルに戻すと、汚れたところもきれいになった。
ヘルバはこれ、沐浴や洗濯の代わりにやってて。
よく、ピサンリに叱られていた。
分解してしまえば、もはや汚れじゃありません、とか言い返してたけど。
問答無用に、ピサンリに、服をむかれて、沐浴場に放り込まれてた。
楽しかったころの幻が、僕の心を少し優しくする。
あのころはまだ、世界の滅びは止まっていなくて。
毎日、それをなんとなしなくちゃ、って思い続けていたけど。
思い返せば、楽しかったような気がするんだ。
僕は、チビ勇者の前に膝をつくと、視線を合わせて懇願した。
「お願いだ。
僕を止められるのは、君しかいない。」
ほんのちょっとでいいんだ。
あの剣で僕を傷つけられれば。
あのとき、アルテミシアにつけられた傷も、ほんの少しだった。
治癒術をかければ、即完治する程度だったんだ。
だけど、その傷は、アルテミシアのからだを蝕んだ。
アマンに渡らなければ耐えられないほどにしてしまった。
以前、小刀で喉を突こうとしたとき、ほんのちょっぴりなら、傷をつけられた。
その傷はすぐに治ってしまったし、あれ以来、僕が僕を傷つけようとしたら、僕の周りには見えない壁ができたみたいに、刃はまったく通らなくなってしまったけど。
だけど、チビ勇者の腕なら。
そして、あの剣なら。
きっと、うまくいくと思うんだ。
僕を滅ぼすことも。
「もちろん、償いを放り出して逃げたいわけじゃないよ。
だけど、これ以上の不幸を増やしてしまうくらいなら。
そこで、断ち切ってほしい。」
償いきらないうちに、償う相手ばかり増えていくのじゃ、お話しにならないでしょ?
チビ勇者は、必死に涙を堪えるみたいに、唇をきゅっと噛んでいた。
それでも堪えきれなかった涙は、ぽたぽたと落ちていた。
「ねえ、お願い。
あの僕は、僕じゃないんだ。」
大勢の人を、片手の一振りで消滅させるあれは。僕じゃない。
と思いたい。
「僕を護るのが、君の償いなんでしょう?
だったら、僕を護って。
僕が僕であることを護って。
そして、終わりにして。」
涙を止める魔法、ってのは、ないのかな。
僕は、チビ勇者に笑いかけてみたけど。
チビ勇者は、もっと、ぽろぽろに泣いてしまった。
思い余った僕は、チビ勇者の頭を抱き寄せた。
あったかくて、ひなたくさくって、ちょっと湿っている。
このぬくもりを、とてもとても、大切なものに思った。
これが、人の温かさだ。
ひとりひとり、みんな、こんなふうにあったかいんだ。
「お願い、約束して。
これだけは。
僕が僕であるうちに。」
なんだっけ。これ。
もらい泣き?
声が震える。
君がそんなにぼろぼろに泣くから、僕も泣いてしまったじゃないか。
抱きしめたチビ勇者の頭が、小さく、こくり、と頷くのを感じた。
僕は彼を抱きしめたまま、その背中を優しく撫でた。
「ごめんね?
君には、意地悪ばっか言ってる。
ごめん。
本当、ごめん。」
償い、という君の気持ちを利用して、僕は、君に無理難題を押し付ける。
けれど、そんなことをしてまでも、僕は、もうこれ以上の悲劇だけは、防ぎたいんだ。
僕を恨んで?
憎んでもいい。
そう言ってみても、君は、償いだと言い続けるだろうけれど。
「僕だって、そうなることを望んじゃいない。
そうなれば、償いから逃げることになるし。」
こうして小さなからだで堪えている彼を見ると、償いから逃げないことは強さだと思う。
そして、それは、僕も見習わなくちゃって思う。
彼は剣を投げ出して、僕の背中に手を回した。
ちっちゃな彼の手は、僕をぎゅっと抱きしめた。
それから、しばらく、チビ勇者は、声を上げて、泣いた。




