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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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いつか森に帰る。

そう思うことが、そのころの僕を保っていた。

戦いのことも。人が消えたことも。

僕はあえて考えないようにしていた。


少しずつ、僕は、寝台から出られるようになったけど。

まだ、この家から出るのは恐ろしかった。

森の泉は、とても居心地のいい場所だったけど。

初めて、あの波動を感じたのが、あの場所だったのが、どうしても頭から離れなくて。

あそこへ行けば、また、あの波動を感じるんじゃないかって、思えて。

僕は、どうしてもそこへ行くことができなかった。


それでも、ここに滞在する人たちの飲み水は、あの泉の水だった。

誰かが、毎日、大きな甕一杯の水を、そこから運んでくれてるんだ。

あの水は、ここにいる人たちの命を支える大切な水だった。


もう少し回復すると、僕は、家の前に椅子を出してもらって、そこにぼんやり一日座っているようになった。

風の音。鳥の声。ときどき通りかかる虫たち。

ここを取り囲む森は、とても優しい。

そして、僕の周りにいる人たちも、その森みたいに優しかった。

その優しさにもたれかかるように、僕は暮らした。


情けない、とか、頑張ろう、とか、そういう気持ちを完全に忘れてしまったわけじゃないけど。

そうやって、無理した結果があれだから。

だから、今は、あんまり頑張ろうとも思えなかった。

情けない、とは思うんだけど。

それも仕方ない、というか。

諦め、というものを、僕は、ずっと前から知っていたと思っていたけれど。

ようやくそれを、ちゃんと覚えた、って感じ。


元気のない僕に、世界は優しい。

こんな僕、いないほうがいいと思っていても。

周りは、僕に、ここにいることを許してくれている。


小春日和の朝。

ちらちらと差し込む木漏れ日を浴びて。

風の匂い。木の葉の音。そういうものだけを感じていて。

ぼんやりしていたら、あっという間に一日は過ぎた。


穏やかに流れる時間のなか、僕は周りにいつも、エエルの気配を感じていた。

彼らはいつも楽し気に鼻歌を歌っていて、それがちょうどいい子守歌になる。

うたた寝をしていると、エエルが巫山戯て、ほっぺたを突いたり、髪を軽く引っ張ったりする。

目を開けると、くすくす笑う声が聞こえた。


まったく、かまってほしんだか。

ほっといてほしいんだか。

気紛れなエエルたちは、よく分からない。


彼らはとても自由だ。

縛られたり強制されたりしたくない。

だけど、ほうっておかれるのも、気に入らない。

知らん顔してると、寄ってきて、悪戯するんだ。


だけど、そのエエルたちは、僕らの世界を造っている。

僕らは、その気紛れなエエルたちの創る世界に生きている。


僕らも、みんな元はそのエエルからできているから。

こんなに気紛れで、思い通りにいかないのも、そのせいかもしれない。


そんなふうに暮らしながら、僕は、それでも少しずつ、考えることを思い出した。

僕が、たくさんの人を消滅させてしまったのは、事実。

それは、なかったことにはできない。


僕は、こんなふうに穏やかに暮らす資格はないんだ。


逃げて、うずくまって、知らん顔して、生きていくわけにはいかない。


じゃあ、何をしよう。

何をすればいいんだろう。


分からないけれど。

分からないなら、尋ねてみよう。

誰かに教えを乞おう。


居心地のいい椅子から立ち上って、僕は、背伸びをした。

よし。からだも動く。

泉の水は、僕のからだをずっと護っていてくれた。


「ねえ。そこにいるよね?」


僕はチビ勇者に呼びかけた。

彼は、いつも、僕の視界に入らないところにいて、まだずっと剣術の修行を続けていた。


はい、と答える声がして、次の瞬間には、僕の前に膝をつく彼がいる。

また動きが素早くなったみたいだ。


僕は、彼の真似をして、彼の前に膝をついた。

彼はびっくりしたみたいに僕を見る。

その手を取って、僕は、彼の目を覗き込んだ。


「ねえ、君のこと、これから、お師匠様、って呼んでいい?」


「それは…ちょっと…」


戸惑うように視線を揺らし、そのまま口ごもる。

彼はいつも、なんだって、僕のお願いを聞いてくれるし、ダメだなんて言ったこともない。

少々無茶なお願いをしても、いつも黙って、叶えてくれていた。


「…どうして、僕が、あなたの師匠に?」


そう尋ねるのが、彼の精一杯の抵抗だった。


「僕は、罪を犯した。

 許されない罪を。

 これからその罪を償わなくちゃいけない。

 それって、君も、ずっとそうしてきたでしょう?」


だから、お師匠様、って言ったら、少しイヤそうな顔をした。


「何をしたのかは知らないけど。

 あなたの罪と、僕の罪とは比べられないよ。」


「うん。

 僕の罪は、とっても重い。

 多分、君のしたことより、ずっと。」


そう言ったら、彼は、目を丸くした。


「いったい、何をしたんだ?」


僕はちょっと口を閉じた。

それから、心を決めて、彼にすべてを告白した。


彼は黙って話しを聞いて、それから、むぅ、と唸った。


「…分かった。

 けど、やっぱり、師匠、ってのは困る。

 そういうのは、なんか違う。」


「か、なあ…」


剣術とか、何かの技なら、師匠と呼ぶのもいいけど。

罪を償う師匠、ってのは、確かに何か違う。


「先輩?先達?」


「それも違う。

 だけど、君の言いたいことは、なんとなく、分かる。

 君はその償いをしたい、って思っているんだよね?

 だけど、何をしたらいいか分からない。

 だったら、それを探しに行こう。

 僕は、君についていく。」


僕は、彼の目をじっと見た。

何度見ても、清んだ目をしている。


「ごめん。

 僕は、君のこと、ずっと嫌いだ、って言い続けているのに。」


こんなことにつき合わせるなんて、図々しいよね。


そうしたら、彼は、ちらっとだけ笑った。


「あなたに嫌われることも、僕にとっての償いのひとつだから。」


なんだろう。

僕はやっぱり、こっそり彼のことを、心の中で、師匠だと思うことにした。







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