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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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これは、ルクスの作戦だったんだろうか。

いや、それとも、アルテミシアの作戦か?

とにかく、僕は、僕の周りに作った壁の魔法を、解いていた。


真っ先に駆け寄ってきたのは、チビ勇者だった。

僕は、反射的に、ちょっとからだが固くなったけど。

チビ勇者は、構わずに、僕に抱きついた。


僕にはもう、はねのける元気も、拒絶する気力もなかった。

ただ、僕の魔法も、もう、チビ勇者を傷つけることはなかった。


「…僕、濡れてるから。

 そんなにくっついたら、君も濡れてしまうよ。」


最後に小さく小さく残った抵抗で、僕はそう呟いた。

だけど、チビ勇者は、聞いていたのかいないのか、ますますぎゅっと僕に抱きついた。


そのとき、ふわり、と風が動いた。

あたたかくて、やわらかい風だった。

誰かが吹かせてくれたのかな、って思ったけど。

この魔法は、僕の魔法の気配だった。


僕の周りの暴れて荒れ狂っていた魔法たちは。

びっくりするくらい、穏やかな、優しい魔法に変わっていた。

いったい、何が起こったんだろう、って、僕自身、不思議に思うくらいだった。


チビ勇者の次に、ルクスが駆け寄ってきて、チビ勇者ごと、僕をぎゅっと抱きしめた。

背は僕のほうがあるんだけど。

ルクスの胸は、僕より大きく、広くて、あたたかかった。

その腕は、強くて安心する力で、僕らを抱きしめてくれていた。


もう、いいや。

このあたたかさと、安心する居場所は。

他の何にも、代え難い。

余計なことをいろいろと考えて、これを失うようなことは、したくないと思った。


「…心配かけて、ごめん。」


僕が謝ったら、ルクスは、ばーか、と笑って言った。


「ったく。

 お前は考え過ぎだ。」


ルクスは僕の額を、指で突いた。


「そうして、悪い方へ悪い方へ考えてしまうのは、お前の悪い癖だ。」


…それなんか、アルテミシアにも言われたよ。


「お前は、悪いことは、なにもしていない。

 誰も、お前のことを、悪いなんて思っちゃいない。」


………なんか、立て続けに、同じこと、言われてる気がする。


「お話し中、失礼します。」


遠慮がちにそう声をかけたのは、あの、いつか、僕に獣の肉を持ってきてくれた人だった。


「お水を。お飲みください。」


彼の捧げ持つお盆には、水の入ったカップがひとつ、のせられていた。


その水は、きらきらと輝いているように見えた。

あの薬の水だ。

僕は、お礼を言えたかどうかも分からないくらい無我夢中に、カップを取った。


一口、唇に触れた途端に、もう、止まらない。

貪るように、喉を鳴らして、一気に飲み干してしまう。

あっという間に、カップはからになって、まだ全然、飲んだ気もしないのに、と僕は、思わずカップの底が抜けてるんじゃないかと、覗き込んで確かめた。


「お代わりも。こちらに。」


そんな僕の目の前に、ずいっと差し出されたのは、あの水が並々と入った水差しだった。


ぅわぉ。


思わず歓びの声を上げてしまう。

何人かが、たまりかねたみたいに、くすくす笑ってるけど。

そんなの、構っていられなかった。


僕は、カップに注いでもらうのももどかしくて、水差しのほうへ手を伸ばした。

本当は、直接水差しに口をつけて飲んでしまいたいけど、流石にそれは、お行儀が悪いと堪える。

だけど、僕の腕の力は、大きな水差しを使うには少し足りなくて、僕の手は、小さくぷるぷる震えた。


「おい。こっちへ寄越せ。」


ルクスはそう言って僕の手から水差しを奪うと、手際よく僕のカップに水を注いでくれた。

もたもたと焦るばかりで下手くそな僕より、百倍早い。

もったいなくてこぼしたくないって思うもんだから、余計に、もたつくんだ。


「ゆっくり飲め。」


そんなこと、言われてもさあ?

僕は、ちらりとルクスを見たけど、にやりと笑うその笑顔に、さんざん迷惑をかけたことを思い出して、せめて、少しくらい、ちゃんと言うことを聞こうと思った。


こくり。こくり。

喉を通った水は、胸からお腹、そして、からだの隅々に行き渡る。

なんて、素晴らしい。

他の物はいらないから。

この水を、何杯も何杯も飲みたい。


僕がカップを飲み干す度に、ルクスはすかさず、カップを満たしてくれた。

だから、僕は、何杯も何杯も、水を飲むことができた。

多分、僕自身が、水を注ぐより、ルクスの手を借りたほうが、ずっと早くたくさん、水を飲めたんだと思う。


水差しはあっという間にからになったけど、もう次の水差しも用意されていた。

いったい、誰が、こんな親切なことをしてくれてるんだろう。

ちらっと不思議に思ったけど、その考えを続けるより、次の水を飲んだ。

そうして、水を飲むと、もう、僕の中には、おいしい、と、幸せ、以外のものが、なくなってしまった。


どのくらい水を飲みほしたのか分からない。

もしかしたら、壺一杯くらい、飲んじゃったかもしれない。

誰も止めなかったし、叱られもしなかった。

僕はだから、好きなだけ、水を飲んだ。


ようやく、人心地ついて、辺りの様子を見る余裕を取り戻した。

きょろきょろと見回したら、ルクスとチビ勇者以外の人は、もう誰もいなかった。


「あれ?」


さっきまで、もっと大勢いたと思ったんだけど。


「気が済んだか?」


ルクスは、僕の手に持ったカップにもう一度水を満たして言った。

僕はもうそれは一気に飲み干さずに、ゆっくりと口に含んだ。


「うん。

 あんまり美味しくて、止まらなかった。」


こうして味わうと、また、美味しいんだよねえ。

あんなに焦って飲むなんて、もったいなかったかな。

だけど、止まらなかったしさあ。


ルクスはそんな僕に、ちらっと笑った。


「この水は、オルニスが、郷に元々あった泉に、泉の種、を撒いたものなんだと。

 それ以来、その泉の水は、薬の水になったそうだ。」


「オルニスが?」


そうか。

この水は、昔、ヘルバの泉に湧いていたのと、同じ水なんだ。

だから、こんなに美味しかったのか。


「オルニスはそんなふうに、あちこちの泉を薬の水に変えていってるんだそうだ。」


そうだったんだ。


僕は、僕の命を助けてくれた水をまじまじと見つめた。

これは、オルニスの作ってくれた水なんだ。


オルニス、アルテミシア、ルクス、チビ勇者、第四の民の人たち…、それから、それから、もっともっと、いろんな、たくさんの人々…


僕はその人たちに、生かしてもらってるんだな、って思った。

泉を守っている人たち、水を運んでくれた人たち、水を入れる壺を作ってくれる人にだって…

僕は、有難うを言わなくちゃいけない。

そもそも、最初の泉を作ったのは、ヘルバと絆の木だし、大精霊だって、きっと、なにかしてくれてるだろうし、いやいや、アマンの精霊たちも…

有難うを言う相手を考えてたら、次々ときりなく拡がって、そのうち、この世界と、アマンの世界のすべてに、有難う、ってなった。


ふわり。


僕の内側から溢れてきたのは、なんだろう?

あたたかくて、優しい光。

きっと、これは、水の力が、僕の中から溢れてきたんだ。


優しい風のように、そよそよと、光は流れて、世界へと行き渡っていった。

ほんのひとときの。ほんのささやかな。

だけど、誰もが、たった今のこの瞬間。幸せを感じていますように。

風は、僕の願いを、どこまでも運んでいった。








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