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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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ルクスは僕に会いにきてくれた。

多分、ルクスにしては、最速で。

いろいろと無理もしたと思う。


壁のむこうに、ぼんやりとその姿が見えた。

何かを叫んでいる。

僕に何か、伝えたいことがあるんだろうか。


だけど、僕は壁を解かなかった。


ごめん。

僕にはもう、君に伝えることはない。

そして、君から伝えてもらうことも、もうないんだ。


どのみち僕は役立たず。

何をしても失敗する。

だからもう、何もしないのがいい。

それが、僕にできる、一番いい、こと。


壁の中には風が動かないから。

僕はいつまで経っても、濡れそぼったままだった。

冷たい。

このままじゃ、風邪をひく、って、アルテミシアがいたら叱られそうだけど。

いや、アルテミシアじゃなくったって、言うか。


ルクスも、そのうちに、諦めて帰って行った。

しょんぼりと落としたその肩に、つきり、と胸が痛む。

だけど、これが一番いいんだ、と自分に言い聞かせて、僕は、そこから目を逸らせた。


それから、どのくらい時間が経ったんだろう。


ぼんやりと眺めていたら、ぞろぞろと第四の民がやってきて、壁をぐるっと取り囲んだ。

顔とか表情は分からないけど、みんなこっちをむいて、並んでいる。

そうして、彼らは両手をつなぎ、輪を作った。


いったい、なにを始める気なんだろう…


強い、力の波を感じた。

それが、周りから、押し寄せてきた。

まるで、冬が一気に春になるみたいな。

温かくて、強くて、眩しくて、絶対的に抗えないような力だった。


すると、ぼんやりとだけど周りの見えていた壁が、一斉に、真っ白くなった。

それから、次の瞬間、それは、青くなった。

それは、何千何百という、青い鳥の背中だった。


青い鳥は、確か、百羽しかいないはずなのに。

いったい、これだけの青い鳥を、どうしたんだろう。


ぼんやりとそんなことを思っていたら、また、くるっと、青い鳥は、一斉にお腹のほうを見せて、周りの壁は白くなった。


「………そんなところに閉じこもって、どうしたの?」


聞こえてきた、懐かしい声。


ゆらゆらと、白い壁に、人の姿が現れる。


思わず息を呑んだ。

アルテミシア?


………いや、そんなはずはない。


「やめてよ!いっちゃん!」


僕は思わず叫んだ。

これは、あれだ。

ブブを出したのと同じやり方。


今の僕に一番必要な人の幻を出す、青い鳥の魔法だ。


そうしたら、壁に映ったアルテミシアが、ちらっと笑った。


「このあたしが出てるってことはさ、今、あたしは、もう、そこにはいないんだね?」


…そうだよ。


「ごめん。

 君のことだから、落ち込んだだろう?」


当然じゃないか。


「だからさ!

 もう、それ、やめて!って!」


金切声で叫ぶ僕を、幻のアルテミシアは、悲しい目をして見つめている。

それは、もう、アルテミシアそのものだった。


「………やめて、いっちゃん………」


ブブのときには、すぐにやめてくれたのに。

このアルテミシアは、こんなに頼んでも、消えてくれなかった。


「いつか、必要なときに、この魔法を起動するように、頼んでおいたけど。

 起動することがなければいい、って、そう願ってもいたよ。」


アルテミシアはいかにもアルテミシアらしい落ち着いた話し方で続けた。

それはもう、アルテミシアそのものだから、僕だって、いつまでも抵抗し続けてはいられなかった。

だって、アルテミシアだもの。

夢でいいから会いたいって思ってたんだもの。

夢、とはちょっと違うけど。

こんなにはっきり目の前にいて、僕をじっと見つめて話しかけてくれるのに。

あっち行け、なんて、思えないんだよ。


「これはね、あたしの声と姿の記録。

 だからさ、少しばかり、今の状況と違う~、ちょっと言ってることずれてる~、ってこともあるかもだけど。

 そこは、ご容赦くださいね?」


そっか。

そんなものを用意しておく辺りが、用意周到なアルテミシアらしい、というか。

たとえ用意周到なアルテミシアだとしても、こんなもの、用意しておいてほしくなかったけど。

それでも、やっぱり、アルテミシアの姿と声に、僕は貪るように、集中した。


この魔法は、いわば、アルテミシアの置手紙。

届かないことを祈って書いた手紙。


それなのに、拒むことなんか、できるわけない。


僕は、ゆっくりと顔を上げた。

目に映ったアルテミシアは、ちょっと淋しそうに、けど、とても優しく微笑んでいる。

淋しいと優しいを共存させるなんて、なかなかできない技だ。

だけど、その笑顔を、僕は世界一、きれいだと思った。


「アルテミシアは、僕に、何を伝えたかったの?」


もしも、アルテミシアが何か伝えたいことがあったのなら。

僕は、ちゃんと話しを聞こうと思った。


「とりたてて、なに、ってわけじゃないんだ。」


アルテミシアは、小さく笑った。


「君に伝えないといけないことは、ずっとずっと伝えてきたから。

 もう今さら、新しく言うことなんか、何もないよ。」


…なんだよ。

何か、特別なことを言ってくれるのかも、ってちょっと期待したのに。


「とか言ったら、ちょっと、拗ねた?」


アルテミシアは、くすくすと肩をすくめて笑った。


やだなあ、もう。


「だけど、本当のことだよ。

 大事なことなんて、そんなにたくさんはないんだ。

 だから、もうそんなの、とっくに君には伝えてあるんだよ。」


「………。」


「だけどさ。

 君は、忘れんぼさんだから。

 だから、もう一度だけ、ちゃんと言っておこう、って思って。」


アルテミシアは、真面目な顔に戻って、少し背筋を伸ばした。


「いいかい?

 何でも、自分が悪い、自分のせいだ、って思い込むのは、君の悪い癖だ。

 心配しなくても、世界は君を中心に回ってるわけじゃない。

 思うほど、君は、世界を良くも悪くもしていない。

 だから、大丈夫だ。」


………確かに。


僕は、目が点になった。


それは、その通りだ。


「それから、これだけは忘れないで。

 誰が何を言おうと。世界がどんなふうに変わろうと。

 あたしは、君のことを大切に思ってる。

 どこにいても。

 世界の果てだろうと、アマンだろうと。

 いつも、君に、心を送るよ。

 君のこと、とても、大事なんだよ。

 君がもし、あたしのことを、少しでも好きだと思ってくれてるなら。

 そのあたしの大切な君のことを、君も大切にして。」


う。


やだもう。泣かそうったって、そんなの、うまくいかないんだからね?


僕は必死に心の中でそう繰り返しながら、ぽろぽろ、ぽろぽろと、涙を零していた。








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