535
僕はうとうとしては目を覚まし、水を飲んではまたうとうとする、しばらくはそんな感じだった。
薬の泉の水は、文字通り僕を生かしてくれた。
数日の間、僕は、その水しか飲んでなかったけれど、からだは、少しずつ、回復していった。
目を覚ますたびに、チビ勇者はすぐ近くにいて、僕は何度も、僕のことはもう放っておいてほしい、って頼んだんだけど、それだけは、聞いてもらえなかった。
まったく、困った頑固者だ。
そのうちに、目を覚ます場所が、毎回、変わっていることに気付いた。
何回かは、馬車の中らしき場所で目を覚ましたこともあった。
どうやら、僕は、眠っている間に、僕の意志とは関係なく、移動させられているらしい。
それは、おそらくは、ルクスがそうさせているんだろうけど。
どこへ、何のために、移動させられているのかは分からなかった。
あれから、何度か、ルクスも会いにきてくれた。
ただ、僕はいつも、ぼんやりしていて、あまり話しはできなかった。
ルクスは僕に、からだの具合はどうか、何か食べたいものはないか、と尋ねてくれたけれど。
そのころの僕は、あの水さえあれば、あとは、ただひたすらに、眠りだけを必要としていた。
うとうととした眠りの中で、僕は、奇妙な夢をたくさん見た。
世界の真理にはっとすることもあれば、どうすることもできない事実に、絶望することもあった。
懐かしい幸せに満たされることもあれば、何もかも奪われて、孤独に泣き叫ぶこともあった。
ただ、目を覚ますとき、僕の中に残っているのは、幸福感や、絶望の残り香だけ。
夢の内容は、いつも忘れてしまっていた。
なにか、とても大切なことを、あの夢は僕に教えてくれてたんだと思う。
いや、もしかしたら、それはもう全部、僕の中にあって、忘れてしまっていたのを、思い出していただけかもしれないけど。
ただし、その記憶は、目を覚ましている僕には与えられなかった。
僕は、この僕の命のなかで、経験したことだけを、この手の中に持っていた。
後から思えば、それは、僕が、ゆっくりと作り変えられていた時間だった。
いや、もしかしたら、元に還っていっただけ、なのかもしれないけれど。
僕の寝かされている部屋は、いつもとても静かだった。
ここは本陣だと聞かされていたけれど。
鎧や武器の触れ合う音や、戦いにむかう人たちの熱気のようなものも、一切感じない。
それどころか、周囲には人の気配すら、まったくなかった。
少しずつだけれど、目を覚ましている間は、またはっきりと物を考えられるようになっていった。
目を覚ましていられる時間は、それほど長くはないけれど。
前に考えたことの続きも、思い出して考えられるようになっていった。
チビ勇者は、どう言っても、僕の傍にいるみたいだから。
僕も諦めて、その代わりに、目を覚ましている間の話し相手になってもらうことにした。
チビ勇者は、あまり話してはいけない、って、いろいろ言い含められていたみたいだけど。
そこは子どもだからか、それとも、元々そういう性格なのか、少し聞き方を変えて尋ねたら、ぽろぽろと本当のことを話してしまった。
断片的な情報を繋げて、僕は、とうとう、第四の民の部隊が、進軍を始めたことに気付いた。
僕もその移動に一緒に連れて行かれているのだと思った。
戦いは嫌だ。
ルクスも確かにそう言っていたのに。
やっぱり、それは避けられないんだろうか。
大勢の人が同時に移動するのは、とてつもない時間と労力を要するらしい。
だから、進軍は、とてもとてもゆっくりだった。
ただ、第四の民なら、魔法通路を開けば、あっという間に長い距離も移動してしまえるはずなのに。
わざとそれをやらないのは、前に聞いた策をまだ捨ててはいないからかもしれない。
だけど。交渉は決裂した。
王は完全に、聞く耳を塞いだ。
それは、僕のせいだ。
周りの人たちは、研究院での僕の所業を、なるべく話さないようにしていたけれど。
人の好いチビ勇者が、ぽろりぽろりと、うっかり零す言葉を繋いだら、なんとなく、状況は分かってきた。
あのとき。
狂ったようにけたたましく笑いながら、僕は、風を操り、王を翻弄した。
王が意識を失っても、僕は、それをやめなかった。
その僕の姿は、味方であっても、恐ろしかったそうだ。
「じゃあ、君たちも、ただ呆然と、僕を見ていたってわけ?」
「…どうしていいか、分からなかったから。
だけど、あのままじゃ、あなたにとっても、よくないんじゃないか、って、すごく思った。」
「殴って気を失わせる、とかしたらよかったんじゃない?」
「そんな乱暴なことは、できないよ。」
チビ勇者は大真面目に首を振った。
「あなたは、特にからだを鍛えているわけじゃない。
うっかり殴ったりしたら、骨の一本や二本、折れてしまいそうだ。
いや、殴らなくったって、ちょっと手を当てただけでも、折れちゃいそうなのに。」
僕って、そんなに弱そうに見える?
まあ、からだを鍛えてない、ってのは事実だけれど。
「僕らじゃ、あなたのことを、怪我させないように、意識だけ失わせる、なんてこと、到底できなかったんだ。」
「緊急事態だもの。
ちょっとくらい怪我してもいいんじゃない?」
「………たださ。」
チビ勇者は、目を伏せて続けた。
「なんだか、すっきりしたんだ。
あなたが、笑いながら、王を躍らせ続けているのを見て。」
恥じ入るような小さな声で、チビ勇者は告白した。
「もしかしたら、だけど。
みんな、それは、同じだった、かもしれない。
だから、誰も、止めなかった、のかもしれない。
それは、もしかしたら、あなたに負担をかけるかもしれない、って、心の中では思っていたのに。」
ごめんなさい、とチビ勇者は、言った。
僕は、ちょっと、ため息を吐いた。
それから、チビ勇者から目を逸らして言った。
「謝ることないよ。
僕だって、思うもの。
あの王は、ちょっとくらい困らせてやりたい、って。」
いや、ちょっとくらい、ってのは、ずいぶん、控え目な表現だ。
実際には、けっこう、かなり、困らせてやりたい、って思う。
だけど、そういう自分の中の気持ちを、正直に話すのは、どこか恥ずかしい気もして。
僕にそれを告白したチビ勇者は、偉いなって思った。
「だけど、結局、僕は、気を失ったんだよね。」
大きな魔法を使うと、力を使い果たして、僕はよく気を失う。
それは何度も経験したことだったけど。
あのときのは、少し違っていたように思う。
チビ勇者は、そうなんだ、と身を乗りだした。
「あのときは、いっちゃんが、助けてくれた。
君の目の前で、ぴかーって光って、そうしたら、君は一瞬で気を失ってた。」
そうだったんだ。
「マスイコウ、とか、言ってたかな。
研究院の人たちって、眠るのも忘れて研究に没頭するから。
休めって言っても聞かない人たちには、ときどき、この光を浴びせて、無理やり寝かせるんだ、って。」
麻酔光?
青い鳥はそんなものも使えるのか。
「サイシュウシュダン、なんだって。」
最終手段、を使われたわけね。僕は。
「そんな便利なものがあるなら、さっさと王に使ってくれたらよかったのに。」
まあ、煙の魔人を完全に封じておかないとだったし。
それには、青い鳥の光より、僕の風のほうが、可能性は高かった?
だけど、僕が魔法を使わなければ、あんなふうに暴走することもなかったかもしれない。
まあ、今さら言っても仕方ないけど。
「マスイコウ、を使うと、しばらくの間、箱の中に戻らなくちゃならなくなるんだ、って。
だから、使いたくなかったんだ、って。」
「箱の中に戻っちゃったのに、君は誰からそれを聞いたの?」
「きゅうちゃん。」
あ。そっか。
あそこには、きゅうちゃんもいたっけ。
「なら、なおのこと、二羽もいるんだし、使えばよかったじゃないか。」
恨み言、言いそうだけどさ。
多分。だけど。
僕の暴走を、青い鳥は、予測していなかった。
だから、あれは、緊急事態で、最終手段、を使うしかなかった。
そういうこと、だと思う。
僕は、ちらりとチビ勇者を見た。
あの、チビ勇者が、眠っている間も、ずっと僕を見つめていたのは。
もしかしたら、僕のからだを心配していただけじゃなくて。
狂暴な僕が目を覚ますのを警戒して、見張っていたのかもしれない。
僕は、いったい何に、なってしまったんだろう。
冷たい風が、僕のなかに、くるりと丸まって、そのままそこに留まっているような、そんな感じがした。




