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目を閉じて両手を合わせた大精霊の姿は光を放っていた。
最初、その光は、淡く優しかった。
けれど、それは次第に強く、眩しくなっていく。
「そうだ、大切なことを忘れていました!」
光の中から、突然、彼女の声がした。
ええっ?なになに?
この期に及んで、なにか、忘れ物?
ええっ、どうしよう?
それって、今からでも、間に合う?
おろおろ、おたおたと、僕はその辺を歩き回る。
ええっ、どうしようどうしよう、どうしたらいい?と口走っていた気もする。
「落ち着いてください。お兄さま。」
彼女は落ち着き払って言った。
「君は、もうちょっと、焦らなくていいの?」
反射的にそう返した。
いや、そんなこと言ってる場合じゃないよね?
「忘れた?
なに、忘れた?」
それを早くなんとかしないと。
って、なんとかなることならいいんだけど。
彼女は腹が立つくらい、さらりと言った。
「わたくしをこの世界に繋ぎ留める楔。
お兄さまにそうなっていただかなくては。」
はいぃ?
「なんで、そんな大事なこと、忘れてるのっ?!」
なんかそれって、めちゃくちゃ、重要そうじゃないか!
「うふふ。
それはもう、人になることが楽しみ過ぎて。」
じゃ、ないよね?
楽しみ過ぎるとか、ピクニックに行く前の日の子どもじゃないんだから!
だけど、お弁当忘れるとか、そういうレベルの話しじゃないよ?
って、子どもにとっちゃ、ピクニックにお弁当忘れるとか、一大事だけど。
い、いやいやいや、今は、ピクニックもお弁当も、関係ないって!
ピクニックは忘れろ。落ち着け。僕………
「楔?とか、どうやってなるの?
えっ、僕、分からないよ?」
儀式とか魔法とか呪文とか、全然、間に合わないよ?
どうするの?
おたおたする僕が面白いのか、彼女はころころと笑った。
「大丈夫です。
とても、簡単ですから。
お兄さま、わたくしに、名を与えてください。」
「なまえっ?」
「ええ。そうです。
この世界の存在となるわたくしに。名を。」
それなら、なんとかなる…かな?
いや、だけど、そういうのも、前もって言っておいてもらわないと、いきなり対応するとか難しい…
僕は呪文みたいに繰り返した。
「名前…名前…」
そのとき、何故か、僕の頭の中に、ひょいっと、その音が浮かんだ。
何か考えたわけじゃない。
それはまるで、前からその答えがあった、みたいに。
ごくごく自然に。当然に。ぽっかりと浮かんだんだ。
「…マリエ…」
僕は何も考えずに、それを呟いた。
「まあ、素敵。」
光の塊の中に、彼女が両手を合わせて喜ぶ姿が見えた気がした。
「すてき?
…そう、素敵、なら、よかった……」
けれども、それっきり、彼女はもう、何も言わなかった。
僕の目の前で、彼女の光は、ますます強くなっていく。
そうして、真っ直ぐには見られないほどに眩しくなった瞬間。
それは、突然、消えていた。
ええっ?
大精霊は、人になったの?
だけど、どうして、消えてしまったんだ?
初めてアルボルが僕の目の前で人になったとき。
人の姿の幼子になって、そこに立っていた。
だからきっと、大精霊もそうなるんだろう、って思ってたのに。
大精霊は消えてしまったんだ。
もしかして、僕はまた、何か間違えた?
何がいけなかったんだろう。
大精霊の人化は、失敗したのか?
僕の目の中には、光の残像だけ、残っていた。
はっきりと見えない中を、僕は彼女の姿を探して、きょろきょろと見回した。
けれど、そこにあるのは、光の残像だけだった。
彼女は僕の目の中に青い影だけ残して、消えてしまっていた。
………いったい、なんだったの………?
僕はへなへなとその場にへたりこんだ。
もしかしたら、すべては夢だったんじゃないか、って思った。
確かに、僕の目に残るこの残像は、彼女がここにいた証だけど。
どうせすぐに消えてしまう、こんな不確かなものしか、それを証明するものはない。
世界の滅びも。
白枯虫も。
出会った仲間たちも。
失ったものも。
そして、大精霊も。
全部全部、ただの夢で、もうじき僕は、住み慣れた郷の家の寝台で目を覚ます。
そうしたら、夢のことなんか全部忘れてしまって、また平穏な一日を始めるんだ。
なんだか辛い夢を見たなあ、って、ほんの僅かな淋しさだけ、心の中に残して。
急いで顔を洗って、アルテミシアの家に行ったら、扉を開けた途端に、スープのいい匂いがして。
やあ、おはよう、って、アルテミシアがこっちを振り返って言う。
それから、ちょっと、小首を傾げて、どうした?なんか、怖い夢でも見た?って…
アルテミシアは、僕のほんのちょっとの不調も、全部全部、見抜いてしまうから。
そしたら、ルクスが、ばんっ、って、いきなり扉を開いて入ってきて。
焼きたてのパン、持ってきたぞお~って、にこにこと言う。
入る前に声をかけろ、って、いつも通りアルテミシアに叱られたら。
へへへっ、って悪びれもせずに笑うんだ。
…ねえ、目の前に、今僕が見ているこの光景と。
さっき、消えていった大精霊と。
どっちが、夢?
僕のほっぺたが、冷たいのは、どうしてなんだろう。
さっきから目がかすんでるのは、どうしてなんだろう。
心がざわざわして。
何かをずっと後悔しているのは、どうしてなんだろう。
だけど、どこを探しても、彼女の姿は見つからなかった。




